42. 【イヴォンヌ視点】いけすかない元婚約者
昨夜遅く、本邸は騒がしくなり、王立魔術博物館からの使者がやってきた。私は窓から噂のアリス・ブレンジャーが馬車から降りてくるのを見ていた。
正直に言おう。
私は、まともな魔法を使えない。だが、木登りと侵入なら得意だった。
前世では大学を出て普通に働いていた私も、王立魔術小学校の授業には苦労した。
魔力を購入して身につけるのが当然の貴族社会で、私は事故を起こさない程度の魔力しか持てなかった。
その代わり、魔法を使わず、自力で目的を果たす方法ばかり覚えた。
ロミィがアリス・ブレンジャーに呼ばれて行くのを見た。
そのうえ、カイを「幼馴染」と呼ぶ見慣れない令嬢まで現れた。まったく、ロミィの周囲は一晩で騒がしくなりすぎている。
従姉妹のロミィは子生意気なだけの小学生だったのに、気づけば婚約して、婚約破棄されて、傷心のあまりに引きこもりになってしまった。
もう、二度と、ロミィを傷つけさせない。
たとえ、黄色い歓声をカイの周りで《《無駄に上げているだけの令嬢》》であったとしても。
カイが見向きもしない令嬢であったとしても。
恋敵を自己演出するだけの令嬢でも、カイへの不埒な接近を許さないつもりだ。
深夜のアリスとロミィの会話が終わった後、隠れていた私はフリッツに合図をした。
——こっち、こっち!
——こっちに来てってば!
隠れて手を振ると、リスのフリッツがじろっと私を見た。スピカにも合図をした。ハリネズミはこちらに体をゆっくりと向けた。
私はりんごとバナナをちらつかせて、二匹の霊獣をこちらに呼び出した。
深夜の私の客間で、二匹の霊獣と私はひそひそと密談をした。
「で?」
「何が聞きたい?」
フリッツは眠そうな目をこすりながら、私が差し入れしたリンゴをかじっていた。
ハリネズミのスピカは、時々意識を失いそうになり、半分目をつぶっている。バナナを抱えたまま、眠くてほとんど食べられずにいる。
鼻ちょうちんまで出すスピカに、起きてもらった。
我々は大事なチームメイトなのだから。
私は二匹に、アリスとロミィの会話の要点を聞かせてもらった。
二匹はお役御免でもうベッドにひっくり返りたいのだろうが、私の熱意に根負けして話してくれた。
「ジュリアンのことだけど」
私がロミィの元婚約者の名を出した途端に、スピカの銀針が立ち、ピカリと光った。
「あいつの何が今更知りたい?」
スピカは完全に目が覚めたようだ。
「いいこと、よくお聞きなさい」
私は暖炉の前に立ち、両手を後ろで組んだ。
「なんだよ、その喋り方」
フリッツがリンゴをかじりながら言った。
二年前に”教授”は死んだ、とされている。私は額に指を当て、前世で見た刑事ドラマの真似をした。
「二年前、大きな事件がありました。覚えていますか?」
「ロミィの婚約破棄があったよな」
スピカがポツンと言った。
「そうです!事件は常にロミィの婚約と同じタイミングで起きている」
私の言葉にリスとハリネズミは何かにハッとした様子だ。
「これは偶然でしょうか?たとえば——スピカは婚約契約書を焼いたわよね。ジュリアンは無効にされた契約書に触り、大火傷をした。それは二年前。そして、教授が死んだとされるのも二年前。教授らしき人物の存在が浮かび上がったのは、二年後のロミィの二度目の婚約締結間際。このタイミングは全て偶然でしょうか?」
私の言葉に二匹は完全に眠気が吹き飛んだ様子で、目を見開いた。
「スピカ。二年前、あなたの針は偽りの契約書だけを焼いたの?」
私の言葉に、スピカは憤慨したように言った。
「何を言ってる。それだけじゃない。オイラは、偽りの誓いにつながっていた者へ、罰を返した」
「つながっていた者?」
私は身を乗り出した。
——大事なところよ?
「スピカ。二年前に力を使った時のログは残っていないの?」
「ろぐ?」
「いつ、誰に、どこまで力を返したか。その記録よ。魔術だって、大きな力を動かしたら痕跡くらい残るでしょう?」
スピカとフリッツが顔を見合わせた。
「……銀針に残っている」
スピカは目を瞬いたが、何か怖いものを見るような顔つきで、針を1本だけ光らせた。
針の先から光が走り、途中で二股になった。
反撃が二方向へ分かれた記録が宙に浮かび上がった。
一つは、婚約者として署名したジュリアン・エドワード・ヴェイン。
もう一つは、婚約契約書へひそかに接続していた者との経路を、スピカが拒絶した記録だった。名前は削り取られ、ヴェイン家の古い紋章だけが残っていた。
——でも誰なの……?
二つ目の経路には、接続を断ち切ると同時に、銀針の反撃が逆流した記録が刻まれていた。
「名前がない……」
スピカの声が震えた。
「誰かが、オイラの銀針に残った記録へ手を突っ込んで、名前だけを削ったんだ」
「でも、完全には消せなかったのね」
私は記録に残った紋章を指した。
「ヴェイン家の印が残っているわ」
二匹と私は無言になった。
「婚約契約書に接続していた者……その接続を、あなたが遮断したの?」
私は共通項が見えた気がした。
「ジュリアン一人で、あの婚約契約書を細工したんじゃなかった。誰かが、ジュリアンを入口にしてロミィへ接続しようとしていた」
「教授がヴェイン家ゆかりの者だったらどうする?」
フリッツがボソッと言った。鳥肌が立ったように、両腕を盛んに撫でている。
「アッシュクロフト家の事件は、第二の計画だったとしたら?」
私たちはゾッとした。
ジュリアンは黒幕ではない。けれど、同じヴェイン家に生まれた教授のため、自ら入口となってロミィへ近づいたのだとしたら?
十三歳のロミィが恋をした相手の背後に、最初から教授がいたのだとしたら?
ジュリアンが列車で言った「君の周りには、その力を悪用しようとする人間が必ず集まる。俺がそうだった」は、あれは警告ではなかった。自分もその一人だったという、遅すぎる告白だったのではないか。
——あの子の初恋は、最初から仕事だったの?
でも、推測の域を出ない。
ヴェイン家は、メルボローがまだ蜂箱十二個の村だった頃から、この土地に地所を持っていたという。
——プンプン臭う。
——霊獣香リスじゃなくても、転生者の私には臭う。
だから、朝早く、私は人目を盗み、誰にも分からないようにして、ドレス姿のまま忍び込もうと思った。ヴェイン家別邸に。
目的は、家系記録や古い名簿を調べるため。
正式に閲覧を申し込めば、ヴェイン家へ連絡が行く。証拠を消される前に、私は侵入して確かめるしかなかった。
——モンフォール伯爵令嬢の潜入計画スタートだわ!
***翌朝・ヴェイン家旧別邸***
私はサクランボの枝の下へ滑り込んだ。熟した実が髪に弾け、袖に赤い果汁が散ったが、振り返らなかった。
バッスルは、サクランボの木の下へ置いてきた。あんなもので屋根は走れないから。
漆喰の剥がれた番小屋の壁を蹴り、軒へ跳ぶ。瓦屋根を三歩で駆け抜け、その勢いのまま蔦の絡む塀へ飛び移った。
蔦を掴み、反対側へ滑り降りる。地面へ着く直前に手を放し、苔の上を転がって衝撃を逃がした。
旧通用門は鉄板で塞がれている。見つかっても、そこから追っては来られない。
私は木立に身を伏せ、別邸の新しい正門を窺った。正門へ続く白い道を、黒い馬車が一台、ゆっくりと近づいていた。
——えっ!?なぜ……。
黒い馬車から降りて来たのは、元婚約者のジュリアン・エドワード・ヴェイン、その人だった。




