第二話:それは何だ?
木片が壁に突き刺さったまま、微かに揺れている。
さっき投げた一投。その余韻が、まだ指先に残っていた。
(……悪くない)
前世と同じ感覚。むしろ、体が軽い分だけ精度は上がっている気さえする。
もう一本、と手に取ろうとして――ふと、違和感に気づいた。
背中に、視線。
ゆっくりと振り返る。
少し離れたところに、子供が一人立っていた。俺と同じくらいの年齢だろうか。何も言わず、ただこちらをじっと見ている。
目が合う。
数秒の沈黙。
やがて、そいつは口を開いた。
「……それ、なに?」
予想通りの言葉だった。
俺は手に持っていた木片を軽く持ち上げる。
「ダーツっていう」
「だーつ……?」
聞き慣れない単語に、首をかしげる。
まあ、当然だ。この世界にあるはずがない。
「投げて、当てるやつ」
簡単に言い換えると、今度は少しだけ理解したような顔になる。
「当てる……?」
「的に」
そう言って、俺は壁に残っている印を指さした。
丸く、適当に描いただけの目印。前世で使っていたボードとは比べものにならないほど粗いが、狙うには十分だ。
「見てろ」
構える。
足の位置を決めて、肩の力を抜く。指先に意識を集中させる。
――投げる。
木片はまっすぐに飛び、迷いなく印の中心に吸い込まれた。
コン、と軽い音。
「……え」
小さく、声が漏れる。
もう一本、同じように投げる。今度もほとんど同じ場所に刺さった。
「な、なんでそんな当たるんだよ」
ようやく感情が追いついたのか、子供が一歩近づいてくる。
「狙ってるから」
「そんな簡単に言うなよ……」
眉をしかめながら、刺さった木片と俺の手元を交互に見る。
少し迷ったあと、俺は手に持っていた一本を差し出した。
「やるか?」
「え?」
「投げてみろよ」
受け取った木片を、子供はしばらく見つめていた。先端の尖り具合や、簡単な羽の部分を指で触って確かめる。
「……こうか?」
見よう見まねで構える。
フォームはぐちゃぐちゃだ。力も入りすぎている。
だが、それでいい。
「適当でいいから、あそこ狙え」
壁の印を指す。
子供は一度だけ深呼吸をして――思いきり腕を振った。
放たれた木片は、途中で大きく軌道を逸れて、壁のずっと手前に落ちた。
「……は?」
本人が一番驚いている。
もう一度拾って、今度は少し慎重に投げる。
今度は壁には届いたが、印からは大きく外れた。
「全然当たんねえじゃん!」
思わず声が大きくなる。
俺は肩をすくめた。
「そんなもんだよ」
「お前が当てすぎなんだって!」
「最初はみんな外す」
そう言って、もう一本手渡す。
子供はむっとした顔をしながらも、再び構えた。
今度は少しだけ、さっきより丁寧だ。
腕を振る。
木片は壁に当たり、印の外側――それでも、さっきよりは近い場所に刺さった。
「……お?」
本人も気づいたらしい。
目が少しだけ変わる。
「今、近かったな」
「たまたまだろ」
「じゃあもう一回やってみろよ」
言うと、舌打ちしながらも木片を抜きに行く。
三投目。
さっきより、さらに意識しているのが分かる。
投げる。
今度は、印のすぐ横に刺さった。
中心ではない。だが、確実に近づいている。
「……っ」
声は出さないが、分かりやすく顔が緩んだ。
その表情を見て、少しだけ懐かしい感覚がよみがえる。
初めてまともに当たったときの、あの感覚。
「な?」
俺は軽く笑う。
「当たると、ちょっと気持ちいいだろ」
子供は一瞬だけ黙って、それから小さくうなずいた。
「……まあ」
ぶっきらぼうな返事。でも、その手はもう次の一本を拾っている。
「もう一回やる」
「好きにしろ」
壁に向かって、また木片が飛ぶ。
今度は少し外れた。けれど、さっきほどではない。
外して、拾って、また投げる。
その繰り返し。
気づけば、最初に声をかけてきたときの警戒は消えていた。
「なあ」
投げ終えたあと、子供がこちらを見る。
「これ、なんて言ったっけ」
「ダーツ」
「ダーツ、か……」
口の中で転がすように呟く。
それから、少しだけ考えて――
「またやっていいか?」
そう言った。
俺は一瞬だけ空を見上げて、それから答える。
「いいぞ」
風が、少しだけ吹いた。
さっきまで一人だった場所に、もう一人分の音が増えている。
それだけのことなのに、どこか少しだけ違って感じた。
木片が、また一本、空を切る。
――まだ小さいけれど。
確かに、何かが始まっていた。




