28. 十三歳の私を守ってくれて、ありがとう
肩を怒らせ、毛を逆立てた霊獣香リスは転がるハリネズミに呻くような声で怒鳴った。
「ドージーっ!」
「スピカ!」
私がスピカを気遣って慌てふためいている中で、フリッツは肩を怒らせたままだった。歯を食いしばるような見たこともない表情で呻いていた。
「ドジーッ!」
「ちょっとフリッツ!何よ、今はドジとかスピカに言う場面じゃないでしょっ!スピカは私のために……私のため……」
それ以上は言葉が出なかった。涙が溢れた。苦しむように長椅子の上で転がるスピカを両手で抱えて私は泣いた。
その長椅子の上で、フリッツは毛を逆立て、肩をいからせたまま憤怒の表情でスピカに詰め寄って行く。
「ドージーっ!」
「ちょっともう、フリッツ、なんなのよっ!」
私はフリッツを止めようとした。
「こいつがドジ過ぎるからだっ!こんなところで死ぬなんて、死にかけるなんて、ダメだ!このドジっ!」
フリッツの怒りはおさまらない。
「死んじゃダメよ、スピカ!スピカは死にかけているのよねっ!?私のためにっ!なんでもう、こうなるの?」
私は泣きじゃくって小さなハリネズミの体を抱いた。
「死んじゃダメよ、スピカ!」
「……主、抱き締めすぎ。痛い」
「スピカ!」
スピカは私の腕の中で、もそりと動いた。
「煙をまともに食らって目が回っただけだ。死にかけてはいない。大丈夫だと思う」
フリッツはヘナヘナとその場にへたり込んだ。
「この……ドジーっ!」
「オイラは主を助けたんだぞ! 最初に言うことがそれか!」
私は泣きながら言った。
「本当にスピカが死んじゃったかと思ったじゃないっ……」
「主、久しぶりだ。オイラが記憶を消してしまったおかげで、主は無駄に苦しむことになったのかもしれない。だから、オイラは死ぬに死ねないよ」
ハリネズミは針を引っ込めた小さな白い体で転がるようにして私の腕の中から降りた。
長椅子の上でひれ伏すようにして私を見ている。
「ごめんなさい。あれが正解かは、未だに解けない謎だ。オイラは主を守ろうと思って主の記憶の一部を消した。でも、本当は全部真実はそのままにしておいた方が、主は苦しまなかったかもしれない。反省しているんだ。本当にあれで良かったのか、分からない」
風で飛ばされそうになっていた真珠の耳飾りを外した。風が私の髪の毛をめちゃくちゃにしている。青紫の煙から逃げるために、私は全力で長椅子を飛ばしたのだ。
「危なかったところを、スピカは身を挺して守ってくれたわ。本当にありがとう」
私はスピカに泣きながらお礼を言った。
「そして、十三歳の私を守ろうとしてくれて、本当にありがとう。感謝しているわ」
スピカは少し、体を震わせたように見えた。
「主からその言葉を聞けるなんて、夢にも思わなかった」
急にスピカはフリッツに向かって針を出した。
「オイラが死ぬ気で主を守ったのに、なんでドジって罵るんだよ!そこは、スピカ、よくやっただろ?」
スピカは拗ねた様子で言った。
「死んだら意味ない!スピカは大馬鹿者だ。さっき見ただろ。偽物の術式が世界中の結節点を迂回していると判明したじゃないか。あんなのを作れる奴は……」
「ばか、それ以上言うな」
「いや、言わせてくれ」
「まだ紫の煙が俺の中にいたらどうするんだよっ!」
「いるのか?お前の中にまだそいつがいるのか!?」
フリッツは途端に毛を逆立ててうなり声をあげた。
スピカは全身の銀針を一度だけ立てた。針の間から、青紫の煙が糸のように一筋立ち上がった。
フリッツがそれを飛び掛かるようにして両手で叩き潰した。青紫の煙は小さな火花になって消えた。
「これで残ってないな?」
「多分な。でも、犯人の名に関わる話はまだするな」
スピカは小さな声でそう言った。
偽造術式の異様な経路は、王立魔術博物館の魔法網に近づいていた。
——王立魔術博物館に近い誰かが、本家の力を使って偽物を作っているということになる?
いや、それは分からない。
「王立魔術博物館の関係者が犯人である可能性はあるのかしら」
「まだ分からない。経路に王立魔術博物館が含まれているだけだ。乗っ取られたのか、公開術式を踏み台にされたのかもしれないが」
「では、まだまだ分からないわね……」
「そうだ。主、こんな偽装を組める奴は、並の魔術師でないぜ。相当危ないやつだ」
世界屈指の財力を誇るアッシュクロフト家の認証を偽造した。それがバレないように魔法結節点を迂回させ、偽造元に辿り着けないように、非常に手の込んだ事を仕込んでいた。
——敵は誰なの?
明らかに、私がフリッツを召喚する前から仕込まれていたものが絡んでいる。汚染は私がやらかしたことがきっかけかもしれないが、短期間にこれほどのものを仕込めるはずがない。
「術式修復は何番目の術式かしら?」
私はフリッツに聞いた。
「それは教えられない。主はさっき、またあの危険な術式を使おうとしただろ。スピカが止めていなかったら絶対に使ったはずだ。前科がある主には、術式修復は教えられない」
フリッツはそっぽを向いて、ボソッと言った。
「スピカが受けたダメージを回復する術式を教えて欲しいの」
フリッツとスピカはぽかんとした。
「オイラのダメージを回復する?そんな主は今までいたことがないぞ?」
「霊獣が受けた打撃を回復させる方法はないというの?」
私は驚いて聞いた。
「いや……苺をもらえれば……」
「分かったわ!魔力郵便車一台分の魔力を買って、スピカにあげる。そして、苺もあげるわ」
呆気に取られた様子の霊獣ハリネズミはひっくり返った。
「主、苺一皿でいい。郵便車一台分なんか食わせたら、スピカが光りながら一週間転がり続けるぞ」
フリッツは笑いを噛み殺したような表情で言った。
「戻りましょう。アッシュクロフト家の皆さんが驚いていらっしゃるでしょうから」
私は少し落胆した気持ちでそう言った。
——この騒ぎに驚いて、婚約は見送りになるかも。
——だって、会って早々に禁じられた術式を参照し、飛ぶ長椅子を飛ばしまくったわ。こんな厄介な娘は、アッシュクロフト家にはふさわしくない。
私は唇を噛み締めた。
術式を唱えてこの事態を招いてしまった。
後悔しても遅かった。
——私は、何を皆さんに背負わせたのかしら。
初夏の午後の光が、眼下の村を照らしている。
人々が畑で働き、パン屋からパンを提げて出てくる。何事もなかったように。
——ここからは、何も見えない。
赤い花も。
倒れた子も。




