第一話:最初の一投
夜の帰り道、指先にまだ残っている感覚を、俺は何度も確かめていた。
――惜しかったな。
最後の一投。狙いは悪くなかった。フォームも崩れていない。だが、ほんの数ミリ外れた。ブルの外側、シングルの20。
「……あと少し、だったんだけどな」
誰に言うでもなく、独りごちる。
仕事終わりのダーツバー。週に何度も通って、それでも届かない場所がある。プロを目指すなんて、もう口に出せる歳でもない。それでも、投げることだけはやめられなかった。
理由は、ひとつだ。
ダーツは――人を繋ぐからだ。
隣の見知らぬ客と、自然に言葉が交わせる。勝っても負けても笑える。あの空間が、好きだった。
だからいつか、自分の店を持ちたかった。
誰でも来られて、気軽に投げて、少しだけ話して帰れるような場所を。
「……まあ、その前にブル入れろって話か」
苦笑して、空を見上げる。
街灯が滲んだ。
その瞬間だった。
強い光。耳鳴り。体が宙に浮く感覚。
――ああ、これ、まずいな。
思ったところで、意識は途切れた。
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次に目を開けたとき、世界はまるで違っていた。
ぼやけた視界。うまく動かない体。妙に近い天井。
声を出そうとして、代わりに漏れたのは――
「……ぁ」
赤ん坊の声だった。
理解が追いつかない。だが、ひとつだけはっきりしている。
俺は――生きている。
しかも、どうやら別の人生として。
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それからの時間は、あっという間だった。
言葉を覚え、歩けるようになり、周囲の世界を少しずつ理解していく。
ここは、剣と魔法の世界らしい。
火を出す者がいて、風を操る者がいる。俺の知っている常識は、ほとんど通用しない。
だが――
ひとつだけ、変わらないものがあった。
投げる、という感覚だ。
石ころを拾って、軽く指で弾く。
す、と伸びる軌道。
狙った場所へ、吸い込まれるように届く感覚。
(……残ってる)
体は子供でも、感覚は消えていない。
それが、妙に嬉しかった。
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ある日、俺は小さな木片を拾った。
細く削り、先を尖らせる。
羽の代わりに、葉を裂いて差し込んだ。
出来上がったそれは、ひどく歪で――それでも、俺にとっては十分だった。
(ダーツだ)
胸の奥が、わずかに熱くなる。
家の裏手。誰もいない壁に、小さく印をつける。
距離を測る。呼吸を整える。
足の位置。肩の力。指先のかかり。
全部、覚えている。
「――いける」
小さく呟いて、腕を振った。
放たれた木片は、真っ直ぐに飛ぶ。
ぶれない。落ちない。
そして――
コン、と軽い音を立てて、印の中心に突き刺さった。
「……」
一瞬、時間が止まる。
次の瞬間、遅れて実感が押し寄せた。
(当たった)
ただ当たった、それだけのことなのに。
心臓が、うるさいほどに鳴っている。
指先が震える。
視界の端に、淡い光が浮かんだ気がした。
だが、そんなことはどうでもいい。
もう一度、木片を構える。
今度は、少しだけ意識して投げる。
さっきよりも、丁寧に。
――投げる。
再び、中心。
ほとんど同じ場所に、突き刺さる。
「は……」
思わず、笑いが漏れた。
できる。
この世界でも、俺は――投げられる。
それだけで、十分だった。
いや、違う。
それだけじゃ、終わらせない。
「……やるか」
誰もいない場所で、小さく呟く。
前の人生で、届かなかったもの。
作れなかった場所。
繋げきれなかった人の輪。
今度こそ。
この世界でなら、できるかもしれない。
ダーツで、人を繋ぐ場所を。
そのために、まずは――
「もっと、ちゃんとしたの作るか」
手の中の歪な木片を見て、苦笑する。
粗末でもいい。小さくてもいい。
ここから始めればいい。
――最初の一投は、もう終わった。
なら次は、二投目だ。




