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38. 二百八人のお茶会

 調べなければならない者は、二百八人いた。

 ヴァイセンブルク帝国のアッシュクロフト侯爵家は、帝国最大の大地主だ。その領 地収入は、時としてヴァイセンブルク皇帝個人の収入さえ凌駕するといわれていた。


 その巨大な本邸で働く二百八人を、今夜、三部に分けてお茶会へ招く。アリス・ブレンジャーが到着するまで、残された時間は一日もなかった。


 夕食の前に、使用人全員参加のお茶会を大々的に行う事を、アッシュクロフト当主、夫人、お祖母様、エスルを含めて決めて、準備が猛スピードで始められた。


 その時、コーヒーを運んできた若いメイドの手は、白いカップとは不釣り合いなほど荒れていた。栗色の髪の下には、そばかすの浮いた青ざめた顔があった。私と目が合うと、彼女はなぜか慌てて目を伏せた。彼女は確か……カティという名だ。


 紋章を織り込んだ白いダマスク布の上に、薄いクリスタルグラス、銀のカラトリーが並ぶ。金鍍金の燭台に蝋燭が灯り、白薔薇、芍薬、淡紫色のライラックの花が飾られていた。


 ザックリードハルトのルイ皇太子と皇太子妃が別館に滞在中であり、給仕たちには密かな緊張感が漂っていた。皇太子であるルイ兄様はディアーナ姉様の枕元を離れず、夕食も貴賓室へ運ばせた。


 元々皇太子妃の実家であったブランドン公爵家の執事レイトンとメイドのテレサとミラがつきっきりで看病をしていると聞いている。


 夕食は初夏の豆を浮かべた金色のコンソメ、鱒の白ワイン蒸し、モリーユ茸を添えた仔牛、アスパラガスと若鶏と続いた。料理が替わるたび、給仕によって皿も銀器もグラスも音もなく取り替えられていった。


 アッシュクロフト当主は1日で皺が濃く刻まれてしまったようだった。屋敷の中に犯人がいるかもしれないので、食事の間は皆、たわいもない話をしていた。

 

 アッシュクロフト宮殿と呼ばれる本邸で抱える家庭使用人の数は百八十四人。会計人を含む領地経営の職人も含めると二百八人。さらに今は、私たちが連れてきたレイトン、テレサ、ミラを含めて二百十一人が本邸に出入りしていることになる。森番小屋や猟場近くに暮らしている狩猟長、猟場番、森林監督を含めるとさらに膨れあがる。


 夕食は七時三十分に開始し、八時三十分に終了させ、その後三部に分かれてお茶会が催されることになった。


 サクランボや酸果桜のレーテシュ、苺や木苺のタルト、胡桃のトルテ、リンツァート、蜂蜜菓子、マドレーヌや小型焼き菓子、メレンゲ、果物のコンポート、アイスクリームがコーヒーや紅茶と共に出されるのだ。


 第一部のお茶会には、家政長官のレオポルト、家令のイシュトヴァーン、執事長のヨーゼフ、家政婦長のマルギットを始めとして、家庭使用人の上級職に就くものが集められた。第二部には厨房、農場、森林、会計、法務に携わる者たちが続く予定だった。


 皆、マーティン・フェンウィックという39歳の主任会計官兼出納役が捕えられた事に驚いていた。彼は時計も靴も質素だが、異様なほど手入れがよく、常に声を荒らげず、常に数字を根拠に話すことで知られており、彼が悪に手を染める事が皆信じられない様子だった。


 しかし、だんだん美味しいデザートを食べて和やかに過ごしているうちに、口々に自分が褒められた記憶について、楽しげに話し始めた。


 家政長官のレオポルトは祖母にハギレをもらって、パッチワークをしてとても褒められたと話した。彼はふと、そうだ、今度の休みに村の布屋に安いハギレを求めに行って、妻に何か作ってあげようと思いついたようだ。


 レオポルトに続き、家政婦長のマルギットは、子供の頃に祖父の手伝いをして、野菜を育てるのがうまいと家族に絶賛されたことを思い出した。家庭菜園を本格的に始めてみようと思い立ったようだ。皆が活き活きと話し始めて、


 私は時折、さりげなく隣の控室に移動した。


「術式顕現。四十三番目を参照」


 今、私がいるアッシュクロフト邸と、その周辺だけが術式の中から切り出された。人々の身体や部屋の片隅に潜む赤い花が、私の視界に浮かび上がった。


 時間が経つとお茶会が催されている大広間にポツポツと見えていた赤い花が、次々に萎れていく様を確認した。ただ、特に赤黒い花は認められなかった。


 少なくとも、第一部には、赤い花へ深く侵されている者はいないようだった。けれど、それだけで全員が無実だとは言い切れない。


 彼らはアッシュクロフト家に勤めて三十年以上のベテラン揃いで、以前、カイのピアノ教師をしていたエドマンド・ホイットコームという老人のことを覚えていた。


 彼は七十歳前後で、元々アンバーミードの旧家出身で、アッシュクロフト侯爵家のお祖母様の幼馴染だったという。メルボローへの郷愁につけ込まれ、モルヴァネラを育ててしまったことは誰にも知られていなかったので、私たちはその事は伏せて聞き出した。


一体、誰が、会計人のマーティンとピアノ教師のエドマンドを繋げたのか、さっぱり分からなかった。


 第二部が九時半から速やかに開催された。この時点になると、厨房からも何名か参加できた。総料理長、副料理長、ソース料理人をはじめ、菓子職人と厨房上級メイドなどのお茶会の準備に奔走している者たち以外は出席してくれた。


 また、領地総監督、農場監督や、リネン室主任、洗濯女中頭も出てくれた。


 第一部と同じく、皆が生き生きと話をし、昔褒められた温かい記憶を互いに話し合って、仲良く盛り上がっていた。


 夜遅く、午後十時半に第三部が始まった。すっかり明日の準備も終わり、下っ端の使用人たちが寝るだけになった状態で、始まったのだ。


 濃い栗色の髪にグレーグリーンの大きな瞳に、頬と鼻に濃いそばかすがある18歳のメイド、カティ・モスは、客室階付きの下級ハウスメイドとして参加した。アッシュクロフト領内の葡萄農家の娘だ。


 第一部、第二部がそうだったように、やがて使用人たちはそれぞれの温かい記憶を語り、美味しそうにお菓子を食べ、お茶を飲んで和やかな空気に包まれていた。


 カティも話し始めた。深緑のお仕着せのドレスには皺ひとつなかったが、白いエプロンの端は、両手の中で固く握り締められていた。いつも髪をすっかり隠しているキャップも、そのときは少し傾き、栗色の髪が一房だけ頬へ落ちていた。手に小さな火傷の跡があり、痛々しかった。声は震えていた。


「子供の頃、母や村の女性たちから、『カティの針目は小鳥の足跡より細かい』『この子の手にかかれば、破れた場所が分からなくなる』と褒められました。」


 カティは荒れた両手を見下ろした。

「カティの手にかかれば、どんな綻びもきれいに直る、と何度も祖母も祖父も褒めてくれました。私は……神様、お許しください……」


 その胸元に残っていた赤黒い花が、音もなくひび割れた。



「ごめんなさい。私がエスル様の認証印を盗みました」


 泣きながら言う、カティの声が会場に響いた。



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