第8話 団長の腕の中、夜。
「あの、指輪はサイズがわかりませんので、ネックレスとかの方が……」
「測ればいい」
アルは私の手をとり、指に糸をくるりと巻き付けて印をつけました。
「指輪が一番、落としにくいだろう」
……それはそうですけど、左手の薬指である必要はないですよね? ちょっと、どきっとしてしまいました。
でもきっとアルのことですから、真面目を拗らせて、なんにも分かってないんでしょうねぇ。
ふふ、困った人です。
「……なんだ、その目は」
「いえ、別に」
じっと見ていると、アルは目を逸らしました。
「だだの連絡手段だ。霊獣に乗れる人材は貴重だし、免許取得までは付き合う。昼飯の連絡にも使うだろう? 他意はない」
そう言うと、彼はさっと立ち上がりました。
窓の外を見て、眉根を寄せます。
「もう、暗いな。宿舎への引っ越しは終わったのか?」
「いえ、最低限の荷物だけは持ってきたんですけど、他は週末にでも、実家に帰ってからですね」
「そうか。では宿舎まで送ろう」
「えっ?! 大丈夫ですよ? 近いですし」
敷地内ではありませんが、聖騎士以外の職員が入居している棟があるのです。
チェルシーもそこに住んでます。
「近くても、夜は危ない」
過保護ですねえ。
かちゃりと扉を開けると、そこにはエリンさんとエルネストさんが立っていました。
「団長! 悪いのはエルネストです! フィオナはうちの期待のホープですので、首にするならエルネストを!」
エリンさんがアルに掴みかからんばかりに詰め寄ります。
「えー、ひどくない? エリンさん」
「元はと言えばあなたがリオを連れて行ったからでしょう?! ほんと、昔っから騎乗が下手なんだから!」
「いやいや、君よりはうまいけどね?!」
二人のやりとりを見ながら、アルはため息をつきました。
「今回は不問に付す。ただし、お前との二人乗りは禁止だ。下手くそ」
「ひどくない?!」
ふふ。なんだか仲良しですねぇ。
「私、頑張って免許とりますね! 団長が手伝ってくださるそうですので!」
聖女時代は免許なしで乗ってましたから、ちゃんと教わるのは初めてです。
「ほほーう? 団長がねぇ」
なんだか含みのある言い方をして、エルネストさんはにやりと笑いました。
「あら、いいじゃない。エルネストよりよほど信頼できるわ。でも今日みたいに抱きしめちゃダメですよ」
「えっ、エリンさん、何それ、詳しく」
「うるさい! 行くぞ、フィオナ」
アルが私の腕を掴みました。
そのまま引っ張られるように廊下を進みます。
「あっ、逃げた。送り狼ダメだからなー!」
「なんです、それ」とエリンさんが首を傾げます。
「君さぁ……よく結婚できたよね」
「うっ……」
ふふ、エリンさんったら、また言われています。送り狼は夜道を守護してくれる架空の霊獣のことですよ。でも転ぶと襲われるんです。
外に出ると、暖かな空気の中、ぼんやりとした三日月が空に浮かんでいるのが見えました。
「あ、お月様」
ほんの少し湿気を含んだ風が、春の花の香りを運んできて、大きなトレシュニャの木から白い花びらが舞い落ちてきました。
「綺麗ですねえ」
「そうだな」
「騎士団でお花見とかしないんですか?」
「敷地内での宴会は禁止だ。近隣の公園で市民に混じってやっているが」
ふむふむ。
チェルシーと参加すれば、師匠の愛され技を間近で見られるかもしれませんね。
「何を考えてる」
アルの胡乱気な視線が刺さります。
「えっ?! ……いや、ちょっと参加してみたいなーとか思ったり……」
「理由は?」
「えっと、楽しそう……ですし?」
「なぜ聖騎士と? 霊獣舎で催せばいいだろう」
「いや、それはそうなんですけど、聖騎士の皆さんとも交流を深めようかと……」
「何のために?」
これって、尋問ですか?!
「酔った聖騎士なんか碌なもんじゃないぞ。どうしても参加したいなら、俺が付き添う」
……いや、お花見に団長なんて連れて行ったら、私が恨まれますよね?
でもまぁ、こっそり行けばバレませんよね!
「ちなみに外での集会には届出が必要だ。何か不祥事があっては困るからな。もちろん参加者名簿も必須だ」
……私の頭の中、見えてます?
「……あっ!」
月を見上げながら歩いていると、石畳の段差につまずいてしまいました。
体がぐらりと前に傾き、転けると思った次の瞬間──私はアルの腕の中にいました。
「す、すみません……!」
今日だけで二回も倒れ込むなんて、これでは愛され女子ではなく、あざと女子です。
チェルシーに叱られてしまいます。
でも、これは言い訳ではないのですが、今回はさっと離れようとしたんですよ?私。でも強い力で抱きしめられて、体がびくとも動かないんです。
「あ、あの……?」
アルは何も答えません。
心臓の音と、広い胸の温もりと、彼の香り。
朝と変わりないはずなのに、私の鼓動は痛いくらいに打っています。
中庭で私の頬に触れた手、熱を帯びた黒い瞳を思い出し、体の底がじんわりと熱くなります。
……もう、親鳥でもお布団でもありません。
なぜでしょう、少し、怖いです。
「あの、離してください……」
思ったより、真剣な声になりました。
一瞬だけ彼の腕の力が強まり、指が肌に食い込みました。それから、すっと力が抜けました。
「……すまない」
アルは私の体をそっと離しました。
見上げても、視線が交差することはありませんでした。
……どうしてそんな、思い詰めたような表情をするのでしょう。
さっきの言い方、冷たく聞こえたのでしょうか。
嫌だったわけじゃなくて、少し怖かっただけなんです。
でも、それを言う勇気はありませんでした。
言ってしまうと、何かを認めてしまうようで。
私たちは無言で歩き出しました。
ざあっと風が吹いて、白い花びらが雪のように舞います。
けれど、綺麗だと言い合うこともできず、彼の肩についた一片を払うこともできません。
……聖女時代は、こんなことありませんでした。
あれはいつでしたか、神殿の窓から見える街路樹がとても美しくて。
『アル、見てみろ。トレシュニャの花が満開だ。綺麗だぞ』
『花ではなく、さくらんぼうが目当てでしょう?でもあれは鳥のものですので、食べないでくださいね』
『私はそんなに食い意地張ってるように見えるのか?』
どうでもいいことを話して、笑い合って。
さっきもそうでしたよ?お花見の話をしていただけで、楽しかったのに。
──どうして、抱きしめたんですか?
そんなことを思いながら歩いていると、いつの間にか宿舎の前に着いていました。
アルは目を合わせないまま、言いました。
「……では、また明日」
固くて、夜に消えそうな呟きでした。
すぐに踵を返し、去っていきます。
……こんなのは、嫌です。
なんなんですか、これ。
どうしてこんなことになってるんですか?
「アル!」
私は彼の背中に叫びました。
彼は足を止めましたが、振り返りませんでした。
それでも続けます。
「明日もサラミを楽しみにしていますから! 私、食い意地張ってますし、遠慮しませんよ! 鳥のさくらんぼうだって、つまんじゃうくらいですからね! ……あれは酸っぱかったですけど。じゃあ、おやすみなさい!」
言うだけ言って、私はその場から逃げるように宿舎に入りました。
だから、彼がどんな反応をしたかは分かりません。
明日、どんな顔をして会えばいいんでしょうか……。




