第三話:初めての勝負
壁に向かって、木片が飛ぶ。
乾いた音とともに、印の少し外側に刺さった。
「くそ、またズレた……!」
舌打ちしながら、さっきの子供が木片を引き抜く。
二話目から何度も繰り返している光景だ。外して、拾って、また投げる。そのうち少しずつ近づいて、たまにいいところに刺さる。
そのたびに、あいつの顔は少しだけ変わる。
(いい傾向だな)
俺は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
教えすぎない。言いすぎない。ただ、投げさせる。
それだけで、勝手に覚えていく。
――そのはずだった。
「何やってんだ、お前ら」
低くて、少し荒い声。
振り返ると、少し年上の少年が立っていた。体つきもがっしりしていて、明らかに力が強そうだ。
こちらを見下ろすようにして、鼻で笑う。
「石投げて遊んでんのか?」
「ちげえよ、これは――」
反論しかけた子供の言葉を、俺が軽く手で制した。
「ダーツだ」
代わりに答える。
「だーつ?」
聞き慣れない単語に、眉をひそめる。
「投げて、当てる遊び」
簡潔に説明すると、そいつはふっと笑った。
「くだらねえな。そんなの、力で投げりゃ当たるだろ」
そう言いながら、地面に落ちていた木片を一本拾い上げる。
指先で軽く弄び、壁の印をちらりと見る。
「こんなの、こうだろ」
大きく振りかぶって――投げた。
木片は勢いよく飛んだが、途中で大きくブレて、印から外れた場所に突き刺さる。
「……あ?」
本人が一番納得していない顔をした。
「もう一回だ」
今度はさらに強く投げる。
だが結果は同じ。壁には当たるが、印には届かない。
後ろで見ていた子供が、にやりと笑った。
「な?当たんねえだろ」
「うるせえ」
睨み返しながら、もう一本拾う。
三投目。
今度は少しだけ力を抑えたが、それでも狙いからは大きく外れた。
沈黙。
それから、ゆっくりとこちらを見る。
「……なんでだ」
さっきまでの余裕は消えている。
俺は肩をすくめた。
「狙ってないからだろ」
「狙ってるに決まってんだろ!」
「違うな」
一歩だけ近づいて、壁の印を指さす。
「そこに当てるつもりで投げてない」
「はあ?」
理解できない、という顔。
まあ当然だ。
「力で飛ばしてるだけだと、当たらない」
「じゃあどうすりゃいいんだよ」
「知らない」
即答すると、相手は一瞬固まった。
「は?」
「自分で探せ」
教える気はないわけじゃない。ただ、最初から答えを渡すつもりもない。
そのやり取りを見ていた子供が、口を挟む。
「でも、こいつは当てるぞ」
「……ああ?」
視線が、再び俺に向く。
値踏みするような目。
「お前、できんのか」
「まあな」
短く答える。
しばらくの沈黙のあと、そいつは口の端を歪めた。
「じゃあ、勝負しようぜ」
来たな、と思った。
「勝負?」
「どっちが当てられるかだよ。簡単だろ」
壁の印を顎で示す。
「三回投げて、近い方の勝ち」
ルールとしては悪くない。むしろ分かりやすい。
「で、何賭ける」
そう聞くと、少しだけ考えてから、ポケットを漁る。
出てきたのは、小さな硬貨だった。
「これでどうだ」
この世界の価値はまだよく分からないが、少なくとも“何か”を賭けるつもりはあるらしい。
横で子供が慌てる。
「おい、やめとけって」
「うるせえ。お前もやるか?」
「やるに決まってんだろ!」
結局、三人での勝負になった。
順番はじゃんけん……は通じないので、適当に決める。
最初は、荒い少年。
二番目が、さっきの子供。
最後が、俺だ。
「見てろよ」
言って、構える。
やはり力みが強い。
一投目。壁には当たるが、印からは遠い。
二投目。さらに外す。
三投目。少しだけ近づいたが、それでも中心には程遠い。
「……くそ」
悔しそうに舌打ちする。
次は、子供の番。
深呼吸して、構える。
一投目。印の外側。
二投目。少し近づく。
三投目。今までで一番いい位置に刺さった。
「よっしゃ!」
思わず声が出る。
荒い少年が、顔をしかめる。
「……まあまあだな」
強がりだ。
そして、最後。
「お前だ」
視線が集まる。
俺は特に気負うこともなく、木片を一本手に取った。
足を決める。呼吸を整える。
――投げる。
音は小さい。
だが、木片は迷いなく中心に突き刺さった。
「……は?」
小さく、声が漏れる。
二投目。
ほぼ同じ場所。
三投目。
わずかにずれているが、それでも中心圏内。
沈黙。
誰も何も言わない。
やがて、荒い少年が息を吐いた。
「……なんだよ、それ」
納得いかない顔のまま、頭を掻く。
子供の方は、目を丸くしていた。
「すげえ……」
俺は肩をすくめる。
「こんなもんだ」
「こんなもんで済ませんなよ……」
ぼそりと呟いて、地面に視線を落とす。
少しの間黙ったあと、顔を上げた。
「もう一回だ」
さっきよりも、少しだけ真剣な目。
「今度は負けねえ」
俺は小さく息を吐く。
「好きにしろ」
壁には、まだ印が残っている。
その前に、三人。
さっきまで一人だった場所が、いつの間にか賑やかになっていた。
――勝ち負け。
それが入っただけで、空気が少し変わる。
木片が、また一本、空を切った。




