34. 【カイ視点】君が忘れた時は、俺が覚えているから
光がロミィの背中を打った瞬間、俺の世界から音が消えた。
夢の中で必死に走っているのに、いつまで経ってもたどり着けない時のように、足がもつれて、崩れ落ちたロミィの元に駆けつけられない。
覚えているのは、ロミィがフリッツを抱きしめ、怪物へ背中を向けたこと。
「やめろ、ロミィ!」
叫んだが、間に合わなかった。
青紫色の光が、彼女の背中へ直撃した。
俺は、彼女を二度も失いかけた。
一度目は女学院の窓から落ちた時。
そして今度は、今この瞬間だ。俺の家の問題に巻き込まれて、皇女ロミィは倒れた。
無我夢中でロミィの背中でくすぶる青紫の光線を消そうとした。
「フリッツ、スピカ!助けてくれ!ロミィを助けてくれ!」
泣きながらフリッツとスピカがロミィの周りを転がっていて、2匹は何かを叫んでいた。
俺の腕の中にいるロミィはぐったりとしていた。焼け焦げたボディスの内側から、一枚の包装紙が落ちた。
——エスル姉さんが描いた花と蜂?
包装紙には幼いエスル姉さんが描いた絵があった。スピカがその包装紙を拾い上げて、飛び上がった。その瞬間、俺の耳に音が戻った。スピカの震える声が聞こえて我に返った。
「息はある!主が最後に接続を切ったんだ。直撃したのは、切断前に放たれた残りの光だけだ!」
フリッツは震える手で包装紙を受け取ると、焼け焦げた包装紙へ鼻を近づけた。丸い瞳が涙で揺れている。
「赤い花の臭いがしない。この紙が、主の中へ汚染が入り込むのを止めたんだ」
——神様……お願いだ。助けてくれ。
二匹の声も震えていた。けれど、接続が切れていることも、汚染が入り込んでいないことも、二匹は確かに見抜いていた。
正気を失いかけているのは、俺の方だった。
「頼む、俺の全てを捧げるから、ロミィを助けてくれ」
腕の中のロミィは息をしているのかしていないのか分からないぐらいの細い息だ。
怖くて怖くてたまらない。
——ロミィを失うかもしれない。
恐怖でおかしくなりそうだ。灰色の怪物はこちらに走ってきていたが、ロミィが倒れる直前で、何かに弾かれたようにしてひっくり返り、動かなくなっていた。
——ロミィが術式を唱えたのか?
俺は今のうちに、怪物から遠ざからなければならない。
必死でロミィを抱えた。
ロミィを横抱きにして、湿原の脇の小道を走り始めた。前方にペンブリ湖が見えた。荒れ果てた廃屋を通り過ぎ、俺はひたすら走った。
ペンブリ湖と、アッシュクロフトの馬車を待たせた場所は少し離れている。だが、今は怪物から遠ざかることで精一杯だ。
スピカが空へ向かって、甲高くアルシオンの名を呼んだ。
その声に応えるように、翡翠色と青の羽を煌めかせた鳥が飛来し、一直線に灰色の怪物へ襲いかかった。
「アルシオンだ!」
「やっちまえ!アルシオン、あいつを追い払え!」
俺の後ろを走るフリッツとスピカが叫んだ。
——よし、灰色の怪物はカワセミに任せよう。
「フリッツ、スピカ、イヴォンヌに俺とロミィがここにいることを知らせてくれないか」
汗だくの俺は、霊獣2匹に頼んだ。
「よし、俺が行く!スピカは主のそばにいてくれ」
霊獣リスはそう言うと、一瞬で姿を消した。
俺は樫の木の木陰にロミィをそっと寝かせた。まもなく日が暮れてしまう。
カワセミのアルシオンが必死に怪物を突く様子を遠目に眺めながら、スピカにロミィを見ていてくれと頼み、俺はすぐそばの湖岸へ走った。
手のひらに水を汲んできて、ロミィの唇をそっと濡らした。
「ロミィ、頼む。起きてくれ。婚約すると言っただろう。勝手に俺を置いていくな」
泣いて懇願したが、ロミィは起きてくれない。
俺の胸は震えていた。手も震えていて、うまく水が運べない。
「ロミィ、君は、みんなに忘れていた大事な自分を思い出させる」
俺は眠ったかのように動かないロミィに話しかけ続けた。ロミィの手を取り、しっかりと握った。
「でも、君はすぐ、自分が大事な人間だということを忘れる。でも、大丈夫。だから、君が忘れた時は、俺が覚えているから。だから、お願い。目を覚まして。俺は君がいないと、この先どうしたら良いか分からない」
つまらない毎日を、色鮮やかな景色に変えたのは、ロミィだ。金環日食を見に行ったあの日、俺は本当の自分を思い出した。
灰色の怪物がカワセミに腕を振り上げた。アルシオンは怒り狂っていた。クチバシで攻撃していた。
怪物の身体を走っていた青紫の筋が、急速に薄れていた。
「主が七十二番で、紫煙との接続を切ったからだ!」
スピカが叫んだ。
その瞬間、アルシオンが空高く舞い上がった。夕日を背に急降下し、怪物の中心を嘴で貫いた。
灰色の身体が崩れ、煙のように消えていった。
向こうの山が燃えるように赤く染まり、ペンブリ湖の水に空が映って、全てが赤く染まる夕暮れがやってきた。
——お願いです、神様。俺の婚約者を助けてください!
ぬかるんだ湿地を走ってくるライラックのドレス姿のイヴォンヌが見えた。赤銅色の髪が夕日と同じく赤く見える。
「ロミィ! カイ!」
髪を振り乱したイヴォンヌが走ってきた。片手には偽物の製造誓約書、もう片方には取引所の地下書庫で見つけたらしい、古びた革表紙の帳簿を抱えている。
だが、樫の木の下に横たわるロミィを見た瞬間、書類と帳簿を脇へ置き、その場に膝をついた。
「ロミィ、しっかりして!医師を連れてきたわ。馬車もすぐ後ろまで来ているから!」
「怪物の光線を受けたんだ。俺がついていながら……」
「自分を責めるのはあとよ。今はロミィを助けるの!」
俺は泣き出してしまった。
「俺は……ロミィを愛しているんだ。それなのに、まだ本人に一度も伝えていない」
「……カイ?」
かすかな声がした。
ロミィがゆっくりと目を開け、泣いている俺を不思議そうに見た。
「どうして泣いているの?」
「俺が分かるのか?」
「分かるわ。私の婚約者でしょう?」
俺は安堵のあまり泣き崩れた。
「愛している、ロミィ。ずっと一緒に生きていきたい」
ロミィの瞳に、ゆっくりと涙が浮かんだ。




