29. その力の大きさではなく、そのお人柄を
ゆっくりと長椅子を飛ばして、私はアッシュクロフト家の食堂の窓の外に乗りつけた。
外から食堂を覗くと、フランス製磁器、クリスタル、金鍍金の燭台が乗ったテーブルの正しい包装紙を皆がじっくりと見ているのが見えた。
私はゆっくりと長椅子を中に入れて、床に着地した。右肩にフリッツ、左肩にスピカを従えて。
「あっ!皇女様がお戻りだわ!」
「無事でしたか、本当に良かった!」
「もう、心配でたまらず、テレグラフでザックリードハルトの皇太子まで連絡してしまいました」
途端に、八芒星が床に出現した。
ピーコックブルーのドレスに身を包み、珊瑚色の髪は高く結い上げられ、深緑のリボンと小さな金の櫛だけで飾られているディアーナ姉様だった。
テーブルの上に、焼け焦げた包装紙の破片があるのをちらっと見たディアーナ姉様は、私の姿を見て、頷いた。
食堂には、初夏の日差しが満ちていて、テーブルを覆う白いダマスク布の上には、金縁の磁器と薄いクリスタルが並び、中央には白薔薇とライラックが低く生けられていた。ナプキンの隅と銀器の柄に、アッシュクロフト家の紋章が刻まれていた。
——この紋章は私には縁が無かったわ。
悲しい気持ちで私は思った。
八芒星から、黒に近い濃紺のフロックコートを着たルイ兄様も姿を現した。寝台列車のコンパートメントで話して以来だ。
アッシュクロフト当主が、姿を現したディアーナ姉様とルイ兄様に会釈をした。
「皇太子、皇太子妃、この度は私どもの菓子に問題が見つかり、原因を皇女様に究明していただく過程で、皇女様に危険が及びました。深くお詫びいたします」
アッシュクロフト当主が一瞬ためらった。
「大変申し上げにくいことではございますが」
ほら、きた。
私は不器量で価値がない、かつて婚約破棄されたお荷物皇女、能力があっても役に立たないのだ。本当の自分を知られてしまったので、恐れられるだろう。
そんな思いで胸が苦しくなって私はうつむいた。手が震える。
「カイから、皇女様と婚約したいという意思は、すでに聞いております。これほどのお力をお持ちの方とは存じ上げませんでした。しかし、ご自身の危険を顧みず、倒れた子供と当家に及んだ累を調べ、皆を守ろうとなさるお姿も拝見しました」
当主は私をまっすぐ見た。
「その力の大きさではなく、その力を誰かのために使おうとなさるお人柄に、当家は感服いたします」
私は胸が震えた。
「ロクセンハンナ家さえご了承いただけるのであれば、是非当家のカイとの婚約を進めさせていただきたい」
私は驚いて顔を上げた。
ルイ兄様とディアーナ姉様はにっこりと微笑んだ。
「モンフォール家より、両家の婚約に向けた段取りを仲介したいと申し出がありました。是非、ロクセンハンナ家としても進めたい」
ルイ兄様がはっきりと言ってくれた。
いつの間にかカイが私の隣に来て、目を輝かせて私を見つめていた。
私は胸がいっぱいになり、泣き笑いした。
「良かったわね、ロミィ」
ディアーナ姉様が私をそっと抱きしめてくれた。
ディアーナ姉様の腕の中で、私はしばらく言葉を発することができなかった。
やがて姉様が身体を離すと、ルイ兄様は焼け焦げた包装紙へ目を向けた。
姉様は破片に手をかざして、首を振った。
「——もう、何も残っていないわ」
アッシュクロフト当主は、三枚の包装紙を照合した結果と、偽物から伸びた術式について、ルイ兄様たちへ手短に説明した。
ルイ兄様が食堂にいる全員に聞いた。
「それで、汚染を防ぐ方法について、何か分かったことはありますか?」
「一つ、分かりました」
私は迷いながらも答えた。
「確かめたいのです。エスルお姉様の絵は、汚れていませんでした。まだ分かりませんが、もしかすると、エスルお姉様がとても絵がお好きで、楽しんで描かれた絵柄が、アッシュクロフト家の認証術式を汚染から守ったからかもしれません」
私はさっき見たことから、思ったことを言った。
「寝台列車でも、誰かが温かな記憶を取り戻した場所では赤い花が萎れました。まだ確証はありませんが、同じことが起きたのかもしれません」
エスルお姉様も褒められた温かい記憶があると、蜂蜜菓子の包装紙について話していた。
私の言葉にエスルお姉様は目を丸くした。
「私の描いた絵が守るというの?」
「そうですわ」
「確かに、赤い花が少なかったのは、幼いエスルが絵を描いた包装紙でしたね」
「あぁ、確かにそうだった」
皆が口々に言った。
「昔の私は、上手に描こうとは考えていなかった。お祖母様のお菓子を、世界で一番素敵なものにしたかったのよ」
エスルお姉様は恥ずかしそうに言った。
「だから、もしかしたら、私の絵が認証術式を守るとしたら、その気持ちが大事なのかもしれないわ」
私はエスルお姉様の言葉に深くうなずいた。そして、アッシュクロフト当主にお願いをした。
「お願いがございます。村で、偽物のお菓子を食べて倒れた子供の家に案内していただけますか。毒物の治療は医師にしかできません。でも、術式の汚染まで受けているなら、私にも何かできるかもしれません」
アッシュクロフト当主は、すぐには答えなかった。
「……村は今、当家の者を、家に入れません」




