第十二話:親への相談
家に帰る頃には、空はすっかり暗くなっていた。
酒場の熱がまだ体に残っている。
ざわめき。笑い声。硬貨の音。
そして――
(外でもできる)
頭の中で、同じ言葉が何度も繰り返される。
扉を開ける。
「ただいま」
「遅い」
すぐに返ってきた声は、いつも通り落ち着いていた。
台所に立っているのは母親だ。
火にかけた鍋から、湯気が上がっている。
「どこ行ってたの」
「酒場」
「……そう」
一瞬だけ、手が止まる。
だが、それ以上は何も言わない。
完全に知られていないわけではないらしい。
「父さんは?」
「奥」
短く返される。
俺はそのまま奥の部屋へ向かった。
扉を軽く叩く。
「入るぞ」
「入れ」
低い声。
中に入ると、父親が椅子に座っていた。
書類のようなものを広げている。
顔を上げ、こちらを見る。
「どうした」
単刀直入だ。
無駄な前置きは通じない。
(まあ、いいか)
俺は少しだけ間を置いてから、言った。
「外に行きたい」
沈黙。
父親の視線が、わずかに変わる。
「外、とは」
「この街の外」
「……理由は」
当然の問いだ。
ここで曖昧にすると、通らない。
俺は言葉を選ぶ。
「ここじゃ、足りない」
父親は何も言わない。
ただ、続きを待っている。
「人が増えた」
「知っている」
「場所が足りない」
「それも知っている」
短い応答。
だが、否定はされない。
「他でもできる」
そう言うと、父親の目が少しだけ細くなる。
「確証はあるのか」
「ない」
正直に答える。
「でも、ここでできた」
それで十分だ。
「なら、外でもできるはずだ」
沈黙。
父親はしばらく考えるように視線を落とす。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「危険は理解しているか」
「してる」
「魔物が出る」
「知ってる」
「盗賊もいる」
「聞いた」
「死ぬこともある」
「……ああ」
言葉にすると、重い。
だが、目は逸らさない。
父親はじっとこちらを見る。
「お前はまだ子供だ」
「分かってる」
「力も、経験も足りない」
「……分かってる」
その通りだ。
今のままでは、通用しない。
酒場の中とは違う。
外は別の世界だ。
「それでも行くのか」
一拍。
俺は答える。
「行く」
迷いはない。
父親はしばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと息を吐く。
「……無理だな」
即答だった。
「今のままでは」
(だよな)
予想通りだ。
「条件がある」
続けて言う。
「一年だ」
「一年?」
「この街で鍛えろ」
視線が、まっすぐに向く。
「外で通用する力をつけろ」
「……」
「それができなければ、出さない」
明確な線引き。
「できるなら」
わずかに間を置く。
「止めはしない」
その一言で、空気が変わる。
許可ではない。
だが、拒絶でもない。
(……十分だ)
俺は小さくうなずく。
「分かった」
「軽く言うな」
父親の声が少しだけ低くなる。
「一年は長い」
「分かってる」
「途中で折れるなら、最初からやるな」
「やる」
即答する。
父親はしばらくこちらを見て、それから視線を外した。
「……勝手にしろ」
それが、終わりだった。
部屋を出る。
台所に戻ると、母親がこちらを見ていた。
「話したの」
「ああ」
「どうだった」
「一年」
「……そう」
小さく息を吐く。
「危ないこと、するの」
「するかもしれない」
正直に答える。
「でも、やる」
母親はしばらく黙っていた。
それから、鍋の火を弱める。
「ちゃんと食べなさい」
それだけ言った。
反対も、引き止めもない。
だが、何も思っていないわけじゃない。
(……分かってる)
俺は席に座る。
出された料理を見下ろす。
温かい。
当たり前の食事。
この場所。
この時間。
全部、今はまだここにある。
「いただきます」
小さく言って、箸を取る。
一口、食べる。
(……うまいな)
ふと、思う。
これも、いつか持っていけるだろうか。
別の街で。
別の場所で。
ダーツと一緒に。
人が集まる場所で。
(やることは決まったな)
一年。
長いようで、短い。
その間に、全部揃える。
技術も。
力も。
足りないものを。
俺は静かに食べ続ける。
頭の中では、もう次が動き始めていた。




