31. 皆が忘れていたメルボローの裏口
「とにかく毒の正体は分かったわ。モルヴァネラです。医師なら、解毒薬を選べるはずです」
まずは子供を救うことが先決だ。私たちは急いで、子供が寝かされている家まで戻り、両親と医師に分かったことを告げた。
医師はモルヴァネラが含まれた菓子を食べたと伝えると、顔色を変えた。すぐに解毒の薬を子供に飲ませた。
医師が解毒薬を飲ませると、子供の身体に絡みついていた薄紫色の式が、少しずつほどけ始めた。
苦しげだった呼吸が、ゆっくりと深くなった。
「まだ安心はできません。しかし、これなら助かる可能性があります」
「ありがとうございます!」
私たちは再びそっと部屋を出て、養蜂研究所に戻った。
私は標本を見ながら自分の疑問を口にした。
「どうしても、気になるのです。認証術式は正規でした。でも、包装紙は明らかに現行品と違います。もしかして、アッシュクロフト家には、現在使っていない認証術式がもう一つあるのではありませんか?例えば、その……蜂蜜箱十二個しかなかった頃から、今と同じ認証術式でしたか?」
私が聞いた質問に、お婆様はどこか遠くを見る目をした。
「そう言われると、違うわ。メルボローの街の時代は、アッシュクロフト家はまだ貧しく、違う術式を使っていたのよ」
「その古い術式は、消却されたのでしょうか」
私の言葉にハッとした表情を浮かべたアッシュクロフト当主は、お婆様と顔を見合わせた。
「メルボロー認証は、改名した時に消却したはずだが」
私は当主を見た。
「消却したという記録ではなく、術式そのものが消えたことを確認した方はいらっしゃいますか?」
誰も答えなかった。
「ということは……使っていないのに、使える認証術式がもう一つあることになるわね」
お婆様の言葉に、カイの母親はよろめいた。
「メルボロー時代のアッシュクロフト家の正しい認証術式が悪用されたということね」
「そういうことだろう」
アッシュクロフト当主は頭を抱えた。
「だから、すり抜けるのか!魔法網をすり抜けるのは、認証術式が正しいからだ!うちの認証術式だからだ」
霊獣香リスのフリッツが腕組みをして、ボソッと言った。
「現在の門を破ったんじゃない。皆が忘れていた昔の裏口を使ったんだな」
カイは、養蜂研究所から持ってこられた標本の中にあった採取地台帳をめくった。そして、その末尾に折り畳まれていた古い地図を広げた。
「これがメルボロー時代の地図だ」
そして、最近の標本の取得場所が書かれている新しい地図をその古い地図に重ね合わせた。
「そして、これがアンバーミードの地図だ。二つを重ねてみよう」
カイは2枚の地図を重ね合わせた。そして、興奮したように一箇所を指差した。
「ほら、ここ!ここだけ、旧メルボロー村域には含まれているのに、現在のアンバーミード認定生産区域から外れている」
私たちはしばらく無言で二枚の地図を重ね、現在の地図からはみ出した区画を見た。一箇所だけアンバーミードには無く、メルボローにはある場所を見つけた。
「現行のアンバーミード認証では対象外。でも、旧メルボロー認証では、今も認定生産区域に含まれているわ。もし、この区画でモルヴァネラを栽培し、その蜜を蜂に集めさせても、現在の養蜂研究所の検査対象にはならないわ。つまり、気づかれないわ」
私はゾッとして言った。
「世界中の魔法結線を迂回させる手の込んだやり方をしたのは、出所を隠すため。そして最後に、旧メルボロー認証を使って正規品に見せたのね」
迂回するたびに構成術式を変えたのかもしれないが、それはまだ分からなかった。
——昔から、アンバーミード村にいる人、つまりメルボロー認証術式のからくりを知っている人でなければ、こんな事は実現できない。
——これをやった人は、すぐ近くにいるのじゃないかしら?
エスル姉様が思いついたように言った。
「問題の蜂蜜菓子は、ガラス屋根の菓子市場の入り口にある菓子店で売られたのよね。もしかして、菓子職人学校から持ち込まれたものだったのかしら?」
アンバーミードの役人たちは照合し、正規品と判断した。照合結果そのものは間違っていなかった。だから、菓子店で売られたのだろう。
アッシュクロフト当主が言った。
「その可能性はある。菓子職人学校の生徒の訓練のために、よくできた菓子は、店で売るからな。完成した菓子が、アッシュクロフト家の認証術式を施した包装紙で包まれる。その時、アンバーミードの術式ではなく、メルボローの認証術式を使って認証させた。だから、バレなかったのだろう」
エスル姉様はため息をついて言った。
「登録されたレシピと、実際に作られた菓子が違うことになるわよね?」
スピカは誇らしげに胸を張って申し出た。
「市場へ出す菓子には、材料に偽りがないと誓う製造誓約書が添えられているはずだ。オイラが調べる」
「父上、問題の菓子はすぐに回収してください。俺は職人学校の製造誓約書と、取引所の蜂蜜の記録を押さえます」
カイの声には、もう学院の人気者らしい軽さはなかった。アッシュクロフト家の跡継ぎの声だった。
カイの横顔が、急に大人びて見えた。
私はそんなカイが眩しく見えて仕方がなかった。
私は、重ねた地図からはみ出した部分を指差し、静かに言った。
「では、本当にこの地域で問題のモルヴァネラが栽培されているのか、確かめに行きましょう」
「俺も行く」
カイは迷いなく、私の隣へ立った。
「アッシュクロフト家の問題だから?」
「それもある」
カイは私へ手を差し出した。
「でも、君を危険な場所へ一人で行かせたくないから」
私はその手を見つめた。
さっきまで学院のスターにしか見えなかった人が、今は私と一緒に歩こうとしてくれている。
不謹慎だ。
今、この胸の高鳴りは、きっと場違い。
私はなんでもないと誤魔化すように、カイの手を取った。




