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第24話 望まれない力

 鏡の中から、泣き腫らした目の、みじめな女の子が見返してきます。


 あの後、総帥がいるのに帰るわけにもいかず、私は演技をするしかありませんでした。それはアルも同じだったでしょう。

 それでも、彼は私を家まで送り届けてくれました。二人ともずっと無言で歩きました。彼は最後に何か言いかけましたが、私はもう何も聞きたくなくて、逃げるように家に入って、声を殺して泣きました。


 思い出すだけで、また涙が滲みそうになります。


 大聖女としての私なんて、最初から必要じゃなかった。彼にとっては害悪でしかなかった。


 ……早めに死んでよかったです。

 自分では気付きませんでしたから。


 どれだけみっともない顔をしていても、仕事には行かなければなりません。

 顔を洗って──でもお化粧をする気にはなりませんでした。


 私はうつむきながら、足早に霊獣舎へと向かいました。雨の降りそうな空が私の心を表しているみたいで、ともすると胸の奥の痛みに引きずられそうになります。


 ……もし今、アルに出会ったら?


 けれど数人の聖騎士とすれ違っただけで、彼には会いませんでした。

 ほっとしたのに、どこかで残念だと思っている。そんな自分が嫌になります。

 あそこまで拒絶されたのに、本当に愚かです。


 今日はエルネストさんのお手伝いをさせてもらえることになっています。

 霊獣舎に入り、医術用の杖をロッカーから取り出したところにチェルシーが出勤してきました。


「おはようございまーす。あ、フィオナさん、今日は霊獣医の方ですか? 白衣ってカッコいいですよね」


 今日もチェルシーの笑顔は完璧です。

 なんだか急に自分が恥ずかしくなりました。

 目を合わせられません。


「……どうしました?」


 チェルシーが顔を覗き込んできました。

 さっと顔を背けましたが、彼女の観察眼を逃れることなんてできません。がしっと両頬を挟まれ、眉をひそめられてしまいました。


「目が腫れてますよ? それにお化粧もしてませんし。何があったんです?」


 私は、ついと目をそらしました。


「……えっと、怖い夢を見て……」


「嘘はダメですよ」

 チェルシーはそう言うと、私の左手をつかみました。

「指輪、どうしたんですか?」


 ……さすが師匠です。

 隠し事なんかできません。


「……お昼休み、話を聞いてくれますか?」

「もちろんです」

 チェルシーは力強くうなずくと、ふいに私のロッカーを開けました。

「でもその前に軽くお化粧しますよ。ポーチ借りますね」


 数分後、内側から輝くような、つやつやお肌の私が鏡に映っていました。泣き疲れて寝たとはとても思えません。むしろいつもより幸せそうに見えます。


「ほら、つらい時こそお化粧はした方がいいんですよ。フィオナさん、ようやく笑いましたね」


 チェルシーがそっと肩に手を添えてくれました。その優しさに、また涙が出そうになります。でもそこをぐっと堪えて、にこりと笑いました。


「ありがとうございます、チェルシー」

「どういたしまして。じゃあ、またお昼にね」


 その笑顔が本当に眩しくて。


 更衣室を出る時に、私はもう一度鏡を見て微笑みました。


 ……大丈夫。

 ちゃんと笑えてる。


 もしアルに会っても、ちゃんとできる。

 彼は、ただの上司。それだけ。


 ──でも。


 なんでこんな朝から霊獣舎にいるんですか?!


 ピエラの檻の前で、うちの部長と話しているあの後ろ姿。どう見てもアルじゃないですか!


 私は慌てて物陰に隠れました。


 やっぱり無理です!

 笑顔で対応するなんて絶対に無理です!

 もうこのまま五年ほど会わなければ、普通にできるでしょうか?

 でも霊獣舎を辞めたら、路頭に迷ってしまいます。


「キュルルルルルルル!!」


 ピエラが私に気付いて鳴きだしました。


 あぁぁぁぁ、今はやめてくださいピエラ!


 あれ?そういえばピエラってどこかから移送されてきましたよね?


 ……はっ!気付いてしまいました。

 別の地方霊獣舎に行けばいいのでは?!

 確か事務室に異動願いの用紙があったはずです。そうと決まれば善は急げです!


 私は、こそっとその場を離れ、事務室に駆け込みました。


「あら、おはよう、フィオナ」


 エリンさんです。

 私は挨拶を返すと、棚に置かれている異動願いの用紙を引っ掴みました。

 ……どこへの配属を希望するか?

 ここ以外ならどこでも、と書いておけばいいでしょうか。


「今日はピエラのお見合い相手が来るのよ。今回こそは気に入ってくれるといいんだけど……」

 エリンさんはそう言いながら私の手元を覗き込み──

「待って!!」

 と叫びました。


「な、なんでしょう?」

「待ってフィオナ。異動願いって……どうして? 何か嫌なことでもあったの? それとも私に至らないところがあったのかしら?!」


 いいえ。エリンさんはホワイト上司です。

 問題は団長です。

 ……なんて言えません。


「おはよー。あれ? エリンさんにフィオナ?」


 今度はエルネストさんが眠そうな顔で出勤してきました。

 エリンさんは、掴みかからんばかりの勢いで、彼に詰め寄ります。


「エルネスト! あなた霊獣医の仕事が多いからって、フィオナに雑務を押し付けてるんじゃないでしょうね?!」


「えっ、えっ? 何?」


 すっかり目が覚めたように、エルネストさんは私とエリンさんを交互に見ます。


「だってフィオナが異動願いを書いているのよ? 最近は試験勉強で忙しいし、あなたにもこき使われて、疲れてるのよ、きっと」


「そんなぁ、濡れ衣だよー」

 エルネストさんは情けない声をあげながら、ちらりと私を見ました。

「もしかして……団長と何かあった?」


 とっさに演技ができず、思わず固まってしまいました。そんな私を見て、エリンさんの眉がぴくりと跳ねました。


「……また団長なの? 抱きしめる以外に何をされたの?! 厳重に抗議してくるわ!」


 今にも飛び出していきそうなエリンさんを押し留めて、私は慌てて異動願いを引っ込めました。


「ち、違うんです。もっと田舎でもふもふスローライフを送りたくて……っ! でも大丈夫です! 発作みたいなものですから! 行きましょうエルネストさん!」


 私は彼の白衣の袖を引っ張って、事務室を後にしました。


 ……そうですよね。

 ここも人手不足なのに、異動したいだなんて、わがままです。それに、こんなにも素敵な職場をなんで私が離れなくちゃいけないんですか?

 離れるならアルが政略結婚して出ていけばいいんです!


 段々と腹が立ってきました。

 それが顔に出ていたのでしょう、エルネストさんが苦笑しながら肩をすくめました。


「まあ、落ち込みよりは、怒りの方がいいかな? 何があったのか知らないけどさ」


「はい! 今日はよろしくお願いします!」


 私は深々と頭を下げました。


 そうです。

 私は霊獣医になるんです。

 アルなんかのために大聖女に戻ろうとしたなんてバカみたいです。

 望まれてもいないのに。

 嫌われてるのに。


 ……あっ!ダメです。

 この思考は危険です。集中、集中!


*


 エルネストさんが、怪我を負った翼狼の手当てをしています。縫合時に使う聖力の出力について聞かれたので答えると、少し意地悪っぽく笑われました。


「正解だけど、それは試験の模範回答だね。僕は今、どこを縫ってる?」


 ……ああ、そうか。

 背中と顔では厚みが全然違いますもんね。


「現場では臨機応変にね。フィオナちゃんもやってみる? こいつ足も怪我してるんだ」


 包帯を解いて見てみると、深い切り傷がありました。


「痛かったでしょう。すぐに縫いますからね」

「くぅん」

「大丈夫ですよ。聖力の糸で縫いますので痛くありません。抜糸も必要ありませんからね」

「きゅーん。くんくん、くぅん」

「え? お腹も痛いんですか? エルネストさん、この子お腹にも怪我をしましたか?」


 私は足の怪我を縫合しながら、エルネストさんに話しかけました。彼は手を止めて、翼狼の腹部を触りました。


「きゃん!!」


 お腹の一部に触れた時、悲痛な鳴き声が漏れました。エルネストさんの顔が険しくなります。


「……内臓出血があるのかもしれない」


 確かその場合は、出血箇所を探すための医療聖術を使わなくてはなりません。私が教科書をめくっている間に、エルネストさんは左手の杖を腹部に向けて、術を展開していました。


「……あった」


 そして右手の杖で治療のための術をかけます。

 別々の術を同時に展開するなんて、エルネストさんはすごいです!

 翼狼の顔が穏やかになっていきます。

 頭をなでてやると、尻尾を振ってくれました。

 これで一安心です。


「まだ動いちゃダメですよ。じーっとしててくださいね」

「くぅん」


 翼狼は返事をすると、うつらうつらと眠り始めました。


「フィオナちゃんってほんとに霊獣と話せるんだねぇ」

 カルテにペンを走らせていたエルネストさんの手が、途中でぴたりと止まりました。

「対話後の触診により発見って書くと、他の人が困っちゃうよねぇ」


 私は首をひねりました。


「でも対話といっても、言葉として聞こえるわけじゃないんですよ? 霊獣の言葉には聖力が乗せられているので、それを読み解いているだけなんです」

「それは、"だけ"、とは言わないよ。貴重な特殊能力だと自覚するべきだ。あまり外では使わない方がいい」


 いつになく真剣な彼の瞳を、私はまっすぐ見れませんでした。


 ……ここでも、そうなんですね。


 私はまたアルの言葉を思い出してしまいました。


 ──もし新たな大聖女が現れたとしても、俺は頼る気などない。むしろ害悪だ。


 ……私って、いらない子みたいです。


 その時、広場の方で翼竜の鳴き声が響き渡りました。私とエルネストさんは目を見合わせ、慌てて駆けつけました。

 そこには移送されてきた赤銀色の翼竜がいて、何が気に入らないのか、怒り狂ったように吼えながら、暴れていました。騎士が振り落とされ、地面に打ち付けられます。


 私はその騎士の元へ向かおうとして──


 動けなくなりました。


 聖女の治癒術は万能なのです。

 女神の祝福とも呼ばれて、あらゆる病気や怪我を治療できます。それは人が開発した医療聖術とは違って、聖女としての力を持つ者にしか使えません。


 ……私なら、一瞬で彼の傷を治せる。


 でもそれは、望まれていないのです。


 聖笛が鳴り響きます。

 けれどまだ最適化されていない笛では、翼竜の怒りはおさまりません。いえ、ここまで暴れる竜には聖笛では効かないでしょう。これは聖力で一気に押さえ込まなければ、人も竜も怪我をしてしまいます。


 ……私なら、できる。


 でも。


 どこまでの聖力なら普通なんですか?


 聖騎士たちが駆けつけてきました。

 聖力で押さえ込もうとしていますが、うまくいきません。十人の力で足りないのなら、百人いればいいのでしょうか?


 霊獣医たちが、眠らせるための聖術を展開させました。けれど、翼竜はすべて弾いてしまいました。


 気付けば、広場には数十人もの聖騎士が集結していました。

 それでも押さえ込めないと分かると、彼らは攻撃の態勢に入りました。このままでは被害が拡大するとの判断なのでしょう。生け捕りよりも、殺す方が簡単です。


 翼竜の口に聖力が収束していきます。

 こんなところでブレス攻撃を放ったら、翼竜自身もただではすみません。


 ──結界を。


 でも。


 その時、大きな羽ばたきの音とともに、上空に大きな影が差しました。

 アルの黒翼竜です。


 赤銀色の翼竜は苛立ったように上を向き──

 次の瞬間、ブレス攻撃を放ちました。

 それは黒い雲を貫き、夏の強い太陽光が無数の矢のように差し込みました。


 私たちは反射的に目をつむりました。それは赤銀の翼竜も同じだったのでしょう。けれどその一瞬前に、黒翼竜から飛び降りる影が見えたような気がしました。


 どん、という大きな音と共に、爆風が走り抜けました。そろそろと薄く目を開けると、土煙の中、赤銀の翼竜が地面に崩れ落ちていました。その眉間の上には、鞘をつけたままの大剣を担ぐアルがいます。


 静寂が落ちました。

 誰もすぐには動けませんでした。


 沈黙の中、アルが赤銀の翼竜の上からひらりと飛び降りました。

 それを合図に聖騎士たちが慌てて駆け寄り、翼竜を拘束していきます。到着した医療班も負傷者を運んでいきます。

 アルは数名の聖騎士と話しながら、霊獣舎に向かってきました。私は隠れるのも忘れて、ぼんやりと彼を見ていました。すれ違う瞬間、視線が絡みました。彼は驚いたように目を見開いて、すぐに逸らしました。


 私はしばらくそこから動けませんでした。


 ……あれは、いいんですか?

 大剣で翼竜の眉間を打つなんて、普通できることじゃありません。


 …………。


 ずるくないですか?!


 私にだって、止められたのに。

 もっと安全に終わらせることができたのに。


 それに……。


 もし、あなたが怪我をしていたら、私──。


 ……だから。


 本当に危機が訪れたら。

 私はきっと大聖女の力を使うでしょう。


 たとえ、それであなたに嫌われたとしても。







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