26. 今、危なかったぞ
「本物の包装紙を持ってきてくださいますか?」
私はアッシュクロフト当主に頼んだ。当主なら本物をすぐに用意できるはずだ。
「それと……これは関係ないかもしれないのですが、お母様がお持ちになっている、昔エスルお姉様が花や蜂の絵を描かれたという古い包装紙を持ってきてくださいますか?三つを並べてみたいのです」
私はカイが透かしてみていた偽物だという包装紙を食堂のテーブルの上に置いた。
すぐにアッシュクロフト当主が本物を持ってきた。それをカイが日に透かしてみて、頷いた。
本物の包装紙が偽物の横に並べられた。
「持ってきましたわ」
アッシュクロフト夫人が昔の包装紙を持ってきた。裏に幼いエスルが描いたという絵が描かれていた。
「これから、包装紙に施された術式を調べます。外部には知られてはならない方法ですので、使用人の方々を下がらせてください」
アッシュクロフト当主は面食らった表情をしたが、カイが頷くので、使用人や給仕やメイドは皆下がってもらった。窓のカーテンをイヴォンヌが閉めた。
「事が事だけに皆様にお見せいたしますが、この力については、どうか他言なさらないでください」
私はそれだけ言うと深く息を吸った。
「術式顕現!」
食堂の空気が震えた。その場にいる皆が息を飲むのがわかった。
一気に無数の術式が空中に現れ、赤い花が広がっているのが見えた。
三枚の包装紙の周囲にも、赤い花びらがいくつか浮かんでいた。
けれど、幼いエスルが花と蜂を描いた古い包装紙の周りだけ、花びら一枚分ほどの空白ができている。
——どうして、エスルお姉様の絵の周りだけ、赤い花が避けているの?
気になったが、今は術式の照合が先だ。
また、パリからウィーン、ウィーンからの一本の線上には綺麗に赤い花がなく、道が通っているように見える。寝台特急が走っている線だ。
——やはりお茶会は効果があるのね。
私は内心ほっとしたが、集中を緩めず、フリッツに聞いた。
「フリッツ!行くわよ。術式照合は何番目?」
私の声でフリッツがイヴォンヌのバッスルから姿を現し、テーブルの上に乗った。腕組みをして、私を一瞬見た。
「参照するだけだぞ、主。二十一番目だ」
私は術式群の中から、二十一番目の式を展開した。
目の前のテーブルの上に置かれた三つの包装紙に焦点を当てた。金色の紋章も、蔓草の縁飾りも、私には区別がつかない。
アッシュクロフト当主が驚いて呟いた。
「三つとも違う?いや、エスルが描いた包装紙と、正しい包装紙には、アッシュクロフト家の認証術式が施されている。これが蜂蜜工房だ、包装紙工房、養蜂場、店、菓子工房だ。だが、これはなんだ……?」
三枚の包装紙から細い光が立ち上がり、そのうちの一枚からの紫の光は天井まで届いた。二枚の正しい包装紙は、ほとんど同じで、認証術式が少し違うくらいだ。
文字列は枝分かれし、壁を覆い、食卓の上を埋め尽くしていく。まるで大陸に川が流れるように、道が広がるように、それらは無数に広がって行った。
「フリッツ、これは偽物を仕込んだ手口が、巧妙に隠されていたということかしら?」
イヴォンヌが静かに言った。
「そうだ」
フリッツは線の行方を見つめながら、ボソッと言った。
アッシュクロフト当主が、椅子からゆっくり立ち上がった。
「これは……王立魔術博物館でも許されていない術式の一つではないか?」
だが、誰も答えなかった。
偽物から伸びた無数の線は、世界中の魔法網を転々としながら、どこまでも延びていた。
「フリッツ、術式遡及は何番目?」
「主、気をつけろ。向こうからもこっちが見えるから、途中でやめるんだ。七十一番目」
フリッツがしかめっつらで私に言った。
お弁当を忘れてお腹を空かせて、意味も分からない術式を唱えた結果、私は危険を招いた。
ここで止めるべきだと分かっている。
けれど、偽物の菓子を食べた子供が倒れている。
出元を突き止めなければ、また同じ被害が出るかもしれない。
自分が相変わらずバカなのか、一歩進んでいるのか、まるで分からない。
でも……。
「少しだけ遡るわ。危険があれば、すぐに切って」
だが、私に待ったをかけた人物がもう一人いた。アッシュクロフト当主だ。
「待ちなさい。ロミィ皇女。安全でなければやめた方がいい」
「でも、子供が犠牲になるのは避けたいのです。何が起きているのかもう少し調べさせてください。ご迷惑はおかけしません」
七十一番目の式を選び、その名を読み上げた。
「術式遡及」
「ウィーンの印刷工房、魔力郵便車、パリの商業組合、トラウンシュタインの閉鎖された古い魔術塔、魔力郵便車、王立魔術博物館の公開術式、エイトレンスの商取引記録のあとは……」
「やめろ、あぶない!」
フリッツが私の手を叩き、紫に点滅する枝葉が消えた。
「向こうから主が見えてしまうぞ!主、七十二番目を選べ!術式遮断だ!」
私は七十二番目の式を選び、その名を読み上げた。
「術式遮断!」
「今、危なかったぞ。主は王立魔術博物館に近づいた」
私は椅子に手をついた。膝が笑っている。
カーテンを開けたイヴォンヌが、光の眩しさに目を細めた。
窓の桟に、蜂が一匹とまっていた。
蜂蜜の土地だ。蜂ぐらい、どこにでもいる。
誰も、気に留めなかった。




