第23話 総帥と団長との夕食
まだ夕方早い時間でしたので、お店には二組のお客さんしかいませんでした。カウンターの奥には様々なお酒が並び、グラスがつりさげられています。
私たちは窓際のテーブル席に腰掛けました。アルとキーラさんが向かい合い、私はアルの横に座りました。暑さの和らいだ爽やかな風が白いカーテンを揺らします。外を見ると、通りの並木道が夕日に照らされ、オレンジ色に輝いていました。
なんだか、少し大人になった気分です。
ここはお酒がメインのようなのですが、アルから「君は飲むな」と釘を刺されてしまいました。
「お前は保護者か?」とキーラさんが笑います。
アルは何かを思い出したように眉をひそめました。
「彼女は、酒癖が悪いんです」
うう。反論できません。
「あのぅ、一杯くらいならいいですかねぇ?」
横を向いて恐るおそる訊ねると、アルに渋い顔をされてしまいました。
「……一杯だけなら」
でもまぁ、こういう席で、一杯で終わるはずもないんですよね。キーラさんがワインをボトルで注文したので、飲み干す前からグラスに継ぎ足されてしまいます。
「総帥、やめてください。彼女が酔い潰れたら困ります」
アルの抗議などどこ吹く風とばかりに、キーラさんはワインボトルを持ち上げました。
「その時はお前が送っていけばいいだけだ」
アルは反論せず、代わりに私を目で牽制してきました。
……そんな目で見なくても……!
わかりましたよ、私が言えばいいんでしょう?
「すみません総帥。私、以前にも団長に迷惑をおかけしたんです。だから酔っ払うわけにはいかなくて」
私はそう言って、グラスを遠ざけました。
「なんだ、もう二人で飲みに行くような仲だったのか」
「ち、違います。お花見の時です」
「ああ、聖騎士団のか」
キーラさんはアルに視線を送り、不思議そうに目を瞬きました。
「お前、そんなもんに出席する男じゃなかったよな?」
「……エルネストに呼び出されただけです」
「うん、だからそんなことで行くような奴じゃなかっただろう?」
キーラさんは、うーん、と考え込んでしまいました。それから鞄をがさごそとかき回し、一枚の封書を取り出すと、アルに手渡しました。
「お前、見合いする気はないか?」
その言葉に、私はうっかりグラスを倒しそうになりました。
「す、すみません」
キーラさんは一瞬だけこちらに視線を寄越し、すぐにアルに向き直りました。
「お前は次男坊だし爵位も財産も継げないだろう? でも総帥のポストを狙うなら、それなりに金がかかる。この伯爵家は裕福でな、持参金も多いぞ。それに可愛らしいご令嬢だったぞ。封を開けて見てみろ」
けれど、アルは封書をそのまま突き返しました。
「総帥もご存じの通り、境界門破壊は危険を伴います。無責任に結婚はできません」
「お前、二十年そう言い続けてるじゃないか。それだと聖騎士は誰も結婚できないぞ」
「いいえ。結婚が彼らの生きて帰る意思に繋がるのであればいいのです。ですが、私には枷にしかなりません」
キーラさんはテーブルの上で手を組み、身を乗り出すようにアルの瞳を覗き込みました。
「……団長が死ぬような、無謀な作戦案を許可した覚えはないが?」
「もちろんです。ですが余計な責任を背負い込んで、判断を鈍らせたくありません」
その真剣な横顔に、胸がずきりと痛みました。
彼はいったいどれだけのことを犠牲にしてきたのでしょう。好きな人には想いを告げたのでしょうか。
……私が大聖女に戻れば。
またそんな考えが頭をよぎりました。
彼を見ていると、自分がものすごく身勝手に思えます。私は個人的な幸せのために、みんなを、アルを、犠牲にしているのかもしれません。
でも──
「……なら」とキーラさんが続けます。
「次の作戦が成功したら考えてみてくれ。もし総帥のポストを本当に狙っているなら、社交の得意な妻がいた方が便利だ」
私は、はっとしました。
持参金。社交。
それは、とても現実的な話です。
そこに恋だの愛だのが入る余地はありません。
総帥になれば、できることは段違いに多くなるはず。そのための政略結婚は、犠牲とは呼ばないでしょう。
私はアルを見上げてにこりと笑いました。
……うまく笑えているといいのですが。
「団長。私、ご令嬢がどんな人か見てみたいです。その封書、開けるだけ開けてみたらどうです?」
「お、ナイスアシスト」とキーラさんが笑います。けれどアルは何も言わずお酒をあおるだけでした。
私はますます自分のことが嫌いになりました。
アルが好きな人と結ばれるくらいなら、政略結婚して総帥にまで登りつめてほしい。そしたら私は大聖女として彼を支えられる。
……そんなことを考えたのですから。
「団長は総帥になりたくないんですか? 二十年改革を続けてきて、戦功も挙げて、それなのに爵位があるだけの人間にその座を奪われてもいいんですか?」
私がそこまで言うとは思わなかったのでしょう、アルは目を見開きました。
「俺は総帥になりたいわけじゃない。門を破壊できれば、聖騎士団をやめても構わない」
「欲がないねぇ」とキーラさんが笑います。
「というか、もしかして既に恋人がいるとかなら言ってくれよ? 向こうにも都合があるんだから」
アルは小さく息を吐きました。
「……でしたら断りをいれてください。私などより、もっと条件のいい人間がいるでしょう」
私は思わず、「でも」と話に割り込んでしまいました。アルが驚いたようにこちらを見ます。
私が言葉を探していると、彼は皮肉な笑みを浮かべました。
「……よほど俺を結婚させたいようだな」
私はまだ言い募ろうとしましたが、料理が運ばれてきたので口をつぐみました。
大好きなサラミなのに、なんだか味がしません。
「なぁ、アルベルト。お前どんな人が好みなんだ?」
キーラさんの唐突な質問に、アルの手が止まります。私は動揺を悟られないよう、ワインを口に運びました。
キーラさんは、ひらひらと封書を振ります。
「ほんとに可愛らしいんだぞ、ここのご令嬢。前の大聖女様に少し似てる。お前、好きだっただろ?」
危うくワインを吹き出すところでした。
アルは声を絞り出すように答えます。
「……尊敬していただけです」
……そうですよね。知ってました。
なんてこと言い出すんですか、総帥は。
「尊敬? 嘘つけ。可愛いアルベルト少年の初恋の人だろう」
「総帥!」
アルの声に、増えてきたお客さんの視線が集まります。彼は声を落として続けました。
「……部下の前でやめてください。尊敬でご納得いただけないのなら、敬愛で結構です」
「そんな必死に否定しなくてもいいじゃないか。私はお前が神殿に配属される時から見てきたんだぞ? というかむしろ私が提案したんだ。年の近い聖騎士がいれば、大聖女様も話しやすいだろうって。感謝してくれ」
「感謝はしますが、その話題は本当に……」
アルは一瞬こちらを見て、すぐに逸らしました。キーラさんもその視線を追うように私を見て、首を傾げました。
「……顔が赤いぞ、フィオナ君」
「よ、酔ったみたいです」
私は耳にかけていた髪を下ろしました。
これで横のアルからは見えないはずです。
いえ、見えたところで、私が赤くなっている理由なんてわからないでしょうが……。
でも聖力を接続した時に、何か気づかれたかもしれませんし。
「ああ! 思い出したよ!」
キーラさんが突然叫びました。
「フィオナ君の聖力は前の大聖女様に似てるんだ。そりゃあ、神獣も平伏すわけだ」
私は今度こそ固まってしまいました。
なんで握手しただけで分かるんですか?
霊獣並みの感覚じゃありませんか!
「アルベルト、お前もそう思うだろう?」
「いえ、私は……」
「そうか、だからフィオナ君のことを気に入ってるのか! 合点がいったよ。お前、一度主人と思ったら離れない、霊獣みたいだな」
キーラさんはアルの言葉をまるで聞かずに、ひとりで納得してしまいました。そしてワインの空瓶を振って、「やれやれ、酒を注文してくるよ」と行ってしまいました。
……えっ、この雰囲気で二人にしないでください!
「わ、私も一緒に……」
そう言って腰を浮かせると、アルに腕を掴まれました。私はためらいながら、横を向きました。けれど彼はテーブルの一点を見つめたまま、こちらを見ることなく、ぽつりと呟きました。
「……総帥は酔っておられる。あの人の発言は気にするな」
それって、どこからどこまでを否定しているんでしょうか?
私は再び腰を下ろし、酔った勢いに任せてアルの横顔に問いかけました。
「じゃあ、大聖女様のこと、好きじゃなかったんですか?」
テーブルに置かれたアルの手が、ぴくりと動きました。
「……酔ってるのか?」
「はい。明日には忘れてるので聞かせてください」
それでもアルは答えてくれません。
「……団長?」
「忘れた」
……え?
「そんな昔の感情を覚えてるわけがないだろう。顔も声も、もうはっきりとは思い出せない」
一瞬、何も考えられなくなりました。
喉の奥が詰まったように、息ができません。
考えてみれば当たり前のことです。それだけの年月が経ったのですから。
もし好きでいてくれたのだとしても、今は関係ありません。
でも。それでも。
「……もし大聖女がいれば、作戦はどうなりますか?」
私は持参金も何もあげられない。
でも、大聖女としてなら。
「仮定の話に意味はない。時間の無駄だ」
「でも、」
「黙れ」
その声は低く抑えられていたのに、苛烈でした。
「大聖女ありきで防衛を考えるのが、そもそもの間違いだ。奇跡のような力にすがって何になる? そんな状況では、士気は下がり、技術革新もない。もし新たな大聖女が現れたとしても、俺は頼る気などない。むしろ害悪だ」
──害悪。
突きつけられた言葉に、胸のどこかが、ぎしっと軋みました。
なら、過去の私がしてきたことはなんだったのでしょう?なんの意味もなかったのでしょうか?いろんなものを犠牲にしてきました。望むことすらできませんでした。窓から見ていた幸せそうな二人に憧れて、来世ではきっと、と願うことしかできませんでした。
──私は、いったい何を期待していたんでしょう。
彼が優しくしてくれたのは、ただ大聖女を思い出して懐かしかっただけ。ピエラと同じです。
私だってそうです。最初はアルのことを懐かしく感じていただけでした。なのに勝手に好きになって、勝手に傷ついて──。
……私は。
あなたにとって、何者でもないのに。
「……あの、これ」
声が、震えました。
私は共鳴石の指輪を外し、テーブルの上に、ことりと置きました。
「……お返しします。練習に付き合ってくださってありがとうございました」
私は立ち上がり、頭を下げました。そしてそのまま、総帥の元へ向かいました。
アルがどんな顔をしたのかは分かりません。
視線を合わせる勇気など、ありませんでした。




