魔法使いの悩み事03
動物園なんて来たのは、多分初めてだ。
まあ、動物園にしろ水族館にしろ、人が多い場所なんていったことがないから当たり前だ。
遊園地ほどではないにしろ、人が多い。正直北斗の事がなければ付き合いたくはない場所だ。が。泰秋を野放しにするわけにもいかない。
昴から見れば泰秋はただの煩い男だが、他所からの評価は違うらしい事は知っている。
猫さえ完璧に被れば、落ち着いた雰囲気の好青年に見えるだろう。伯父譲りの派手な顔もあって、泰秋はそれなりに世の女性に人気だ。
泰秋に限らず従兄弟は皆顔が派手だ。騒がしいのはあれ一人きりだが。
別にそのことを今まで気にもしなかったのに、どうしてだろう。
北斗が泰秋にまともに会うのだと思ったら、急に気になってきた。……ちなみに実家でのことはノーカンである。そもそも北斗は昴の後ろにいたのだから、まともに泰秋の姿なんて見えなかっただろう。
所詮昴の容姿は地味である。一応母親似ではあるがそもそもその母親が地味な顔だ。そしてその兄である伯父は派手な顔なのだから、遺伝というものは摩訶不思議だと思う。
派手な顔に憧れたことも、今の自分の顔を不満に思ったことはない。
けれど最近、北斗が関わるようになって考えるようになった。
もし自分が従兄弟達と同じぐらい派手な容姿なら、北斗の視線が泰秋にから離れなくなったらとか、考えなくてすんだんじゃないかと。
泰秋をまともに見た後、北斗の態度が変わったらどうしようかと思った。普段の彼女を考えると、正直それは想像がつかないが、万が一、という事もある。昴と似ている北斗は、完全に同じと言うわけじゃないのだから。
もし他の人間のように、態度がころりと変わったら、自分は北斗をどう思うのだろう。色々考えると頭が痛くなる。
でもそんな事はただの杞憂に終わった。北斗は真っ先に昴を見つけてくれたし、泰秋を見ても何にも態度は変わらなかった。
むしろ、動物園に入ってからの態度は雛を守る親鳥のようだ。
泰秋が隙を見て妹に近づこうとするのを、徹底的に防いでいる。今もレッサーパンダの檻の前で、昴を間に挟んでさりげなく泰秋を遠ざけている。
北斗の妹も、彼女の腕にべったり貼りついて離れようとしない。その上、昴が北斗に近づこうとすると絶妙なタイミングで腕を引っ張って関心をそちらにひきつけてしまう。これが泰秋の場合姉妹の立場がまったく逆になるのは面白い。が、北斗に近づけないのは面白くない。
せっかく彼女と一緒にいるというのに、どうして引き離されなければいけないのか。さっさと泰秋とどこかに行ってしまえばいいのに。
……なんて、泰秋を近づけないよう協力すると北斗に言った手前、口が裂けても言えないが。
実家の時はあまり感じなかったが、今ははっきりと北斗の妹からは昴に対する敵意を感じる。
自分にまっすぐに向けられる悪意のある感情は、正直気分が悪い。そこまで強いものではなく、昔よりは耐性がついたとはいってもだ。
何故昴が敵意を向けられなければならないのか。多分北斗との唯一の友人というのが原因だとは思う。この妹は間違いなく北斗以上のシスコンのようだから。
同時に泰秋からも北斗への敵意を感じる。自分に向けられなくてもこれだけ近くにいれば関係ない。このまま見回る事は昴にとっては苦行に等しい。それでなくても他の人間の気に溢れているというのに。
厄介だと思う。
それは泰秋にとっては北斗で、昴にとっては泰秋と北斗の妹だ。
泰秋に関しては垂れ流されている敵意の事だが、北斗の妹に関してはそれ以外にも厄介だと。では何が厄介なのか、そこに考えがいくと思考が停止する。まるでそれ以上考えるのを止めさせるように。唯一の親しい友人が独り占めされて不満に思う、それだけじゃない何かが昴の奥底で息を潜めている。
その何かを見つけてしまったら、恐らく見つける前には戻れない。それが怖いから、きっと無意識に考えないようにしているのだ。
そしてもう一つ、北斗とその妹の苗字が違うことについても、今は考えない。
彼女は後で、と言った。声は出ていなかったけど、話してくれるというならその時を待つべきだ。
北斗が今まで昴にそれを話さなかったのなら、それなりに何か理由があるはずだから。
まとまりがないまま、彼らは動物園の中をどんどん進む。
それは気にあてられやすい昴の顔色が、悪くなるまでノンストップで続いた。
* * *
「黒崎、顔色悪いよ」
レッサーパンダ、野鳥コーナー、人気のライオン、トラ、サルにペンギン、白くま。その辺りまできて、そろそろお昼にしようかと話題が出たところで、北斗が突然そう言った。
つられて対象の人物を見ると、確かに顔色が悪い。青い、を通りこして真っ白だ。そんなになる前にさっさと言えばいいのに、と些か理不尽な感情がわいてしまったのは、しょうがない。
だって幸は、北斗の唯一の友達である黒崎が気に食わない。
彼がいると北斗の関心がそっちに移ってしまう。すごく、面白くない。子供っぽい独占欲だと思う。本当に自分は我侭になった。北斗のためにも改めようと確かに思ったはずなのに、黒崎という人間に対しては当分は無理なようだ。
女の人だと思っていた、のに。男の人だなんて。
女でも気に食わないと思ったのだ、男だなんてそれ以上だ。
幸にとって黒崎は敵だった。北斗を奪っていく敵。だって彼は絶対に北斗の事が好きなのだ。
神社で会った時、ほぼ直感だった。熱に浮かされたような目で友達を見るわけがない。本人と北斗が気がつかなくても幸は気がついた。その時から黒崎昴と言う人間は間違いなく敵になった。
けれど流石に、気分が悪そうな人間相手にまで意地をはるわけにはいかない。
仮病なら考えるが、これは間違いなく本当だ。
もう一度黒崎の方を伺うと、よく見れば足元もおぼつかない。どこかで休ませないと倒れてしまいそうだ。
「……北斗ちゃん、あっちのフードコーナーにベンチあるから、座ってもらったほうがいいよ」
既にその場所は目と鼻の先。
もう少しだけ我慢して歩いてもらったほうが、通路の真ん中にしゃがみこむよりはいいだろう。
「そうだね。黒崎、もうちょっと歩ける?」
北斗の問いかけに黒崎が小さく頷く。酷くゆっくりとした動きなのが、ますます辛そうに見せる。
「幸ちゃん、ちょっとごめんね」
北斗がそう言って幸の手を離した。本当は離したくなかったけれど、緊急事態なので仕方なく大人しく従う。
ふらふらしている黒崎を横から支えるように北斗が立って、少しずつ歩き出した。
彼女が離れた隙に、一連の出来事をただ見てた高槻が幸の傍に近寄ってくる。思わず少し身構えてしまったが、顔はこちらを見ていなかった。
「……珍しい」
意識は完全に黒崎と北斗の方にあるらしく、ぽつり、と呟いたのが聞こえた。
「何がですか?」
「え? わっ!」
問いかけると、叫び声があがった。
どうやら近寄ってきたのは無意識の行動だったらしい。すぐ傍にいる幸の存在に、高槻は問いかけにも答えず体を大げさに震わせると、一歩だけ離れた。
今まで北斗に対抗して色々近づこうとしてきたのに、実は意外と純情なのかもしれない。そう思うと、外見の派手さとのギャップで何だか微笑ましくなる。北斗から聞いて予想していた人物像とはかけ離れた人間が現れたので、最初は本当にびっくりした。
これだけ容姿がよければよりどりみどりだろうに、どうして幸にくくるのか、よく分からない。
自分に一目ぼれなんて、最初は北斗達の勘違いだろうと思っていた。けれど一緒に行動するうちにそれは本当なのだと分かった。
継母と義姉のせいというか、おかげというか、少し前まで人の顔色を伺ってばかりの生活をしていたため、他人からの敵意や好意といった類の感情には敏感になっている。
高槻は確かに幸が好きなのだろう。話したこともない目撃しただけの相手をどうしてそこまで好きになれるのかは、よくわからないけれど。
「何が珍しいんですか?」
もう一度聞きなおすと、高槻は少し顔を赤くして目をそらした。
「昴の事です。あいつ、人に触られるの大嫌いなんですが」
件の男は北斗に支えられながらゆっくりゆっくりフードコーナーに向かって歩いている。
相手の気分が悪くなければ、突撃して邪魔したくなるほどの密着具合である。
「手を掴んだだけでも怒るのに」
「……今は気分が悪いからじゃないですか?」
自分でそういいながら、違う、と思った。
相手が北斗だからだ。
「気分がどんなに悪くても、絶対触らせようとしないんですけどね、いつもなら」
それが借りてきた猫のように大人しい、と高槻が首をかしげた。
本来なら支える役目は身長的にも高槻の方が相応しいというのに、近づかなかったのはそういう理由があったのか。
そしてふと気がついた。
それはつまり、あの人にとっても、北斗が特別で、唯一だという事か、と。
ますます面白くない事実が判明してしまった。思わず眉に皺がよる。
「……俺達も、行きましょうか」
話してるうちに、いつの間にか北斗たちはベンチにたどり着いたらしい。
座った黒崎の額に手を当ててるところを見ると、熱でも測っているのだろう。はたから見るといちゃついてるようにしか見えないのがまったく面白くない。
相手は病人、と言い聞かせないと今すぐ突撃をしてしまいそうだ。
「幸さん?」
反応がないのを不審に思ったのか、高槻に呼ばれる。
すぐに対応できず、まじまじとその顔を見上げたら、ようやく赤みのひけた顔が、また瞬時に赤くなった。……ちょっと可愛くて、少し笑う。年上の男の人に可愛いなんて、失礼だとは思うけど。
「あの、もっと普通に話して、いいですよ? わたしの方が年下ですし」
「え?」
「高槻さん、北斗ちゃんと同じ年ですよね?」
「あ、はい!……じゃなくて、えっと、うん、大学三年なら、そう」
「年上の人に丁寧に話されると緊張しちゃうから、普通に話して下さい」
笑ってそういうと、高槻の顔はますます赤くなった。
この調子なら、北斗の心配など杞憂で終わるだろう。そう思ったら、ふと体の力がぬけた気がした。
「……じゃあ、あの、幸ちゃん、行こうか」
「はい」
フードコーナーに視線を戻すと、意識がまたそちらにいく。
視界に入った二人に再び眉に皺が寄るのを、なんとかこらえる。
相手は病人、呪文のようにそう唱えて、ようやく幸は北斗たちと合流した。