25. これは、うちの包装紙ではありません
「主、いいのか?朝じゃなくて昼だぞ?」
フリッツが私の頬をペシペシ叩いた。
「何よ……もっと寝かせて」
「主!婚家だぞ!アッシュクロフト!エントン学院のスターの家!」
——なんですって!
私の目がパシッと開いた。
ガバッと起きた。
「今何時!?」
「十一時過ぎ」
「なんですって!!!!」
私はベッドから飛び降りた。
「まずい、まずい、まずい、まずい、十五歳にもなってこれはまずいわ!」
私は慌てて衣装箱を引っかき回し始めた。
昨晩は慌ただしくご挨拶をして、私たちは寝支度も慌ただしく整えて寝た。テレサとミラが私とイヴォンヌのお世話をしてくれた。フリッツはアッシュクロフト家の面々の前では私のドレスの中に隠れていた。
真夜中も過ぎていたのだが、私は簡単に湯を浴びることはでき、ふかふかのベッドで就寝できた。
怪物との遭遇、砂漠の家への避難、寝台列車の盗難事件、元婚約者との再会。あまりに色々ありすぎて、昨夜は湯に浸かりながら眠りかけ、テレサをひやひやさせたほどだった。
朝、フリッツに起こされて目覚めた時には太陽は既に高く昇っていたのだ。
「しまったわ!アッシュクロフトの皆様に完璧なご挨拶をしなければならなかったのに!」
ちょうど同じ時刻に起きたらしいイヴォンヌもバタバタと私の部屋に入ってきた。時計の針は十一時を回っていた。
「ロミィ、出遅れてしまったわ!ここから巻き返すわよ!」
イヴォンヌはテレサとミラを従えて、私の部屋に押しかけてきて、今日のドレスを選び始めた。自分のでは勿論ない。私のドレスだ。
ディアーナ姉様の衣装ダンスから持ってきたドレスなので、少々大人っぽいドレスばかりだった。
テレサはカーテンを開け、ミラは洗面器を運び、イヴォンヌは衣装箱からブルーグレーのドレスを引きずり出した。
冷水で顔を洗う間に髪を梳かれ、髪を編まれている間に靴下を履かされた。コルセットの紐が締められると同時に、私はテレサが差し出してくれたパンへ手を伸ばした。
「あと十五分で昼食でございますが、お腹が空いたと思いますから」
テレサは私にそう言って情けをかけてくれた。初めて会う方々の前で、お腹が空いたあまりにたくさんかき込むという失態はおかせないから。
薄いペティコート、バッスル、ブルーグレーのスカートが次々と重ねられた。最後に身体へ沿うボディスを着せられた。猛烈な勢いで背中の小さな鉤を上から順に留められていく。その間にも、ミラがブルネットの三つ編みを後頭部へ巻きつけ、ピンを惜しげもなく差し込んでいた。
隣では、猛烈な勢いでイヴォンヌがライラック色のドレスを着て、フリンジの効かせたヘアスタイルに髪をまとめ上げていた。手慣れた様子で、素早くお洒落に仕上げていく。
容赦無く、昼食の鐘が鳴った。
「まだ耳飾りが片方……」
「もういいわ。片方だけで行くわ」
「それだけはおやめください!」
テレサが転がった真珠を絨毯の上から拾い上げ、私の両耳へ留めた。
「主、笑顔だ」
「フリッツ、ここで待ってて」
「嫌だね、ついていくぞ」
「フリッツ!お願い!ここで待ってて」
私はフリッツに懇願したが、霊獣香リスは頑なに首を振った。
「フリッツ、私のバッスルの影にいなさい」
「おぉ、イヴォンヌ、ありがとよ」
フリッツがイヴォンヌのドレスの影に隠れたのを見て、私は深呼吸をした。
「行くわよ」
「えぇ、ロミィ、行くわ」
私たちはメイドに導かれて食堂の扉の前に立った。
「昨夜はお疲れでしたでしょう。よくお休みになれて何よりです」
嫌味ではない言葉だと思った。
「俺も今起きたんだ」
カイが私たちに快活に言い、場は一気に和んだ。食事の席は賑やかだった。カイの両親は感じよく、私たちを丁重にもてなしてくれた。何より、カイのお祖母様は話が面白かった。
春野菜と小さな団子を浮かべた澄んだスープだった。朝食を食べ損ねた皇女には、その香りだけで空腹を隠せなくなりそうだった。続いて鱒の白ワイン蒸し、アスパラガスを添えたエステルハージ風ローストビーフが運ばれてきた。最後に、カイのお祖母様が今朝焼いてくれたという蜂蜜菓子がデザートに振る舞われた。
ウィーン宮廷風・ハンガリー風・フランス料理が混じる昼食だった。
イヴォンヌのバッスルの下から、リスの小さな手が伸びてきた。
「イヴォンヌ、苺か木苺をくれ」
どうやら、フリッツはデザートを要求しているらしい。
イヴォンヌは何食わぬ顔で一つ苺を取ると、膝の上からそっと下へ渡した。
蜂蜜菓子を一口食べたエスルが、懐かしそうに目を細めた。
「子供の頃、おばあさまが焼いた蜂蜜菓子の包装紙に、よく絵を描いたのよ。すっごくおばあさまに褒められたわ。でも『大貴族の令嬢が商売の絵など描くものではない』と言われてやめたのよ。また、描いてみようかしら?」
「あら、素敵ね。蜂や花の絵を描いていたわね。菓子の名前まで自分で考えていたでしょう」
「あぁ、思い出したわ!いつかお店で売るのと言って、おばあさまの焼いたお菓子を包む包装紙を作っていたのよね」
懐かしそうに皆が笑い出した。
——どうして、皆が急に昔の夢を話し始めたのだろう。
私はやはり不思議に思った。
「エスル、実はあなたの描いた包装紙をまだ持っているのよ」
「お母様ったら!私も久しぶりに見てみたいわ」
その会話の流れで、イヴォンヌが切り出した。
「実は、ちょっとしたお店を試験的に開いてみたいのです。私たちの学院は来週までお休みなのです。アッシュクロフト領の村で、お店を開かせていただくことはできますでしょうか。是非お力をお借りしたいです」
私も続けた。
「そのお店では、村人の方々がほっと一息をつきに来れるようなお店にして、おばあさまの焼き菓子や、カイの焼き菓子とお茶をお出ししたいのです。もちろん、エスル様の包装紙で包んだりして」
エスルがパッと顔を輝かせた。
「素敵!ぜひやりましょう」
そこにカイの母親が思いついたように言った。
「ちょうど良い物件があるの。私も子供の頃、お店屋さんをするのが夢だったのよ。貴族に嫁入りするからダメだと諭されたけれど、諦めきれない夢よ。私はメニューを考えるのが大好きで、よく私の母に褒められたのよ」
「まぁ、素敵ですわ」
「お母様のそんな話、初めて聞いたよ」
イヴォンヌとカイは私に目配せをした。二人とも嬉しそうに笑った。
「午後、よかったら皆で場所を見に行きましょう。歩いて森を抜けていけば、良い散歩になりますわ」
「いいですね、お母様、私も是非見に行きたいですわ」
「えぇ、みんなで行きましょう。お婆さまも、いかが?」
「そうね。私も行きましょう」
ちょうどその時、慌てふためいた使用人が食堂に駆け込んできて、何事かをカイの父親であるアッシュクロフト当主に耳打ちした。
途端に、アッシュクロフト当主は眉をひそめた。
「あなた、どうされましたか?」
代わりに、使用人が説明した。彼の顔色も悪い。
「奥様、大変です。村の菓子店で騒ぎが起きています」
「菓子店で?」
「アッシュクロフト家の蜂蜜を使った菓子を食べて、子供が倒れたと……」
「なんですって!?」
使用人は、手に蜂蜜菓子の包みを握っていて、それを差し出した。
包装紙には、アッシュクロフト家の紋章が金色で印刷されているようだ。
カイがその包装紙の紋章を日に透かして何かを確かめている。
「村では、アッシュクロフト家の菓子に毒が入っていたと騒ぎになっています」
カイのお祖母様の顔から、笑みが消えた。
だが、次のカイの言葉で、皆はハッと顔を見合わせた。
「これは、うちの包装紙ではありません。紋章の透かしが違います」
イヴォンヌのバッスルの陰から、霊獣フリッツがほんの少しだけ顔を出した。
丸い瞳から、すっかり眠気が消えていた。
「主、置いていくなよ。俺も村へ行く」




