44. 【イヴォンヌ視点】 俺が悪かった
ジュリアンの声だ!
「家令はどこへ行った?まったく、こんなもの放り出していいわけないだろう。見られたらどうする……」
ジュリアンは一瞬言葉を失ったようだった。
——見つかった?
「もう、俺だって忘れたいよ、こんなもの……後悔している。本当に後悔している。ロミィが二年も引きこもったなんて、信じられない。引きこもったと聞いた時は悪いことをしたなと思ったよ、我ながら」
——誰にしゃべっているの?さっきの完璧な紳士は、どこへ行ったの。
ジュリアンは喋り続けている。
「でも、待っても待っても、自分の部屋から出てこないんだ、ロミィは。なんなんだよ、あの娘、本気だったのかよと思ったら、泣けてきて……何やってんだよって思ったんだよなぁ。あぁ、列車で会ったロミィは元気そうだった。でも、流石にあんな美男子がロミィの隣にいたら、そりゃ妬くだろ」
まさか、独り言?
独り言がこんなに長いタイプ?
前世で出会ったウジウジキャラを思い出して、私はこっそり机の端から顔を覗かせた。
おっと!
式魔に話していた。
蜂の妖精のような式魔は腕組みをして聞いてやっているというポーズだ。
式魔は私に気づかないのだろうか。
蜂の姿をした式魔が、耳障りな羽音を立てた。
『記録を処分しろ』
ジュリアンの革手袋が激しく震えた。中に隠した火傷を、針で刺されたように押さえ込む。
「分かっている。今からやる」
『余計なことを話すな』
「誰もいないだろ。少しくらい聞いてくれてもいいじゃないか。俺だって……俺が悪かったと思っている」
だが、式魔の腕が微かに震えているのに気づいた私は、その視線の先を見た。
霊獣ハリネズミがそこに鎮座していた。
——スピカ来てくれたの?
——スピカ、お願いだから、ジュリアンと式魔を追い払って!
「あぁ、本当に俺が悪かった!ロミィには悪いことをした。後悔している。できることなら、よりを戻したい」
——冗談じゃないわ。
「ロミィが笑わなくなったと聞いた夜は、眠れなかった。俺が壊したのは、婚約だけじゃない。あの娘が笑って過ごせたはずの二年間だったんだ。あの娘が、杏のタルトと木苺のタルトのどちらが優れているか、馬鹿みたいに真剣な顔で語っていた。笑うつもりなんかなかったのに、俺まで笑っていた。俺が奪ったのは、あの時間だったんだ」
ジュリアンは両手で顔を覆った。
——覚えているわ。私も、その場にいたもの。
「列車で会ったロミィが元気そうで、本当はほっとした。俺のせいで二年も笑えなくなったのに、今は別の男の隣で笑っていた。安心したよ。本当に安心した。それなのに、あの笑顔を取り戻したのが俺じゃないことが、悔しくて仕方ないんだ」
ジュリアンは頭を抱えて喋り続けた。
『黙れ。記録を焼け』
「分かっている!でも、少しくらい……」
『感情は不要だ』
「俺には必要なんだよ!」
一人で懺悔を続けるジュリアンの横で、スピカは移動し続けていた。
とことこ、とことこ。
執務室の床の上を、白くて丸いハリネズミが歩いている。
急ぐ様子はまるでない。口には、食べかけのバナナまでくわえていた。
「二年間、俺だってずっと忘れられなかった。列車で顔を見たら、今も好きだと分かった。それでも、あの時は彼女の力が必要だった。好きな相手に力を貸してほしいと思うことまで、偽りなのか?結婚するなら、互いに持っているものを支え合うのは当然だろう?」
——支え合う?
私は草稿を握りしめた。
——書いてあるのは「ヴェイン家による共同利用権」。あなた個人ですらないじゃない。
——しかも、あの子は知らされてすらいなかった。
スピカはバナナの最後の一口を咀嚼し終えると、ようやく口を開いた。
「なら、本人にそう話したのか?」
蜂の式魔に問われたのだと思ったのか、ジュリアンは床を見つめたまま答えた。
「……話せば、断られると思った」
「断られたら諦めたのか?」
スピカが追い詰めるように聞いている。
「……いずれ分かってくれると思っていた」
ついに、スピカの銀針が一斉に立った。
「だからオイラは、お前の誓いを偽物だと判断したんだ。オイラ、二年越しにお前の懺悔をたっぷり聞いた」
ついに、ハリネズミの姿にジュリアンが気づき、彼は飛び上がって、反動で床にひっくり返った。式魔も悲鳴をあげた。
スピカの銀針が、一本残らず逆立っていた。
「お前が主を傷つけたことを悔いているのは、嘘じゃない。だが、それと同じくらい、自分を愛してくれた女を失ったことも惜しんでいる。だから、その『俺が悪かった』は、まだ半分、自分のための言葉なんだ」
ジュリアンが慌てて両手を後ろに隠した。
「なら、本人に謝れば……」
「今のまま主に言うな」
スピカの銀針が、さらに鋭く立った。
「『今も好きだ』『よりを戻したい』『許してくれ』。それを聞かせて楽になるのは、お前だ。主の傷をもう一度開いて、自分を許す役目まで背負わせるな」
「じゃあ、俺はどうすればいいんだよ」
「許されようとするな。自分がしたことを認めて、償え。主に気持ちをぶつけるのは、その後だ。それでも主が聞きたくないと言ったなら、黙って引き下がれ」
「わ……わ……悪かった!本当に後悔している!俺がダメなのは知っている、分かっている、ロミィのことは好きだ。本当だ……ぎゃあぁ、許してくれ!」
支離滅裂な言葉を叫んで、取り乱したジュリアンは執務室から飛び出して行った。
式魔はジュリアンを追って飛び去る直前、机の下の私へ顔を向けた。
——見つかっていた。
叫び声が屋敷の外に出ていった。執務室の窓のカーテンの隙間から彼が外に飛び出していくのを見た。その後を式魔が追っていた。
「イヴォンヌ、一人でやってきて手柄を独り占めしようとは、なんたる危うい行動!」
ハリネズミは烈火の如く私に説教をし始めたが、別の物音を聞いたらしく、ピタッと動きを止めた。
「逃げろ、イヴォンヌ!窓から飛び出せ!壁から出てきている!」
私は執務室の壁に灰色の染みの点を見つけた。少しずつ大きくなっていく。
そのまま帳簿に挟んであった手紙と婚約契約書の草稿を持って、私はひらりと窓の外に飛び出した。
私が窓を越えた直後、青紫色の腕が、つい先ほどまで私が隠れていた机を叩き潰した。
証拠を胸に抱え、私は門へ走った。
——結局、黒幕の名前は一度も出なかった。
けれど、黒幕は私がここにいると知っている。




