↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
34/35

第32話 神獣

 ピエラとヴラニミルが飛び立ってからしばらくして、前線近くに小さな防護結界が張られました。


 その内側に応急処置用の天幕が設けられたことで、中間地点まで戻ってこられなかった霊獣たちが、次々と運び込まれるようになり、戦況は目に見えて持ち直しました。


 ヴラニミルの結界は、相変わらず少し棘があります。けれど、以前よりずっと柔らくなっていました。


 防護結界の内側では、エルネストさんの指示で、負傷した霊獣たちの応急処置が進められていました。

 魔力酔いを起こした翼竜も、翼を傷めた翼狼も、戻ってこられさえすれば助けられる。


 前線の霊獣たちの動きも、少しずつ整っていきました。


 ここで助かる命がある。

 私は、ここから前線を支えることができる。


 だから、大丈夫。


 そう思った、その時でした。


 東の空が、赤黒く濁った光に染まりました。


 天幕の布越しにも分かるほどの、強烈な魔力の閃光。

 次の瞬間、地面が大きく揺れました。

 薬瓶が落ち、霊獣たちが一斉に鳴きました。


 これは──


 ぞくりと背筋が震えました。


『前線より緊急報告!』


 切迫した声が飛び込んできます。


『境界門より大型種、出現! 黒翼竜隊、押し返されています!』


 天幕の中が凍りつきました。


 大型種。


 それは、ただの魔物ではありません。

 境界門が吐き出した、主のような魔獣。


 これが出てしまえば、黒翼竜隊だけでは足りない。


 行かなければ。


 一瞬、そう思いました。


 けれど、私は頭を振り、代わりに、霊獣舎の方角を見ました。


 あそこには、まだ動かしていない子がいる。


 普段は奥で眠るように過ごしている、白銀の神獣。

 自らが認めた者しかその背に乗せず、霊獣舎の守り神のようにそこにいる子。


 あの子なら。


 私は大きく息を吸い、

「エルネストさん」

 と、呼びかけました。


「総帥に会わせてください」


 *


 霊獣舎に戻ると、キーラ総帥はすでに神獣の前に立っていました。


 白銀の神獣は、奥の敷き藁の上で静かに頭を起こし、東の空を見ています。


「総帥」


 私が駆け寄ると、キーラ総帥は振り返りました。

 いつもの豪快な笑みはありません。


「神獣を出したいそうだね」

「はい」

「作戦は、大型種の出現時も想定されて策定されている」

「はい。でも、被害は拡大します」

「……そうだね」


 総帥は神獣を見上げ、かすかに笑いました。


「私はもう前線で戦えるような年じゃないが、戦場で華々しく散るのも一興かもしれんな」


「いいえ。乗るのは、団長です」


 即答すると、彼女の眉がわずかに動きました。


「アルベルトか。神獣が認めると思うか」


「わかりません。でも、私が繋ぎます。共鳴石を通して、団長の聖力を神獣に届く形へ整えます」


 総帥は、私の左手に視線を落としました。


「それ、アルベルトとの共鳴石だったのか」


 そう言われ、こんな時だというのに、顔が赤くなるのを感じました。


「できるのか、と聞くのは野暮だね。確証があるから言っているんだろう?」


「もちろんです」


 総帥は、しばらく私を見ていました。

 その目は、私ではない誰かを重ねているようにも見えました。


「……その目は、彼女によく似ている」


「彼女?」


「ゼライアだよ」


 思いがけない名前に、息が止まりました。


「ゼライアは、最期まで君の心配をしていた。自分がいなくなったら、君はきっと無茶をすると」


 胸の奥が、ぎゅっと痛みました。


「アルベルトにも頼んでいたよ。どうかリアを頼む、と」


 それから、総帥は何かを悔やむように唇を噛み、東の空を仰ぎました。


「二十年前、私もあの戦場にいたんだよ。リア様が来てくださった時は、正直ほっとした。あの規模の結界構築をひとりで行えば、彼女がどうなるのか、分かっていたのにね」


「それは……」


「だから」

 と、彼女は私の言葉を遮り、まっすぐにこちらを見ました。

「今度は私たちの番だ。私も、アルベルトも、ヴラニミルも、二十年を後悔の中で生きてきた。もう、あんな思いはしたくない。ゼライアにも顔向けできないしね」


 彼女はそう言って、神獣の首筋を撫でました。


「フィオナ」


 総帥はまっすぐに私を見ていました。


「神獣出撃を許可する。責任は私が取る」


 その言葉に、喉の奥が熱くなりました。


「ありがとうございます」


「前線まで私がこの子を連れて行って、アルベルトに託す。だから君は、ヴラニミルの結界内から絶対に動くな。いいね」


「はい!」


 *


 キーラ総帥が神獣に乗って飛び立ったあと、私は医療天幕へ戻りました。


 防護結界の内側は、さっきよりもずっと騒然としていました。

 運び込まれる霊獣の数が増えています。

 遠かったはずの魔物の咆哮がここまで届き、空気そのものが震えています。


 ……魔物に押されている。


 赤黒い魔力の波が、一定の間隔で押し寄せ、結界にぶつかるたび、ヴラニミルの聖力がぎしりと軋みます。ピエラは結界の外で、彼を守るように魔力を弾き飛ばしています。


 このままでは、医療天幕をもっと後方に下げなければいけなくなるでしょう。


 私は無意識のうちに、左手の指輪に触れていました。


『フィオナ、聞こえるか』


 低い声が、指輪越しに届きました。


 胸が、ばかみたいに跳ねました。


 戦場です。

 こんな時です。

 分かっています。


 それでも、声が聞こえた。

 生きている。


 それだけで、泣きそうなくらい嬉しくなりました。


 けれど、今はそんな場合ではありません。

 私は息を吸い、声を整えました。


「神獣は到着しましたか」


『ああ。総帥から話は聞いた。今、神獣の横にいる』


「団長、神獣に触れてください。聖力を感じますか」


『……強いな。黒翼竜とはまるで違う。こちらを拒んでいるわけではないが、受け入れているとも言い難い』


「では、団長の聖力をこちらに流してください。私が形を整え、返します」


『分かった』


 短い返事の後、すぐに、指輪を通して聖力が流れ込んできました。


 硬い。

 鋭い。

 まっすぐで、折れない。


 けれど、その奥にある芯は温かい。


 団長の聖力です。


 私はその聖力を両手で包むように受け止めました。


 大聖女だった頃なら、力で押し通していたかもしれません。

 けれど、今は違います。


 強い聖力はいりません。

 神獣が嫌がる棘を、少しだけ丸くする。

 硬すぎる流れを、ほんの少しほどく。

 団長の聖力の芯はそのままに、神獣に届く形へ整える。


『……身を屈めてくれた。今から背中へ乗る』


 指輪の向こうで、神獣の気配が、ぴくりと揺れます。


 拒絶ではありません。

 少しの警戒。

 けれど、受け入れようとしてくれています。


 白銀の、深い聖力。

 長い眠りの底にあるような、静かな力。


 その聖力が、団長の聖力と少しずつ重なっていきます。


「……繋がりました。飛翔の合図を」


『分かった』


 団長の意思を受け、神獣の聖力が緩やかな波形を描きます。

 同時に、東の空が白く輝きました。

 神獣が、空へ駆け上がったのです。


『黒翼竜隊、門の右側へ回れ! 大型種はこちらで引き受ける!』


 団長の声は、もう私に向けられたものではありませんでした。

 戦場全体を動かす、聖騎士団長の声です。


 私にできることは、彼の聖力を整えて、神獣に渡すことだけ。

 もどかしい思いはあります。

 でも、二十年前を知る人たちが作り上げてくれたこの世界の中でなら、私はフィオナとしての役割を果たせるのです。

 それに、今回は団長と聖力でつながっています。もう私は、あの時の孤独な大聖女ではないのです。


 神獣の聖力が、東の空を駆けていきます。

 私は祈るように、指輪に集中し続けました。


「フィオナ」


 いつの間にか、ヴラニミルが横に立っていました。


「今からピエラと最前線へ飛ぶ」


「えっ!?」


「心配するな。ここの結界の維持は、神殿に要請済みだ」


「でも、どうして、あなたが……?」


「大型種出現時の作戦の一環だ。境界門への道を結界で作り、アルベルトを通す」


 私は言葉を失いました。

 それは、団長が単騎で境界門を叩くということ。


「道は狭く、一騎通すのがやっとだ。それなら、成功確率の高いあいつが行くのが一番だ」


 わかります。

 理屈はわかります。

 でも。


 私が何か言おうとするのを遮るように、ヴラニミルは言葉を継ぎました。


「これは団長判断だ。今回は大型種が現れ、魔物の数も多い。黒翼竜隊全体で叩く機会を待っていては、結界の方が保たない。……ああ、別に意見を聞きにきたわけじゃない。ピエラを借りるから、一応飼い主に報告したまでだ」


 ヴラニミルはそう言って、踵を返しました。

 その背中を見送り、私は倒れるように近くの机に手をつきました。


 ……団長が、一人で。


 血の気が引き、頭がぐらぐらと揺れています。


 怖い。

 彼を失ったら、私──


 その時、左手の薬指がびりっと震えました。

 私は慌てて指輪を握りしめました。


 だめ。

 今、集中を乱すわけにはいきません。

 それこそ、団長を危険に晒すことになります。


 私は深く息を吸い込みました。


 ……それに、これは彼らの戦いです。


 信じるしかありません。



 東の空の下に、たくさんの聖力を感じます。


 神獣の白銀の光。

 黒翼竜たちの重く鋭い聖力。

 ヴラニミルの棘のある結界。

 ピエラの赤銀色の聖力。


 それぞれがばらばらに動いているはずなのに、団長の号令で、一瞬だけ同じ方向を向きました。


 私はただ、指輪を握りしめます。


 団長の聖力が乱れないように。

 神獣が団長を振り落とさないように。

 二つの聖力が、戦場の真ん中でほどけてしまわないように。


 それだけに集中しました。


 その時、細く長い結界が伸びる感覚が届きました。


 ヴラニミルです。


 神獣と団長が抜ける、一瞬の道を作り出したのです。

 そしてその彼を、ピエラの赤銀色の聖力がずっと守っていました。


 通訳なんて必要ありません。

 あの二人もまた、繋がっているのです。


『黒翼竜隊、援護を!』


 団長の号令とともに、いくつもの聖力が一点へ集まっていきました。


 私はその流れを、ただ感じていました。


 二十年前、リアが最後に思ったこと。

 境界門そのものを叩いていれば、何か違ったのではないか。


 その答えを、今、みんなが形にしている。


 聖騎士がいて。

 聖女や神官がいて。

 霊獣がいて。

 霊獣舎のみんながいて。

 団長がいる。


 そして私も、ここに立っている。


 その流れが途切れないように、私は強く指輪を握りしめました。


 そして。


 東の空が、白く弾けました。


 一瞬、音が消えました。


 次の瞬間。


『境界門、制圧完了!』


 誰かの声が響きました。


 天幕の中で歓声が上がります。

 けれど私は、すぐには声を出せませんでした。


 団長の声が、聞こえない。


「団長」


 指輪を握りしめます。


「団長、聞こえますか」


 返事はありません。


 血の気が引いていくのを感じました。


 まさか。


「団長!」


 叫んだ、その時。


 ざらり、と指輪が震えました。


『……聞こえている』


 掠れた声。

 でも、確かに団長の声でした。


 膝から力が抜けて、私はその場にしゃがみこみました。


「無事ですか」


『ああ。神獣も無事だ。黒翼竜隊も、大きな損耗はない』


「よかった……」


 視界が滲みました。


 よかった。

 本当に、よかった。


 指輪の向こうで、団長が小さく息を吐く気配がしました。


『フィオナ』


「はい」


『遅くなってすまない。こちらの処理が終わり次第、迎えにいく。帰ろう、二人で』


 その穏やかな声を聞いた瞬間、胸の奥に詰まっていたものが、ようやくほどけました。


 あの時、意識が薄れゆく中で聞いたのは、後から駆けつけた彼の声でした。


 ──遅くなって申し訳ございません。


 その声は、固く、低く、震えていました。

 

 けれど、今は。


 私は涙を拭うことも忘れて、指輪に向かって言いました。


「じゃあ、抱きかかえて黒翼竜に乗せてくれますか?」


 思い出を、幸せなものに塗り替えたい。

 そう思ったのです。


 少しの沈黙がありました。


 彼も思い出したのでしょう。

 命の火が消えそうなリアを、まるで壊れ物に触れるように、黒翼竜に抱えあげた時のことを。


 それから、指輪の向こうで、かすかに笑う気配がしました。


『君の望みは全て叶えると言っただろう』


 その言葉に、私はようやく、泣きながら笑いました。

次回最終話です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ショートショート転生ものです。 よろしければお立ち寄り下さい。 「つきましては、結婚を前提としたお付き合いをしていただきたいのですが」
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。