第九話:精度という差
カン、カン、と乾いた音が奥から響いていた。
削る音。削り直す音。何度も繰り返す音。
酒場の喧騒とは別の、静かな集中。
「まだかよ」
荒い少年が奥をちらりと見る。
「うるせえ、待て」
誰かが言い返す。
客たちは落ち着かない様子で、酒を飲みながら待っていた。
理由は一つだ。
“もっといいやつ”ができるらしい。
その一点だけで、これだけ人が残っている。
(期待値は十分だな)
俺は壁にもたれながら、耳を澄ませていた。
音のリズムが変わる。
削るだけじゃない。
整えている。
合わせている。
(ちゃんとやってるな)
やがて。
「……できた」
低い声。
酒場の空気が、一瞬で引き締まる。
奥から、あの男が戻ってきた。
手には数本のダーツ。
今までの木片とは違う。
細い。まっすぐだ。無駄がない。
「ほらよ」
一本、俺に投げてよこす。
受け取る。
軽い――いや、軽すぎない。
ちょうどいい重さ。
指に乗せた瞬間、分かる。
(……いいな)
重心が安定している。
軸がぶれない。
先端の角度も均一。
「どうだ」
男が聞く。
「悪くない」
短く答える。
「試す」
壁の前に立つ。
酒場が静まる。
全員が見ている。
構える。
いつもと同じ。
だが、手の中の感触が違う。
(行けるな)
――投げる。
音が違った。
軽く、深く、迷いなく。
中心に刺さる。
「……おい」
誰かが息を呑む。
二投目。
同じ軌道。
同じ場所。
三投目。
わずかにずれるが、それでも内側。
沈黙。
それから、爆発するようなざわめき。
「なんだそれ!」
「さっきよりやべえぞ!」
「全然違うじゃねえか!」
荒い少年が飛び出してくる。
「貸せ!」
無言で渡す。
構えて、投げる。
一投目。外側。
だが――
「……ぶれねえ」
小さく呟く。
二投目。中。
三投目。さらに近い。
「当てやすい……!」
最初の子供も試す。
「これ、さっきのと全然違う!」
外しても、安定している。
壁への刺さりも深い。
「すげえな……」
周りがざわつく。
職人の男は腕を組んで、静かに見ている。
「当然だ」
一言。
「無駄を削った」
それだけで説明は終わりだ。
だが、十分だった。
「いくらだ?」
誰かが聞く。
男はちらりと俺を見る。
値段は任せる、という視線。
俺は少し考えてから答えた。
「一本、銀貨一枚」
一瞬、静まる。
「……高えな」
「さっきの何倍だよ」
当然の反応だ。
だが、問題ない。
「でも、さっきの見ただろ」
俺は壁を指す。
中心に刺さった跡。
ほぼ同じ位置に三本。
「違いはある」
短く言う。
沈黙。
それから、ゆっくりと。
「……一本くれ」
最初に言ったのは、さっきの大人の男だった。
銀貨を一枚、机に置く。
「試す」
「どうぞ」
一本渡す。
男はすぐに構えた。
一投目。
中。
「三」
二投目。
さらに寄る。
「三」
三投目。
中心に近い。
「五だな」
ざわめき。
「おい……」
「さっきより上がってるぞ」
男はダーツを見つめる。
それから、小さく笑った。
「なるほどな」
納得した顔だった。
「もう一本だ」
銀貨を追加で置く。
それを見て、他の客も動き始める。
「……じゃあ俺も」
「一本だけな」
「くそ、欲しくなってきた」
硬貨が、次々と置かれていく。
(成立だな)
今度は、完全に。
ただの遊びじゃない。
道具に価値がある。
性能に金を払う。
当たり前の流れだ。
荒い少年が、少し悔しそうに言う。
「……俺も欲しい」
「買えばいい」
「金がねえ」
「じゃあ貯めろ」
即答。
「……ちっ」
舌打ちしながらも、納得している顔だった。
最初の子供は、黙って壁を見ている。
中心の跡。
何度も見ている。
(変わるな)
この一本で、基準が変わる。
当たる精度。
狙う感覚。
全部、底上げされる。
俺は手の中のダーツを軽く回した。
(いい流れだ)
遊びから始まったものが、形を持ち始めている。
道具。
ルール。
場。
全部、揃いつつある。
「次」
誰かが言う。
「やるぞ」
また一人、前に出る。
新しいダーツを手に。
構えて、投げる。
音が変わる。
刺さり方が変わる。
ざわめきが広がる。
――違いは、もう隠せない。
ダーツは、次の段階に入っていた。




