第26話 決別
全員の視線がこちらを向きました。
けれど、アルとエルネストさんの厳しい視線に、発言は間違いだったと気付きました。
でも、分かるのに分からないふりをするのは嫌です。ピエラたちにも迷惑です。
私はぐっと拳を握りました。
「お見合いはしたくないと言ってます」
部長と聖騎士たちが、困惑したようにアルを見ます。アルは険しい視線のまま、私を詰問しました。
「君がそう思う、という以外に客観的な資料はあるのか?」
「……ありません」
「なら、今は余計な口を挟むな」
厳しい口調に、喉が詰まります。
それでも声を絞り出しました。
「でも、ピエラは嫌がってるんです。そんなこと、させたくありません」
「なら、そのつがいをどうやって見つけるんだ。手持ちの翼竜は少ないんだ。会わせるしかないだろう」
「手持ち、って……そんな言い方しないでください」
「霊獣も重要な戦略物資のひとつだ」
その言葉にカチンときました。
「でも生き物です! そんな考えだから、ピエラたちの繁殖に失敗するんですよ。もっとよくこの子たちのことを知るべきです。だいたい、そんなにお見合いさせたいなら、まずあなたがやればいいじゃないですか、あの伯爵令嬢と!」
「俺のことは今関係ないだろう!」
「ありますよ! 嫌なこと押しつけられたくないのは人間も翼竜も同じです!」
そう言って睨み合っていると、エルネストさんが大きなため息をつきながら間に入ってきました。
「あのさぁ、痴話喧嘩は、よそでやってくれないかなぁ」
ふと見ると、聖騎士たちは身の置きどころに困ったように目を伏せています。
部長さんは「君、正気?」と言わんばかりに目を剥いています。
アルは、怒りを無理やり飲み込んだような低い声で言いました。
「……ついて来い」
……怖いです。
でも私だって怒ってますから。負けません。
そこは、霊獣舎裏手に位置する、今は使われていない古い飛行訓練場でした。
草に半ば埋もれた白線と、朽ちかけた古い着陸標識が、森へ帰ろうとしています。
遠くの空では、訓練中の翼狼が小さな影になって旋回しています。
「どうしてあんな不用意な発言をした」
アルは近くの木にもたれかかり、腕を組みました。
風が木々を揺らし、光がちらちらと土の上で踊っています。
私は切り取られた青空を見上げ、ため息を吐きました。
「……誰もピエラのことを分かっていないからです。あの子は運命のつがいを待っているんです」
「それについては、後で聞く。俺が言っているのは、発言したこと自体だ。」
黙っていると、彼は呆れたように手のひらを上に向けました。
「ピエラの世話を君に任せる際に、俺が言ったことを覚えているか?」
記憶を辿りましたが、はっきりと覚えていません。彼は微かに眉根を寄せました。
「霊獣の言葉が分かることは誰にも言うな、と指示しなったか?」
そういえば、そんなことを言われた気がします。破ったらこんなに怒られるとは思いませんでしたが。
「……なぜそんなことを指図されなくちゃいけないんです。言葉が分かることはいいことじゃないですか」
忘れていたことを棚に上げて反論すると、彼は鋭い視線をこちらに向けました。
「君だけが分かって、解決して、それが何になる? 君がいなくなったら、他の霊獣たちはどうなるんだ。あまりに無責任だ」
「……またそれですか。大きすぎる力も特殊な力も使うなってことですか?」
「不用意に見せるなと言っている。霊獣と話せる能力は研究するべきだろう。だが、人は弱い。能力が知れ渡れば、依存されて搾取されるのは、君だ」
……心配しているフリなんていりません。
結界を張れる大聖女も、霊獣と話せる世話係も、あなたにとっては進歩を妨げる壁でしかないのでしょう?
私は皮肉るように唇の端を上げました。
「大聖女、早く死んでくれてよかったですね。あのまま長生きしていたら境界門を破壊することなんてできなかったでしょうし」
彼の目が、わずかに見開かれたまま固まりました。それはやがて言葉の意味を探すように宙をさまよい、またぴたりと私の上で止まりました。
「……君は、何を言っている?」
掠れた声には、戸惑いの影が落ちていました。
「そんなふうには思っていない。どこをどうしたら、そんな考えになるんだ」
……分かっています。
そんな意味で言ったんじゃないことくらい、分かってるんです。
でも。
本音が滲んだのでは?
「害悪だと言い切ったのはあなたでしょう?」
私が一歩近付くと、彼は身構えるように、木から背を離しました。
「ずるいですよね。今頃になって、何もするな、だなんて」
「違う。そうではなく……!」
「だったら!」
耐えきれず、叫びました。
「あの時言ってくれたらよかったじゃないですか! 私は何もかも犠牲にしてきました。来る日も来る日も結界を構築して、人々を治癒して、花火が見たいという願いすら聞き入れてもらえず、あなたたちの操り人形をやってきたじゃないですか! 必要な時だけ崇めて利用して、自分たちが対抗手段を持ったらもういらないって、私をなんだと思ってるんですか? 私を殺したのは、無知で無策で弱かったあなたたち聖騎士じゃないですか! 心配するふりなんてやめてください!」
一気に捲し立て、吐く息が胸で震えました。
指先が痺れて、心臓が痛いほど脈打っています。
アルは目を見開き、顔を強張らせて、微動だにしません。
沈黙の中、風が木々を渡ります。
ざあっ、と葉のこすれる音だけが耳につきました。
やがて、彼は消え入りそうな声で呟きました。
「……あなたは、ずっとそう思って……」
私は彼の目を見ることができませんでした。
いいえ。
聖騎士のせいだなんて思ってません。こう言えばあなたが傷つくと分かっているから言ってるんです。
最低です。
自分が傷ついたから、嘘をついてまで傷つけようだなんて、本当に本当に最低です。
でも自分で自分のことが制御できませんでした。
「利用されてることくらい、いくらバカな私でも分かりましたよ。でも私には大聖女として生きる道しかなかったし、探そうともしなかった。本当は逃げることもできたのに、それも選ばなかった。ほんと、愚かですよね」
これは、本音でした。
私があの環境に甘んじていただけ。
「だから、気に病む必要はないですよ。別にいつ死んでもよかったからあんな無茶な結界構築をしたんです。結局のところ、私には何もできなかった。ゼライア様が亡くなってから、愛してくれる人もいなかった。あなただって、友人ですらなかったじゃないですか。生きてる理由なんて……ひとつもなかった」
沈黙が落ちました。
アルの瞳が揺れ、言葉を探すように口がわずかに開きます。やがて、無理やり引きずり出したような震える声が、ぽつりと落ちました。
「……友人ですら、なかったと。そう仰るのですか」
それから、また長い沈黙がありました。
彼は、視線を落としたまま、唇を引き結んでいました。それでも、やがて何かを決意したかのように、すっと視線を上げ、私をまっすぐに捉えました。
「私は……あなたをお慕いしておりました」
思わず、息をのみました。
その目は真剣でどこか熱っぽく、懇願するような色がありました。でも、それが何を意味するのか分かりませんでした。
慕う、なんて言葉、どうとでもとれます。
それは、私が欲しい言葉と同じですか?同じ気持ちですか?
だから、私は突き放しました。
「……尊敬なんていりません。それに結局、大聖女なんて技術革新の妨げだと思うようになったんでしょう? 尊敬が聞いて呆れます。その時々に使える駒を崇めているだけでしょう」
「……違います。尊敬だけではなく、私はあなたのことを……!」
彼は言葉を飲みこみ、目を逸らしました。
「私のことを?」
「……分かるでしょう」
「いいえ?」
「……本気で言ってます?」
「いいえ。でも、あなたの口から聞きたいんです」
彼はすぐには答えませんでした。
深く息をつき、やがて重たい口を開きました。
「……あなたを……好きだったんです。全部、総帥の言った通りですよ」
どこか、投げやりな口調でした。
それから片手で額を覆い、首を振りました。
「まさか、初恋を二十年引きずった挙句、友人ですらなかったと言われるとは……」
そんな彼を見て、私は目を瞬きました。
不思議な気持ちでした。
好きだった、初恋だったと、そう言われたはずなのに、何も心が動かないのです。
嬉しいはずなのに。
欲しかった言葉に、限りなく近いはずなのに。
胸の奥は静まり返っていました。
やがて、気付きました。
──これは、リアへの言葉。
でも私は、もうリアじゃない。
本当に欲しいのは、フィオナへの想い。
でも、そんなものあるのでしょうか?
ただのフィオナなら、彼は私のことなんて気にも留めなかったでしょう。霊獣舎の末端と、聖騎士団の団長では、接点などないに等しいのですから。
このままリアとして言葉を受け取れば、彼は近くにいてくれるでしょう。愛してくれるかもしれません。
でも、それは──ひどく虚しいことではないでしょうか。
足元で、さらさらと砂が流れて、踏みしめていたはずのものが静かに崩れていくようでした。
私は──リアを終わらせなくちゃいけない。
それが例え、関係の終わりを意味していたとしても。
決意と同時に、深く息を吸い込みました。
「ありがとう、アルベルト」
そう微笑むと、彼は何かを悟ったように、小さく目を開きました。
私は彼の手をそっと取りました。
「あの時、私は誰のことも好きではなかったし、恋なんてもの、窓の外にあるものだった」
「……分かっています。追い討ちをかけないでください」
そのむくれたような様子に、私は苦笑を浮かべ、手に力を込めました。
「でも君は、私にとって特別で、大切な人だった。私はいつ死んでもよかったが、君のいる世界を守りたいと思ったのは事実だ」
それから、私は目を伏せました。
「……本当はもう、分かってるんだよ。君の目指す世界の方が、いいってことは。私は君に嫉妬しているのかもしれないな。この二十年で君が成し遂げたことは、私なんかとは比べものにならないからね。私は死ねばおしまいだが、君は多くのものを後世に残せる」
「待ってください。そんな風に言われては立つ瀬がありません」
アルの眉が下がり、すがるように手を握り返してきました。
「私のやってきたことは全てあなたのためです。人類や国のためなどと綺麗事を言うつもりはありません。いえ、むしろ、もう二度とあなたを失いたくないという私利私欲でしかない。あなたにそう言われては、私は何のために……!」
それは、喉の奥から絞り出したような、吐息混じりの震える声でした。
思わず、彼を抱きしめそうになりました。
けれど、伸ばしかけた手は、行き場をなくして空にとどまり、やがて彼の頬に触れました。
私をまっすぐに見ていた瞳が揺れ、伏せられました。
「ありがとう。私は、君の用意してくれた“大聖女が必要ない世界”に守られていたんだな」
そう言ってから、私は目を閉じました。
フィオナとして生きてきた年月は、前世の私が望んだものに満ちていました。
優しい家族。
楽しかった子ども時代。
霊獣舎での仕事。
そして、あなたに出会えたこと。
「フィオナは、幸せだよ。全部、君のおかげだ」
彼女はもう、私の生きた年月を超えていく。
大聖女ではなく、ただの女の子として。
「だからもう──終わりにしよう」
私は、伏せられていた彼の瞳を覗き込み、微笑みました。
「君の幸せを願っているよ」
そして彼の額にそっとキスを落とし、手を離しました。
「さぁ、ただのフィオナと団長に戻ろう」
彼の瞳が揺らぎ、唇が震えました。
「……戻れると、思うのですか」
私は首を振りました。
「それでも、戻るんだよ。アルベルト」
「でも私は……!!」
「これは命令だ」
彼の瞳が、大きく揺れました。
「大聖女リアの、最後の命令だよ」
彼は唇を噛み、目をぎゅっと閉じました。
そして私を引き寄せると、強く抱きしめました。息が苦しいほどに強く、深く、まるで私の中に沈もうとするように。
無言のまま、どれくらいそうしていたのでしょう、やがて彼は身を離し、目を逸らしたまま、その場を後にしました。
私はその場に立ち尽くしたまま、涙がこぼれるにまかせていました。




