4. 生卵の慰謝料
——おっと……っと……これ何だっけ?
——霊獣だ!
私は、この自分の行動が魔法の術式の防御力を脅かしているとは思いもしなかった。
私は自分の行動がどういう結果に向かうかを考えもしなかった。
15歳の私は、ただただ、お腹が空いていただけだった。
「あなた、誰?霊獣なのは分かるけど……」
私はそのふさふさのしっぽを持つ小さな獣に聞いた。
「霊獣の香リスのフリッツだけど?」
確かに、その小さな獣は見るからにリスだ。
尻尾のふさふさの毛が風に揺れていて、リスにしか見えない。
まあるい瞳が私を見つめている。何かどんぐりをかじっていたところだったらしい。両手でどんぐりを持っていた。
——つまり、このリスは食事の途中だった、ということね。
——霊獣の香リスが登場……何か食べ物を出してくれないかしら?
「リスのフリッツさん、お願い、助けて。お昼ご飯を食べたいのだけれど、私持ってないの」
私はヨレヨレの気持ちで、目の前の霊獣リスに言った。
「パンがなければケーキを食べればいい」
すました様子で香リスが言った。
「ふざけてる?それ言った人、ギロチンされたよ!?」
私は頭にきた。少々イライラしていたのは間違いない。
いきなり召喚した私も失礼だとは思うが、お腹が空いた私に言っていいことと、悪いことがある。
よりによって、ギロチンの事を今は思い出したくなかった。今の時代の皇女としての私は、ギロチンにかけられる恐怖を既に知っているのだから。
ただ、私は気づいた。
——そうか。この香リスは、私が皇女だと知らないのね?
私がギロチンにかけられるリスクある立場だと知らないならば、そんな冗談も言えるかもしれない。
「ねぇ、香リスさん、いきなり召喚して悪かったわ。あなた、何か食べ物持ってない?」
「じゃ……どんぐりをあげる」
「……食べられないわよ。私は人間なのよ。しかも、そのどんぐりはあなたのかじりかけでしょう?」
「まぁ……そうだけど。今これしか持ち合わせがない」
つぶらな瞳でそうリスに言われると、私はガックリと肩を落とした。
ヘロヘロだ。
もう、お腹が空き過ぎて力が出ない。だめだ。気持ち悪い。
——人は食事が食べられないだけで、こんなになるんだ……。
「エール、あるじゃん?」
「どこに?」
「その辺にあるんじゃない?今、昼飯時でしょ。誰かここに持ってきているんじゃないの?」
プライドの問題で人様にもらう事ができなくて、それ以外で頼みたいから、わけのわからない呪文を唱えたのに。
モフモフのリスに、隠していたアキレス腱をチクリと攻撃された気分だ。
「お願い、人に借りてくるのではなくて、レモネードか何か……つまり、魔力であなた食べ物を出せないの?」
「俺の名前はフリッツね」
「あぁ、フリッツ、どうかお願いよ。卵を意地悪女にぶつけられて、ここで隠れてドレスを洗っていたの。午前中の授業はぶっちしたのよ。ようやく乾いたから着たところだったの。でも、朝、寝坊してメイドもお弁当も忘れて、一人で馬車に乗って女学院まで来てしまったのよ」
ふーんと、フリッツが私を見透かすように見つめた。
しばらく沈黙が訪れた。
「誰か友達に、昼食を分けて欲しいと言えば済む話だよね」
「だーかーらっ、それができないからこうしてフリッツを呼び出したんでしょう」
「へーっ、友達いないんだ。まあ、生卵をぶつけられるぐらいだから——」
香リスは、どんぐりをかじる合間に独り言を言うように言った。一人で納得して、ふんふんとうなずいている。
そこでフリッツは私の顔を見て、言葉を止めた。
「……どんぐり、半分食べる?」
「いらないわよ!」
「フリッツは食べ物を出せない。食べ物の匂いはこのあたりに充満している。誰かのお弁当を分けてと言えばいいだけじゃないかな」
フリッツがすまして言う様子に、私はため息をついた。
「ロミィ・ロクセンハンナ!どこにいるのです?」
突然、私を探している女学院のメアリー先生の声が迫ってきて、私は首をすくめて、香リスに合図した。
「シーっ!」
フリッツと私は動きを止めて、メアリー先生の声が遠ざかるのを待った。
「ハーン、ここに君は隠れているんだね。でもロクセンハンナ?君って……」
フリッツは何かに気づいた。目を丸くして続きを言いかけたが、私はフリッツの言葉を遮った。
「もういい、帰るわ。あなたに頼らない」
私は腹をくくった。
香リスに頼ろうと思った私がバカでした、と。
私は数年使ってなかった力をヤケクソで発動した。
ブンっ!
風を切って、猛スピードで赤いビロード張りの長椅子がすっ飛んで現れた。
長椅子が猛スピードで目の前に現れたことに、フリッツは仰天した。
長椅子が勢いよく現れた爆風で、フリッツはどんぐりをポタリと落として、後ろにひっくり返ったのだ。
「え!?」
「何よ、何か文句あるわけ?」
「きみ、ネフェロバテスを操るのっ!?」
「実はそうなのよ。ここ数年、引きこもってばかりでこの長椅子のことをすっかり忘れていたけど、今思い出した」
「それって飛ぶ長椅子じゃん?」
そう言って、リスのフリッツは尻尾をゆさゆさ振って飛び跳ねた。
「ねぇ、だったら、君は伝説のブルクトゥアタだよねっ!?つまり、君は伝説の人じゃんっ!?」
香リスのフリッツは、俄然私に興味が沸いたようだ。目をキラキラさせて私を食い入るように見つめている。
「だけど?だったら何よ」
私はお腹が空きすぎて、そっけなくフリッツ言った。
無造作にドレス姿で長椅子にまたがった。
モスリンのドレスが風に揺れた。
久しぶり過ぎた。
自分の体が今のサイズに成長してからは乗っていなかったと思い出した。
15歳のドレスが、思いの外、風に揺れることに面くらった。
だが、長椅子は子供の頃より、よりしっくりとくるようになっていた。
——よし、行ける。
——このまま宮殿までひとっ走りして、お昼を食べてこよう。
「ちょっと待って!!」
フリッツは、すごいスピードで姿を消した。
霊獣の香リスはそんなに素早く動けるんだと、空腹のあまりにあまり動かない頭でぼーっと考えていたら、バスケットを持って香リスが現れた。
「え?」
「エミリア・デ・アルバのメイドが寮の食堂で準備していたのを持ってきた。エミリアお嬢様は、アッシュクロフト様がお見えになるから、一緒にお庭でピクニックされるらしいの」
フリッツは、しっぽをしならせて丸い瞳をぱちぱちと瞬かせて、エミリアのメイドのモノマネを甲高い声音で喋った。
「あら?ありがとう」
バスケットを覗き込むと、初夏なのに温室でしか育てられない貴重なキュウリのサンドイッチが入っていた。
——どうやら、エミリアったら本気ね。どうしても必死にカイに取り入りたいようね。
貴重なキュウリをメイドに探して来させたのだろう。
「慰謝料として、エミリアの特製サンドイッチを、このワタクシが全ていただくわ。フリッツもエミリア嬢の貴重なキュウリ入りサンドイッチをどうぞ。珍しいキュウリが入っていて美味しいわよ」
私はニンマリとして微笑んだ。
だが、私がバスケットに伸ばした手をバシッとフリッツは叩いた。
「まだだ。約束が先だ。俺をその長椅子に乗せてくれ」
「いいわよ。だから、早く食べ物をちょうだいっ!」
「よし、それなら、飛びながら食べて」
バスケットと一緒に長椅子にぴょんとフリッツが乗ってきた。
「美味しい!」
私はバスケットの中のキュウリ入りサンドイッチを一口食べてから、ふわりと長椅子を空に飛び上がらせた。
「うわっ!本物だっ!飛んでるぞ!」
「あったりまえでしょう。我が家は飛ぶ長椅子を乗りこなす直系子孫が生まれることで有名なロクセンハンナ家なんだから」
私はモゴモゴそう言いながら、聖セレスティーヌ女学院の最も高い位置にある尖塔まで飛んだ。
バスケットの中の陶器のポットからレモネードをカップに注いで、優雅に飲んだ。
眼下の庭でピクニックの準備をして待つエミリアが小さく見える。バスケットが無いと騒いでいるようだ。メイドが寮のキッチンに向かって走り出して、その後をエミリアが猛然と追いかけている。
——キュリ入りサンドイッチが消えて、悲鳴が聞こえるようだわ。
——エミリアったら、慌てているようね。
最高の眺めを満喫しながら、キュウリのサンドイッチは私が美味しくいただいた。
「なあ、主。俺を呼び出したとき、呪文をどこまで唱えた?」
「禁書の呪文よ。二文だけ」
フリッツの手から、胡桃が落ちた。
「……二文だけで、俺を呼べるわけがない」




