第十一話:ここでは足りない
その日は、最初から人が多すぎた。
扉を開けた瞬間、いつものざわめきに混じって、少し違う空気を感じる。
「おい、押すなって!」
「順番だろ!」
「まだ入れねえのかよ!」
入口付近で、人が詰まっている。
中を見れば、いつもの壁の前はすでに人だかりだ。
(……増えすぎだな)
昨日よりも、さらに多い。
顔ぶれも少し変わっている。噂を聞いて来たのか、見たことのない連中が混じっていた。
「おい、来たぞ!」
誰かが俺に気づく。
それだけで、ざわめきが一段大きくなる。
「早く始めろ!」
「順番決めろって!」
「俺先に並んでたんだぞ!」
声が重なる。
だが――
「待て」
低い声が割って入った。
店主だ。
カウンターの奥から出てきて、腕を組んでいる。
「……騒ぎすぎだ」
一瞬で、空気が締まる。
「ここは遊び場じゃねえ。店だ」
静かな声だが、重い。
誰も反論できない。
「酒も頼まねえで場所だけ使うな」
ぐるりと見回す。
「これ以上増やすなら、やらせねえぞ」
完全に、釘を刺された。
沈黙。
さっきまでの熱が、一気に冷える。
(……当然だな)
ここは酒場だ。
本来の客もいる。
騒ぎすぎれば、止められる。
それだけの話だ。
「……どうする」
荒い少年が、小さく聞く。
「外でやるか?」
「場所がねえだろ」
別の声。
「広いとこ……」
「そんなとこ、ねえよ」
ざわめきは戻るが、さっきとは違う。
困惑と不満が混じっている。
俺は壁を見る。
傷だらけの木。
ここから始まった場所。
だが――
(足りない)
人も、場所も。
広がるには、狭すぎる。
「なあ」
ふと、横から声がした。
振り返ると、見慣れない男が立っている。
旅装だ。
背負い袋。埃をかぶった靴。
「これ、他でもやってんのか?」
「他?」
「別の街だよ」
顎で外を示す。
「こんだけ人集まるなら、売りになるぞ」
商人だろうか。
目が、値踏みしている。
「街を回れば、もっと稼げる」
軽く言う。
「……回る?」
その言葉が、引っかかった。
「知らねえのか」
男は肩をすくめる。
「この先に、でけえ街がある。王都じゃねえが、そこそこ人はいる」
「へえ」
「酒場も多い。客も多い」
そこで、にやりと笑った。
「こういうの、好きなやつも多いぞ」
一瞬、酒場の喧騒が遠くなる。
頭の中に、別の光景が浮かぶ。
知らない街。
知らない酒場。
知らない人間。
そこでも――
投げる。
当てる。
笑う。
(……できるか?)
いや。
できるはずだ。
ここでできたことが、他でできない理由はない。
「おい」
荒い少年が声をかける。
「どうすんだよ」
周りも見ている。
順番待ちの列。
入りきれない人間。
店主の視線。
全部が、同時にある。
俺はゆっくりと息を吐いた。
「……今日は、ここまでだ」
「はあ!?」
すぐに不満の声が上がる。
「なんでだよ!」
「まだやれるだろ!」
「順番来てねえぞ!」
分かっている。
だが――
「場所が足りない」
一言で切る。
「これ以上は無理だ」
沈黙。
納得はしていないが、理解はしている顔。
「じゃあどうすんだよ」
誰かが聞く。
俺は少しだけ考えてから、答えた。
「増やす」
「増やす?」
「場所を」
外を見る。
扉の向こう。
街の外。
さらに、その先。
「ここだけじゃ足りない」
静かに言う。
「他でもやる」
ざわめき。
「他って……」
「どこだよ」
「決まってねえ」
だが、それでいい。
「探す」
短く言う。
荒い少年が、じっとこちらを見る。
「……行くのか」
「多分な」
「……ちっ」
舌打ち。
だが、引き止めはしない。
最初の子供が、不安そうに言う。
「戻ってくるか?」
その質問に、少しだけ考える。
それから答えた。
「分からない」
正直に。
「でも、ここで終わりじゃない」
それだけは、はっきり言える。
男――商人が、横で笑う。
「決まりだな」
「まだだ」
俺は首を振る。
「行くなら、準備がいる」
「そりゃそうだ」
当然のように言う。
「外は甘くねえぞ」
その言葉に、酒場の空気が少し変わる。
さっきまでとは違う現実。
「魔物も出る。盗賊もいる」
淡々と続ける。
「ガキが一人で行く場所じゃねえ」
「……」
分かっている。
今のままじゃ、足りない。
技術も。
力も。
全部。
俺は手の中のダーツを見た。
まっすぐな軸。
整った重さ。
確かな精度。
だが――
(まだ足りないな)
ここで通用するだけじゃ意味がない。
外でも、通用しなければ。
「準備する」
小さく呟く。
誰に向けたわけでもない。
だが、その言葉は確かだった。
「少し時間もらう」
周りを見る。
「その間に、考えとけ」
「何をだよ」
「ついてくるかどうか」
ざわめき。
「は?」
「マジかよ」
「行くのか?」
荒い少年が笑う。
「面白えな」
最初の子供は、少しだけ戸惑っている。
だが、目は逸らしていない。
酒場の中に、静かな熱が残る。
さっきまでとは違う。
次へ向かう熱。
俺は扉の方を見る。
外の空気。
知らない場所。
知らない世界。
――ここでは足りない。
それだけは、はっきりしていた。




