24. アッシュクロフト領到着
食堂車で昼食を楽しんだあと、午後の間はイヴォンヌとカイと一緒にコンパートメントを訪問して回った。車掌の取り計らいでちょっとしたお菓子とお茶を振る舞ってもらえたのだ。
フリッツは私のドレスの影に隠れて身を潜めていた。
ある人は、絵を描くのが上手で褒められた事を思い出して、絵を再開してみようとか、ある人は読み聞かせがとても上手いと褒められた事を思い出して、教会の催しに参加してみようとか、人々が遠くを見る目つきになり、温かい記憶に触れて笑みを浮かべ、次第に今の生活に取り入れてみようと活き活きし始める様を見るのは、楽しい事だった。
イヴォンヌはとても話を聞くのが上手だった。時々、学者のように彼らの話を総括したり、何か分からない前世の知識とやらを駆使しているのか、世話好きの彼女は新たな才能を発揮していた。
「楽しいな」
「えぇ、こんなに楽しいなんて思わなかった」
私とカイは、イヴォンヌの様子を見ながら時々微笑みあっていた。
豪華寝台列車の中では、使用人たちも少しは休憩できるらしく、私たちは恐縮されながらも歓迎を受けた。お茶とお菓子を振る舞ったこともあり、使用人たちにも歓迎されたのだ。
一番最後に残ったのは、ジュリアンのコンパートメントだった。彼とは朝食の食堂車で会ったきりだった。
私は会いたくなかった。傷口をえぐるようで、悲しみが広がるような気がしたのだ。
ノックして出てきた彼は、フリッツの威嚇するような眼差しにタジタジとなり、両手を後ろに隠して後ずさった。
「お茶とお菓子のサービスがございます」
最初に出会ったのが菓子店の前だった記憶がある。彼は菓子が好きだったはずだ。
「あ、いや、いい!結構だ」
ジュリアンはすぐにコンパートメントの扉を閉めようとした。ダークブロンドの髪を無造作にかき上げて、物憂げな様子で扉を開けた彼のヘーゼルの瞳は、私を見るなり、途端に警戒するように目をひそめたのだ。
私の力が及ばない人もいるということだ。当時、彼と私は結構おしゃべりをした。皇国の生意気な皇女だった私は、それまではあまり拒まれる経験もせず、のびのびと育っていたから。
「今回、失礼な物言いをしたのは謝る。私を君が追ってきたはずがなかった。私がどうかしていた」
かしこまった言い方で、ジュリアンは丁寧に謝った。そこにカイが割って入った。
「アッシュクロフトのカイと申します。僕たちは婚約するんです。昨日、皇太子と皇太子妃にご挨拶をしました。僕の実家に皇女をこれからお連れして、家族に引き合わせます。婚約の手続きは速やかに進めますので、まもなく発表されます。僕はロミィ嬢に本気ですから、ご心配なく」
カイのブルーの瞳は真剣だった。
タジタジとなったジュリアンは、後ずさった。
「君、本気で……?」
「もちろん。僕はロミィ嬢が大好きなんです。金環日食を見に行ったロミィ嬢のそばにいた時から、彼女が頭から離れない」
「き……君は、飛ぶ長椅子とか、伝説の乗り手だとか、ザックリードハルトの皇女だとか、そういう肩書きを自分のコレクションに入れたいだけでは?君は私の後輩に当たる。セント・エントン王立学院きってのスターだと君の噂を聞いたことがある。他の貴族令嬢たちはこぞって君にのぼせていると聞いた。そんな君なら、誰とでも愛のある結婚ができるはずだろう?肩書きの方が君も好きなのか?」
ジュリアンはカイに向かって早口で確認した。ヘーゼルの瞳は必死に確認したいという熱を帯びていて、怖いぐらいだった。
「それは、あなたが私にしようとしたこと?」
私は静かに聞いた。
ジュリアンは黙った。
カイが口を開いた。
「肩書きなんて関係ないのです。ロミィ嬢のそばにいたとき、祖母の台所で蜂蜜菓子を作っていた頃のことを思い出したんだ」
カイは、少し恥ずかしそうに笑った。
「誰かに勝たなくても、立派な跡継ぎに見せなくても、好きなものを好きだと言えた頃の自分だ。祖母に褒められて、ただ嬉しかった」
カイは続けた。
「ロミィ嬢は、僕が好きだった自分を思い出させてくれた。彼女のそばでは、肩書きがなくても僕は僕でいられる。だから、僕はロミィ嬢が好きなんだ」
カイは真っ赤だった。
「こう……なんとういうか、本当の自分でいられるというか、心のうちがもの凄く温かいもので満たされて、本来の自分の中で最も素晴らしい自分でいられる位置のような、目指すべき場所が道標のように心にあるのが分かるというか……彼女といるとそんな気分になれるのです。自分はたいした人間ではないという馬鹿げた気持ちから解放されるし、最高の気分です。ほっとするし、自然に頑張れるし、何より落ち着くんです」
カイの言葉にジュリアンはよろよろと後退り、崩れ落ちた。
「俺にも、一瞬あったなぁ……でも、なんで間違ったんだろう……利用しよう、騙してやろうという思いが勝ってしまった。ロミィ、君の周りには、その力を悪用しようとする人間が必ず集まる。俺がそうだった。だから、今度は見誤るな」
「ジュリアン、謝罪は受け取ります。でも、もうあなたに私の価値を決めさせることはありません」
「……すまなかった」
扉が勢いよく閉まり、直後に「ぎゃっ!」という悲鳴が聞こえた。どうやら自分の指を挟んだらしい。
「大丈夫か?」
「大丈夫なのかしら」
カイとイヴォンヌが慌ててノックしたが、中からは「帰ってくれ!」という叫び声しか聞こえなかった。
私たちはジュリアンのコンパートメントから離れた。
もう、夕方になり、綺麗な夕日と共にウィーンに列車が近づいて行くのが分かった。早めの慌ただしい夕食を食堂車で取る乗客に紛れて、私たちも簡単な夕食をすませた。
大都市ウィーンに到着すると、地元の列車に乗り継いだ。執事のレイトンとテレサとミラとは午後あまり話せなかったが、三人とも笑顔だった。
「お嬢様の大活躍を私たちも聞いて、鼻高々でしたわ!」
「本当に、素晴らしいご活躍でした」
三人に口々に言われて、私は恥ずかしかった。
最後の駅に到着すると、もう夜の9時だった。そこには、アッシュクロフト家の出迎えの馬車が待っていた。私とイヴォンヌ、カイは一緒の馬車に乗り、真っ暗闇に見える道をごとごと馬車で揺られてアッシュクロフト領に入った。
真夜中を回った頃、馬車はアッシュクロフト家の領地へ入った。
村は眠っていた。けれど丘の上に建つ屋敷だけは、夜空に浮かぶ城のように明るかった。ゆっくりと門が開き、馬車道の両側へ、松明を掲げた使用人たちが静かに並んでいた。
「村には知らせていない」
カイが言った。
「でも、家の者には伝えた。君を暗い玄関へ迎え入れたくなかったから」
私はイヴォンヌと手を繋いだ。
イヴォンヌは私の恐怖が理解できる。前回、婚約破棄されて私が二年間も引きこもったのをイヴォンヌは知っている。
「大丈夫、ロミィ」
私の顔を見てぎゅっと手を強く握り締めてくれた。私もイヴォンヌの顔を見てうなずいた。
——今度こそ。
ずらりと松明が掲げられる中、馬車はごとごとと進んだ。帝国最大と称され、世界でも指折りの富を持つアッシュクロフト家の本邸の屋敷に馬車は着いた。
馬車から降りる時、カイが手を貸してくれた。
「ようこそ、皇女さま」
「ようこそ、モンフォール伯爵令嬢」
カイの両親、そして姉、祖母が、私とイヴォンヌを出迎えてくれた。
——ここが、私の婚家なのだろうか?
心臓の音が早鐘のように鳴った。
カイの祖母が、家族の列から一歩前へ出た。
私を頭の先から足元まで見つめたあと、ゆっくりと微笑んだ。
「あなたが、あの子にもう一度お菓子を作らせてくれたお嬢さんね」
——この方が、カイのお婆様。




