↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
35/35

最終話 告白

 それから、やるべきことはたくさんありました。

 傷ついた霊獣の応急処置、霊獣舎への搬送準備、医療天幕の撤収作業──


 それは団長も同じだったでしょう。

 いえ、彼の方が責任が重いのですから、私の比ではなかったに違いありません。


 だから、抱き上げて黒翼竜に乗せてほしいだなんていうわがままが、本当に叶うとは思っていませんでした。

 共鳴石で連絡はできましたが、天幕の撤収日は伝えませんでした。


 その日、がらんとした天幕の中で、私は最後の片付けをしていました。


「よし、これで終わりですね」


 ファイルをパタンと閉じ、静まり返った空間を見回すと、終わったんだ、という実感が胸に迫りました。


 大聖女ではなく、ただのフィオナとして、ここでみんなと一緒に役割を果たせた。


 二十年前に命を落とした場所で、私はまだ立っている。


 それから帰る準備をすませて、天幕を出ました。

 風が緑の草原を流れ、白い天幕を揺らします。


 その時、一瞬、日が翳ったような気がしました。


 青い空を仰ぐと、一頭の黒翼竜の姿が見えました。


 ──団長。


 心臓が跳ねました。


 ……本当に迎えにきてくれた。


 黒翼竜を降りた彼は、私を見つけると、まっすぐこちらへ歩いてきました。


「フィオナ」


 名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がぎゅっとなりました。


「……おかえりなさい」


「ただいま」


 そう言って、団長は少しだけ困ったように眉を下げました。


「望みを叶えに来た」


「え」


 聞き返す前に、体がふわりと浮きました。


「……っ?!」


 抱き上げられたのだと気づいた時には、私は団長の腕の中にいました。


「処理が長引いてすまない。天幕の撤収が今日だと聞いて、慌てて来た」


「す、すみません。お忙しいだろうと思って……」


 そう言い訳すると、彼は私の耳に顔を寄せました。


「忙しくても君のためなら時間を作る。だから言葉を飲みこむな」


 耳元をくすぐる低い声に、顔が熱くなりました。というより、触れられているところ、全部が熱いです。バレているでしょうか。


「それに君の希望を叶えるためには、何を望んでいるのか伝えてもらわなければ始まらないだろう」


 そう言いながら、彼は軽々と黒翼竜の背に私を抱えあげました。

 団長の片腕が体に回され、後ろから抱きしめられるような格好になっています。


 困りました。

 心臓が早鐘のように打っています。

 顔を見られないのが唯一の救いです。


 黒翼竜が、ゆっくりと空へ舞い上がりました。


 風が頬を撫でます。

 地上の天幕が、少しずつ小さくなっていく。


 二十年前。

 この背の上で、私は彼に抱えられていました。


 あの時の空は、何色だったのでしょう。

 視界は暗く、体は冷たく、彼の腕の温もりさえ遠く感じました。


 けれど今は違います。


 空は青く、風は秋の気配を含んでいます。

 団長の腕は熱を帯びて、力強く私を包んでいます。


「……団長」


 私は彼を見上げるように、ほんの少し首を巡らせました。


「ありがとうございます。あの時も、そして今も」


 彼は何も言わず、ただ優しく微笑みました。

 そして、そっと顔を近付けたかと思うと、私の額にキスを落としました。


「……っ?!」


 慌てて前を向くと、また耳のすぐそばで囁かれました。


「だめだったか?」


「だ、だめではありません……けど……っ」


 これは、なんのキスなんですか?

 というか、私たちって、いったいどんな関係なんでしょう。

 お互いに傍にいたい、そう確認しました。

 でも、好きだとは伝えていません。団長からも言われていません。


 ……あれ?


 もしかして騎士として傍にいてくれてます?


 そう思った瞬間、急に胸の底が冷えました。


 いえ、そんなはずは。

 そんなはずはない……と思いたいのですが。


 だってこの人は、ずっと私の騎士だと言いました。

 解任された覚えはないとも言いました。

 そして今も、こうして黒翼竜に乗せてくれているわけで。


 ………………。


 だ、ダメです。

 自分の中で結論を出してはいけません。

 またチェルシーに怒られます。


 聞きます。

 怖くても、聞きます。


「団長!」


 私は勢いよく振り返りました。

 すると団長は、わずかに身を引き、苦笑しました。


「どうした? 危ないぞ」


「団長は今、騎士として私の望みを叶えてくださっているのでしょうか」


 そう訊くと、彼は目を見開きました。

 それから、深いため息。


「……どうして、そうなるんだ」


「さっきの額へのキスも、騎士としてですか」


 沈黙。


 風の音だけが、耳をかすめていきます。


 やっぱり聞かなければよかったでしょうか。

 でも、聞かなければ、きっとまた勝手に考えて、勝手に落ち込んで、勝手に変な方向へ走ります。


 それはもう、やめると決めたのです。


「……騎士は」


 やがて、団長が口を開きました。


「守るべき相手の額に、あんなふうにキスはしない」


「では……」


 言い募ろうとすると、彼は困ったように眉を下げました。


「あとで、ちゃんと言うから、今は聞かないでくれ」


「でも……」


「それ以上訊くなら、口を塞ぐぞ」


「え?」


 額と額が、こつんと当たりました。


「今は両手が使えない。さて、何で塞ごうか」


「〜〜〜っ!!」


 私は慌てて前を向きました。


「あなた、そんなこと言う人でしたかっ?!」


「君が知っているのは、騎士の顔と、団長の顔だけだ」


「そうですけど……っ!」


 このままでは心臓が保ちません。


 私は黒翼竜の首元を見つめたまま、必死に呼吸を整えました。


 後ろから、団長が小さく笑う気配がします。


「笑わないでください!」


「ああ、すまない。可愛くて、つい」


「〜〜〜っ!!」


 もうっ!!


 そんな会話をしているうちに、黒翼竜がゆっくりと高度を下げ始めました。


 霊獣舎に戻ると、そこはいつもの騒がしさを取り戻しつつありました。


 チェルシーは私を見るなり目を細め、

「……なるほど。抱きかかえられて帰ってきたんですね」

 と、すべてを察した顔をしました。


 エリンさんは「お疲れさま」と柔らかく笑い、エルネストさんは改良版聖笛の活躍について熱く語ってくれました。それから「報告書もよろしくね!」と現実も突きつけられました。


 ちなみにピエラはヴラニミルから離れたくないと鳴き続けて、今は神殿にいるそうです。ヴラニミルの渋い顔が目に浮かびますが、つがいなんだから仕方ありません。


 その時、リアとアルの会話を思い出しました。


『いいなぁ、私もつがいが欲しい』

『つがいって……霊獣じゃないんですから』

『アルにはいないのか?』

『……おりません。残念ながら』

『さみしいやつだなぁ。生まれ変わったら私が……』


 リアは、続く言葉を飲み込みました。

 友人ですらない、ただの部下だと思っていたから。


 でも、私はちゃんと言います。

 言わなくちゃいけないんです。


 私は、すぅ、と息を吸い込みました。


「団長。一緒に行きたいところがあるんです」


 *


 団長は何も聞かずに、ついてきてくれました。

 けれど、目的地はすぐにわかったでしょう。

 かつて、彼が騎士として何度も通った道ですから。


 神殿の白い壁沿いに歩いた先、神官や聖女たちが暮らす建物の一角に、リアの部屋はありました。

 その窓が見える通りで、私は足を止めました。ほんの少しだけ色づき始めたトレシュニャの葉が、風に揺れています。見上げると、今は窓は閉じられ、中を窺い知ることはできません。


 あの窓から、私はよく外を見ていました。

 手を繋いで歩く恋人たち。

 笑いながら駆けていく子どもたち。

 花束を抱えた青年。

 犬を連れた老人。


 私には関係のない、窓の外の世界。


 でも今、私はそこに立っています。


「懐かしいな」


 団長も目を細めて、同じ窓を見上げています。


「出勤する時、遠回りなのにわざわざこっちを通っていた」


「どうしてです?」


「リア様が手を振ってくださるからだ。すぐに会えるのにな」


 私は目を瞬きました。


「……二十年越しに知りました」


「気付かれていると思ってたんだが……」


 団長は小さく笑って、それからこちらに向き直りました。


「やはり、言葉にしないと何も伝わらないな」


「はい」


 私は胸元をぎゅっと押さえました。

 痛いくらいに、心臓が鳴っています。


 言わなくちゃ。


「団長、私……」


 言おうとした瞬間、彼に手を取られました。


「フィオナ」


 低い声が、まっすぐに私を呼びました。


「俺から言わせてくれ」


 その一言で、用意していた言葉が全部飛びました。


 団長は私の手を取ったまま、かつての窓を一度だけ見上げました。


「リア様を忘れることはできない」


「……はい」


「忘れたいとも思わない。あの方がいたから、今の俺がある」


 胸の奥が、少しだけ痛みました。


 リアをなかったことにしてほしいわけではありません。


 あなたと過ごして、守られて。

 それでも最後まであなたの想いに気付かずに、自分の気持ちにさえ蓋をした。


 そんなリアも──私です。


 団長は視線を戻し、私を見ました。


「だが、今、共に生きたいのはフィオナだ」


 握られた手に、力が込められます。


 黒い瞳が、真っ直ぐに、逃げ場をなくすほど静かに、私を捉えました。


「君が好きだ、フィオナ」


 その言葉が、ゆっくりと胸の奥へ染み込んでいきます。


 ずっと欲しかった言葉でした。

 リアではなく。

 大聖女ではなく。

 ただのフィオナに向けられた言葉。


 知らず、涙がこぼれました。


 嬉しくて。

 でもどこかに痛みがあって。

 それはきっと、二十年前の後悔で。


 胸が震えて、喉の奥が詰まりそうになりました。

 けれど逃げずに、彼を見上げました。


「私も、あなたが好きです」


 声が震えました。

 でも、ようやく言えました。


「フィオナとして、あなたのそばにいたいです」


 団長は柔らかく目を細め、少しだけ身をかがめました。


「キスしても?」


 また確認です。


 そう訊かれては、よけいに恥ずかしいではありませんか。

 でも、照れ隠しで拒否なんてしようものなら、本当にキスしてくれないでしょう。

 それは困ります。


「……はい」


 そう答えた私は、いったいどんな顔をしていたでしょう。耳まで熱くて、彼を見ることができません。


「では、どこにキスして欲しい?」


 えっ?!

 そこまで確認するんですか?!


 思わず顔を上げると、彼は少し楽しそうに笑っていました。


 もしかして、わざと困らせてますか?!


「……ど」

「ど?」

「どこでも構いません! 察してください!」


「わかった」


 私はほっと胸をなでおろしました。

 誤解は避けたい、明言してくれと言われたら、どうしようかと思いました。


 彼は私の頬を優しく挟み、愛おしそうにそっと撫でました。

 そして彼の顔が近づき、私はぎゅっと目をつむりました。


 ちゅ、と音がして。

 柔らかな感触が落ちたのは──




 ──おでこ。


 ………………。


 おでこ?


 いえ、いいんですよ?

 私が恥ずかしがっているのを察してくれたんですよね?

 だから、別にかまいません。

 ……たぶん。


「不満そうだな?」


 少しからかうような声音に、顔が赤くなるのを感じました。


「そ、そんなこと……っ」


 けれど言い終わる前に、ぐっと体を引き寄せられました。


「……っ?!」


 そして、唇が重なりました。


「……んっ……」


 柔らかく、甘やかな感触に頭がくらくらします。腰と頭に添えられた手は、強くはないのに、決して逃してはくれません。


「……んんっ」


 なんだか知らない感覚が、じわじわと体を満たしてゆくようです。


 もっと近づきたい。

 でも。


 怖くなって身じろぎをすると、彼はゆっくりと唇を離しました。


「……察した」


 何をですか!


「わ、私ばかりに訊かないで、あなたも望みを言ってください。お互いに誤解を避けるんですよね?」


「ああ。でも本当に言っていいのか?」


「はい!」


「重いぞ?」


「…………はい」


 早速鈍った答えに、彼は苦笑を浮かべ、私の耳元に口を寄せました。


 ひとつ。


「……っ?!」


 またひとつ。


「そ、それって……」


 まだ続きます。

 私は恥ずかしくなって、両手で顔を覆いました。


「分かりました! 分かりましたから!」


「そうか?」


 彼は物足りなさそうに言うと、私の両手を顔から外し、目を覗き込みました。


「つまり、俺は君の全部が欲しい。心も体も、これからの思い出も時間も、そして来世も、全部だ」


「〜〜〜っ!! 重いですっ!!」


「知ってる」


 だから言っただろう、と彼は私を抱きしめました。


「もう絶対に離さない」


 それは、決意のこもった真剣な声でした。

 胸に押し当てられた耳に、速い鼓動が届きます。


 ……彼も、緊張しているのでしょうか。


 なんだかとても愛おしくなって、私も彼をぎゅっと抱きしめました。


「はい。私も離しません。覚悟してくださいね」


 その言葉に応えるように、彼の腕に力が込められました。


 その時、神殿の奥の方から、ピエラの鳴く声が聞こえてきました。


 ふと、かつての窓を見上げました。


 そこにはもう、誰もいません。

 リアも、アルベルトも、小さなピエラも。


 けれど一瞬だけ、昔の私たちが窓辺にいるような気がしました。



 ──────────────


 柔らかな風に、白いカーテンが揺れる。

 リアは窓枠に頬杖をつきながら、通りをぼんやりと眺めていた。肩には、まだ産毛の残るピエラが乗っている。


 どこか遠くから、翼竜の鳴く声が、細く長く聞こえてきた。冬に備えて南に渡る種類だ。秋を連れてくると言われるその声は、どこか物悲しい調子を帯びて、空に響き渡る。

 リアが顔を上げると、そこには澄み切った青い空が広がっていた。


 いつの間に、夏が過ぎたんだろう。


『きゅうぅぅぅ〜』

 とピエラがバイバイをするように鳴いた。


『お、賢いな。春までお別れだってわかるのか?』


『きゅっ!』


 それから通りに視線を戻すと、恋人らしき二人が歩いてきて、ベンチに腰を下ろした。

 黄色く染まるトレシュニャの葉が、彼らに柔らかな影を落としている。

 何を話しているのか、二人はずっと笑顔だ。


『いいなぁ。楽しそう』


『きゅ』


『あ、キスしたぞ、あの二人。見てみろ、アルベルト』


『聖下、またそのようなものを覗いて……』


 アルベルトは小さく息を吐きながら、リアの傍に立った。


『いいじゃないか。幸せそうだなぁ』


『……そうですね』


 アルベルトの声は固かったが、リアは構わず続けた。


『私もいつか、あんなふうに誰かと通りを歩けるかな』


『歩けますよ』


『本当に? キスもできるかな?』


 そう問いかけると、わずかに息をのむ気配がした。それから、アルベルトは言葉を絞り出した。


『……ええ。きっと』


 低く沈む声に、リアは苦笑した。


『下手な慰めだな』


 リアは肩のピエラを撫でながら、アルベルトを見上げた。


『仕方ない。どうしてもと言うなら、アルと歩いてやろう。光栄に思え』


『……護衛としてなら』


『つまらない答えだなぁ』


 ──────────────


 つまらない答えをした若き騎士は、今、私の隣にいます。


 大聖女の護衛としてではなく。

 私の恋人として。


 窓の外にあった世界は、もう憧れではありません。


 私はここで、生きていきます。


 普通の愛され女子として。

 ただし、少し過保護で、だいぶ重たい聖騎士団長様の溺愛つきで。






おしまい

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


少しでも楽しんでいただけたのでしたら、とても嬉しいです。

よろしければ評価★★★★★やブックマークなどで応援していただけると、今後の励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ショートショート転生ものです。 よろしければお立ち寄り下さい。 「つきましては、結婚を前提としたお付き合いをしていただきたいのですが」
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。