第044幕 ――偽りの告発と泥臭い復讐――
行く秋の冷たく乾いた風が、分厚いガラス窓の向こう側で東京の灰色の空を音もなく削り取っている。 私は再び、東京・久松町に位置する「新島アート」の館長室に足を踏み入れていた。 天井の吹き出し口からは、二秒おきに微小なモーター音を伴って、二十二度に設定された人工的な無臭の風が絶え間なく降り注いでいる。 空間の酸素濃度や気圧は、計算上は完全に均等に循環しているはずだった。 まるで、見えない巨大なーーいや、そんな比喩はどうでもいい。 私のスーツの繊維の奥底に潜む、足利の蔵で吸い込んだ鉄錆と腐肉の微細な匂い粒子は、この徹底的に管理された冷気の中では完全に揮発し尽くしている。
私は、左手の人差し指と親指で、スーツの太ももの生地を執拗に擦り始めた。
シュッ、シュッ。
上質なウールの繊維が、乾燥した指の腹の水分を奪い、微細な摩擦を生む。 私はなぜ、かつて無様に敗北し追い出されたこの部屋へ再び戻り、彼と対峙しているのか。 過去の因縁を正当に清算し、隠蔽された真実を世に問うための、覚悟を持った反撃。 ……そうだ。社会的な建前としては完璧だ。 悲劇の連鎖を断ち切る高潔な告発者。
その美しい論理の結末を頭の中で組み上げようとした瞬間。
シュッ、シュッ。
ウールを擦る乾いた摩擦音と、空調から微かに混じるアルコール消毒液の鋭い匂いがゼリー状の不快な塊となって鼻腔を突き刺し、思考の糸をあっさりと焼き切った。
覚悟を持った反撃など、とうに破綻した自己欺瞞に過ぎない。 本当は、自分が引き起こした惨劇の責任や罪悪感からただ全力で逃避し、すべてをこの新島誠一郎という男に押し付けることで、「自分は正当な側にいる」と必死に思い込みたいだけなのだ。 実咲という圧倒的な盾を手に入れたことで気が大きくなり、かつて自分を見下した彼を泥沼に引きずり下ろして見下したいという、醜悪で卑小な復讐心。 自らの奥底にこびりついた劣等感と怯えを、正義の仮面で無理やり覆い隠そうとしているに過ぎない。
紫黒の重厚なマホガニーのデスクを挟み、新島誠一郎が私を正面から見据えていた。
「……いったい、母の耳にどのような音声信号を流し込んだ」
新島の喉仏が低く上下し、極端に押し殺された摩擦音が大気を微かに震わせる。 彼の眼球の端の毛細血管が細かく収縮し、眼瞼の周囲の筋肉が数ミリ単位で不規則な痙攣を繰り返している。 その微小な皮膚の波打ちが、彼の内圧の異常な高まりを物理的に証明していた。
私は舌の根を上顎に押し当てて口腔内の不快な乾燥を確かめながら、ごく短い波形で応じた。
「何も。ただ、足利の蔵で起きた事象の羅列を、音声として伝達しただけです」
シュッ、シュッ、シュッ。
私の左手が生地を擦る速度が上がる。
「あなたは、母親の時間が五十年前の座標で完全に凍結されていると規定することで、この部屋の気圧を維持しようとしている。しかし、彼女の肉体は五十年間、この重力下で絶え間なく呼吸を続けてきたのです」
「黙れッ」
新島の声帯が、冷たい空調の風を乱暴に引き裂いた。 彼は両手を紫黒のデスクの上に置き、右手の親指と人差し指で、左手に嵌めた白練のシルクの手袋の袖口を執拗に引っ張り始めた。
ギュッ、ギュッ。
絹の繊維が限界まで引き伸ばされ、互いに擦れ合って微小な軋み音を立てる。
ギュッ、ギュッ、ギュッ。
彼は、自らの皮膚と外部の空気を完全に遮断するその薄い布地に依存するように、無意味な力で引き剥がそうとしては戻す往復運動を続けている。
「あの蔵の底に淀んでいるのは、現実の空気を腐敗させる有害なガスだ。私は、この部屋の気圧と、私の血族をそこから完全に隔離し続ける」
私は左手がウールを擦る反復動作を一切止めず、空いた右手をゆっくりとスーツのポケットの奥深くへと滑り込ませた。
布地が擦れる音。 指先が、極端に冷たく滑らかな金属の縁を捉える。 亀裂の入った、銀鼠の鑑定用ルーペ。 私はそれを引きずり出し、二人の間を隔てる紫黒のデスクの中央へと、音を立てて置いた。
カツン。
硬い金属とガラスの質量が、マホガニーの表面に衝突する鈍い反響音。 その音波が空気を伝わり、新島の鼓膜を叩く。
「新島館長。あなたが視界から遮断しようとしている過去は、すでにこの部屋には存在しません」
私は、ルーペのレンズを斜めに走る微細な亀裂の溝に、右手の親指の爪を引っ掛けた。
チッ。
ガラスと爪が擦れる微小な音。
チッ、チッ。
「彼女の肺胞は、この五十年間、あらゆる気圧の変化に耐え、泥に塗れながらも酸素を循環させてきた。あなたが見ようとしない現実の重力に耐え抜いてきたのです。あなたが防ぐべき対象は、もうどこにも存在しない」
ギュッ、ギュッ、ギュッ。
新島が手袋を引っ張る絹の軋み音。
チッ、チッ、チッ。
私がルーペの亀裂を削るガラスの摩擦音。 新島の指先の関節が、過剰な圧力によって白く変色し、血流が完全にせき止められている。 彼の胸郭の上下運動が浅く、不規則なリズムを刻み始めた。
分厚いガラス窓の向こうで、秋の夕暮れが東京のコンクリートの輪郭を鈍色に溶かしていく。 私は舌の裏側に滲む微かな消毒液の匂いと鉄の味を飲み込みながら、ただひたすらに、ガラスを削る摩擦音とウールを擦る音の二つのリズムを、この冷え切った大気の底で完全に独立させたまま鳴らし続けていた。




