30. 正規品なのに毒が入っている、ということか?
「馬車にお乗りください」
すぐに馬車の準備ができ、私たちは用意された馬車に乗ろうとした。
アッシュクロフト領のアンバーミード村は、村と呼ばれてはいるものの、菓子と蜂蜜だけで一つの町に匹敵するほど栄えていた。山あいの村には、昔からアッシュクロフト家と深い繋がりのある人々が住んでいるという。アッシュクロフト家の本邸は村を見下ろす高台にあり、広大な敷地には、用途の分からない建物がいくつも点在していた。
馬車に乗ろうとして玄関を出た私は、少し離れたところにある蔵を先ほど空から見た時の記憶を思い出して、お婆様に聞いた。
「あの蔵はなんでしょう。随分と立派な蔵ですね」
「蜂蜜酒を毎年仕込んで、寝かせているんですよ。蜂蜜蔵というの。メルボローの村は大昔はメルボロー取引所の繁栄をきっかけに大きくなったのよ」
私の不思議そうな顔に、お婆様は微笑んで付け加えた。
「あぁ、アンバーミード村の昔の名前がメルボロー村なの。蜂蜜箱十二個しかなかった頃ね」
私は頷いた。その時、私はディアーナ姉様に手招きをされたのに気づいた。
ディアーナ姉様は、村全体を覆い尽くすほどの魔力を放出しているだろう。助けてくれると期待したが、私にささやいた。
「ここは、ロミィに任せるから、しっかりね」
そして、スピカを両手に抱きしめると、キスをした。
「スピカ、あの時以来ね。本当にあなたは毎回ロミィを守ってくれて、本当に感謝しているの。今度もよろしくお願いしますね。私たちはエイトレンスの動きを調べるわ」
スピカはコロコロした丸い体をよりいっそう縮め、恐縮した顔でディアーナ姉様に答えた。
「オイラ、今度は絶対に主を守るんだ」
それを聞いたフリッツは、じとっとハリネズミのスピカを見て、鼻をふんと鳴らした。
「自分も守って主も守るのが、霊獣の礼節だ。自分を守れなかったら、最後まで主を守ることなぞできはせん!」
ふんぞり返って宣言する霊獣香リスに、ディアーナ姉様はクスッと笑った。
「頼もしいわ、フリッツ。よろしくお願いしますからね」
「もちろん、皇太子妃」
ルイ兄様はディアーナ姉様を連れて、八芒星の中に立つとザックリードハルトの皇都リードミンスターに帰って行った。
「来週末には皇宮に戻るんだ。再来週から聖セレスティーヌ女学院にイヴォンヌも一緒に戻るんだぞ」
ルイ兄様は帰り際に私とイヴォンヌに言った。帰る前にアッシュクロフト当主とルイ兄様は何事かをささやいていて、二人だけで短い言葉を交わしていたが、何を話していたのかは分からない。その後、私に聞こえるぐらいの声で話していたのは、「婚姻意向覚書は割愛して、すぐに婚姻予備協議議定書を作ろう」という声だった。
手続きがルールに従って進むのが分かり、私の心は一瞬事件から引き離され、カイとの婚約に気を取られた。
「スピカ、フリッツ、さあ行くわよ」
イヴォンヌに元気よく言われて、スピカはイヴォンヌの腕の中に飛び込み、フリッツはカイの肩に飛び乗った。
カイは、深刻な顔をしていた。自分の家の菓子が攻撃されたと分かり、いても立ってもいられない気分なのだろう。私が馬車に乗るのを手伝って、イヴォンヌも乗り込むと、自分も馬車に飛び乗るようにして乗った。
「アンバーミード村の中央広場の周りに、菓子工房、菓子市場、養蜂研究所、蜂蜜と蜜蝋の取引所、菓子職人学校が集まっているんだ。どうやら、倒れてしまった子供の家は、空き地を挟んで養蜂研究所の後ろにあるようだ」
私は子供が無事でいてほしいと祈るあまり、手のひらに爪の跡がつくほど手を握りしめてしまっていた。
不意に、カイの手が私の拳を包んだ。
「そんなに強く握ると、痛いだろう」
カイは私の指を一本ずつ、そっと開かせた。
「きっと助けられる。君と僕らが行くんだから」
「私が?」
「うん。俺は君と僕らを信じている」
馬車が揺れても、カイはしばらく私の手を離さなかった。
イヴォンヌとフリッツが意味ありげに、目配せしたのに気づいた。倒れた子供を救いに行くのだ。イヴォンヌもフリッツも何言わなかった。
村の家々は白い壁と藁葺き屋根を持つ、細長い平屋だった。そのうちの1軒の前で馬車は止まった。褪せた青い鎧戸をくぐり、軒下に葡萄の蔦が這っている玄関から中に案内された。
藁を詰めた寝台の上に七歳ぐらいの子供が寝かされていた。生成りの麻シャツを着ていて、ズボンにはところどころ継ぎが当たっていた。
私は子供の両親を別室に下がってもらった。
「この子の身体に残っている術式を調べてもよろしいですか?」
私が確認すると、母親は子供の手を握ったまま、何度もうなずいた。
「お願いします。どうか、この子を助けてください」
「分かりました。やってみます」
私は両親が部屋から出ていくのを待ち、部屋の中にはカイの両親、祖母、姉、カイ、イヴォンヌと私だけになった。
「術式照合からしましょう。体内の毒の術式を確認します」
私は静かに言った。
「術式顕現!」
私の声に応じ、無数の文字列と魔法陣が空中へ広がった。青白い光の帯が壁から天井までを埋め、その合間に、赤黒い花のような染みがいくつも咲いていた。
「術式照合」
私は二十一番目の術式を参照した。
子供の胸から腹へ、二つの術式が絡みついているのが分かる。
一つは、菓子に施された金色の認証術式だ。
その奥に、血の中へ根を張る薄紫色の式が見えた。
「認証術式には、異常がないわ」
私は信じられず、もう一度照合した。
「菓子に残された認証術式は正規です。でも、その内側に、登録されていない薄紫色の毒の式があるわ。それが何なのかわからないわ」
私は呟いた。
「正規品なのに毒が入っている、ということか?」
カイが首を傾げた。
「正規のうちの商品なのに、具合が悪くなるだと?どういうことだ?」
カイの父親のアッシュクロフト当主は苦々しげに言った。
「医師は菓子の中に毒物が入っているが、解毒できないと言ったようだ」
「毒の式が、正規の認証術式の内側へ隠されていたのね。だから医師には、何の毒なのか分からなかったのだね」
カイのお婆様が遠くを見るような目つきをして言った。
「養蜂研究所には、蜜源植物の記録があるのではなくて?蜂蜜菓子を食べて倒れたのなら、養蜂研究所から術式標本を持ってきて……」
イヴォンヌの言葉で、私は顔を上げた。
「そうだわ。毒の式を、植物の術式標本と照合できるかもしれない」
私とイヴォンヌの言葉に、アッシュクロフト当主はうめくように言った。
「だが……数百種類あるはずだ。まずは、子供が寝ているのだから、この部屋から移動して養蜂研究所に行こう」
私は見たままの薄紫の術式を記憶した。イヴォンヌは素早くノートに書き記していた。私たちは、空き地を挟んで建つ養蜂研究所にそのまま向かった。
山のような標本の中から見つけるなんて、時間がいくらあったらできるのだろう。
今回は、フリッツとスピカが助け舟を出してくれた。
「主、俺たちが見つけるのを手伝うぜ」
「オイラも手伝う」
ガラス棚に数百の標本が並ぶ研究所で、フリッツとスピカが走り回り始めた。猛烈なスピードで標本と比較して、子供の体の周りに立ち込めていた術式と合致するかを確認し始めた。フリッツもスピカもすごい勢いで照合しているので、まもなく見つかるだろう。
「でも、不思議ね。術式照合で正しいと表示されるのはおかしいわ」
私は首を傾げたが、フリッツの叫び声で振り返った。
「主、あったぞ!」
フリッツが一枚の標本へ飛び乗って指差していた。
標本の台紙には、古いインクで採取地が記されていた。
「メルボロー村北西部・旧共同養蜂地」
「メルボロー……?」
カイが採取地台帳を開いて確認をし始めた。
確かに、子供の身体に絡みついていた薄紫色の式と、標本の葉脈が完全に重なった。標本には、薄紫色の釣鐘形の花があった。
それを見たアッシュクロフト当主の顔色が変わった。お婆様がよろっと後ろに倒れかけ、エスルお姉様が支えた。
「モルヴァネラ……」
アッシュクロフト当主は、標本に記された名前を読み上げた。
「そ、その植物は、アンバーミード村では栽培を禁じている。別名で……宵鐘草だ。この花の周囲に蜂箱を置くことも、アンバーミードでは禁じられている」
カイがつぶやいた。
「では、どこで育てられたのでしょう」
誰も答えられなかった。




