第19話 二十年の断絶
……金欠です。
お給料日までまだまだなのに、お財布がとってもさみしいことになっています。
あ、貯金はしていますよ。
お給料日に一定額貯金して、残ったお金でやり繰りするんです。立派な大人ですからね!
でもそのやり繰りが下手くそなんですよね……。
今月はチェルシーにワンピース代をようやく返せましたが、それに加えて可愛いスカートを見つけてしまって、つい買ってしまったんです。
はい、完全に自業自得ですね。
ピエラの世話をしながらそんな話をエルネストさんにしていると、翌日大量の本を渡されました。
「霊獣組織学」
「翼狼の血液学」
「霊獣によく効く薬草学」
などなど三十冊はあるでしょうか。
重くて持てません。
「……あの、これは?」
おそるおそる尋ねると、エルネストさんは笑顔でこう言いました。
「霊獣医になれば、お給料は五倍近くあるよ」
「……五倍?!」
「うん。目指してみる?」
「で、でも学校に通うお金なんて……それに仕事もありますし」
「それは大丈夫。霊獣医を増やすために聖騎士団の予算で講座を開いてるんだ。仕事の後に参加できるように夜の開催だしね。僕もいくつか講義を持ってるんだよ」
……それは知りませんでした。
ものすごく大変そうですけど、お給料五倍はとっても魅力的です。
「目がお金になってるよ?」
「えっ?!」
「うそだよ」
エルネストさんがからかうように笑います。
「その本は僕が昔使ってたやつだよ。教科書代は自腹なんだけど……君、貧乏だしね。あげるよ」
「いいんですか?!」
「その代わり……」とエルネストさんは私の目を覗き込みました。
「試験、絶対受かってくれない?!」
「……はい?」
「実はさぁ、このまま合格者が出なかったら予算削られそうなんだよー。君みたいに現場叩き上げの霊獣医がいたら即戦力だし、ほんと頼むよ」
がしっと両手を掴まれ、懇願されてしまいました。その勢いにのまれて頷くと、エルネストさんの顔が輝きました。
「よかったー! じゃあ今日から初級講座が始まるから。はい、これ日程表と申し込み用紙」
後は署名するだけの用紙を渡され、私は目をぱちくりさせました。
……どれだけ用意がいいのでしょう。
署名した後に日程表を見て、私は目を丸くしました。
「……講座、ほぼ毎日ありますよ?」
「だね。頑張ってね」
エルネストさんの満面の笑みに、つられるように笑ってしまいました。
……まぁ、お給料のためにやるしかありませんね。それにピエラたちの病気や怪我を治してあげられるなんて、素敵です。聖力も役立ちそうですし、これは聖女をやるしか能のない私を脱却するいいチャンスですね!
でもまぁ希望が見えただけで金欠なのは変わりませんし、今日のお昼は固いパンと水です。
霊獣舎広場のベンチでもぐもぐとパンを噛みながら、「霊獣のための医療聖術初級」を読んでいると、ふと気付きました。聖術の扱いは人と似ていますね。これなら、技術面はなんとかなりそうです。
ふむふむ。縫合は霊獣の皮膚の厚さに合わせて聖力の出力を変えるんですね……。
本の通りに聖術紋を展開して聖力を流す練習をしていると、上からさっと影が差しました。
「またそんな食事で済ませているのか」
アルの呆れた声が降ってきました。
どきんと心臓が跳ねます。
「交換するものがなくても遠慮せずに来いと言っているだろう」
そしてそのまま横に腰掛けました。
確か午後から翼狼の繁殖についてお話しがあると、エルネストさんが言っていました。
「……さすがにそこまで厚かましくはありませんよ、私」
「俺が来て欲しいだけだ」
「…………ッ?!」
あやうくパンを喉に詰まらせるところでした。
なんてことを真顔で言うんでしょう?!
まぁ、確かに一人ランチはさみしい時もありますし、直属の部下と食べるのは気を遣いますもんね。わかります、わかりますけど、女ったらし認定しますよ?!
「共鳴石に気づかなかったのか?」
そう聞かれてふと指を見ると、指輪がきらりと赤く光りました。普段は青色なのですが、連絡があると赤く光るのです。
「すみません、本に集中してまして……」
「なんの本だ?」
アルがひょいと手元を覗き込みました。
……近いです。
「エルネストに勧誘されたのか?」
「はい。お給料五倍です」
「……確かに」
アルは小さく吹き出し、私の手に小さな包みを乗せました。
「勉強するなら、ますます栄養は大事だ。サラミも入ってる」
「あ、ありがとうございます……」
今日も過保護ですねえ。
アルは自分のランチ包みを開けながら、
「給料を何に使ってるんだ?」
と聞いてきました。
……その目、無駄遣いを疑ってませんか?
私は、えへんと胸を張りました。
「ちゃんと貯金もしてますからね? 結婚資金です」
アルの手がぴたりと止まります。
「……予定でもあるのか?」
「あるわけないじゃないですか。私モテませんからね。チェルシーから色々学んでるんですけど……」
「モテる必要などないだろう」
「ありますよ? 団長は乙女心を分かっていませんねぇ。王子様は待っていても来ないんですから、狩りに行かないと。ってチェルシーも言ってましたよ? あ、今度狩り場に連れて行ってくれるそうです」
「……飲み会か?」
「狩り場と言っていましたよ? 森でしょうか?」
アルは眉間に手を当てて深く息を吐くと、首を横に振りました。
あ、なんだかものすごく呆れられています。
「君は危なっかしすぎる。悪いことは言わないから、行くな」
「え、でも……」
「……頼むから、行かないでくれ」
「じゃあ、団長が弓矢の使い方を教えてくれます?」
「今後絶対に行かないなら、つきっきりで教えてやる」
……それ、意味ありますか?
「それから」とアルが真剣な目で釘を刺しました。
「飲み会にも行くな」
飲み会の話は出ていないのですが……。
変なアルですねぇ。
「団長は兄みたいです」
「お兄さんの苦労が偲ばれるよ」
ひどい言われようです。
「そもそも霊獣医試験を受けるなら、遊んでる暇はないだろう。君が受かってくれないとこちらも困る。霊獣部隊の運用をもっと効率的にするには専門医が必要だからな」
……はっ!
確かにそうです!
と、なると……。
「団長との夕ご飯も行けません……か?」
それは寂しいです。
「……俺とは別にいい。遊びじゃない」
え、まさか仕事の一環なんですか?!
……そっか、そうですよね。
好きな人がいるのに、プライベートで行くわけないですよね……。
ああ、もう。私ってば、恥ずかしい……。
なんだか、ずしんと心が重たいです。
「どうした?」
アルが心配そうに、顔を覗き込んできました。
「いえ! なんでもありません! いただきます!」
私は包みを開いてサラミを頬張りました。
暗い顔をして気をつかわせるなんて、最低です。自分の機嫌は自分でとらないといけません。大人ですからね!
……でも、恋愛は初心者なんです。
今の私、子ども時代のチェルシーにもきっと敵いません。
沈黙が落ちました。
なんだか気まずいです。
何か話題は……えーと、えーと。
「あの、さっき本で読んだんですけど、霊獣ごとに聞き取りやすい周波数があって、霊笛はそれに合わせて作られたんですか?」
「ああ。誰もが君みたいに彼らと話せるわけじゃないからな」
……私も別に話せるわけではないのですが。
なんとなくわかるくらいです。
ふ、とアルの視線が鋭くなります。
「言葉が分かること、誰にも言ってないだろうな?」
「え? はい、特には……」
霊獣お世話係は、だいたい話しかけながら仕事をしますし、変には思われてないはずです。
「あの、昔は霊笛って、なかったですよね?」
「……昔?」
「その、二十年くらい前までは……」
そう、私が聖女の頃はありませんでした。
アルはなぜか苦笑を浮かべました。
「なかったから、作ったんだ」
「団長が?」
「騎士団に提案したのは俺だが、もちろん多くの人間が関わってる。霊獣医や技術者のおかげだ」
そうだったんですね……。
「そういえば、霊獣部隊を大きくしたのは団長だと、ある神官様が言ってましたけど、そうなんですか?」
「……ヴラニミルか。余計なことを」
アルは鼻を鳴らし、腕を組んで続けました。
「魔物の脅威に備えるには、結界だけでは足りない。敵地を攻撃しなければ聖女の負担が増えるばかりだからな」
……聖女のために。
胸がじんと温かくなりました。
かつて、西の境界門は、近づくことすらできませんでした。
結界で塞ぐしかなくて、ただ耐えるだけで。
……それを、壊してくれたんですね。
いったいどれだけの苦労があったのでしょう。
反転攻勢の意見は退けられ、結局は結界に頼るばかりだったのに。
私はアルの横顔を見つめました。
二十年の断絶が、彼と私の間に横たわっているようです。
……あなたは、ずいぶん遠くまで行ってしまったんですね。
ふいに、何かが胸の内を引っ掻きました。
羨望。憧憬。
いいえ。
これは──嫉妬のような、どろりとしたもの。
──本当は、私がやらなくてはいけなかったのに。
それでも、口先から滑り落ちたのは、乾いた言葉でした。
「団長は、すごいです」
でもアルは浮かない顔をしています。
これだけのことを成し遂げてもなお、後悔はなくならないのでしょうか。
──もしも、私が大聖女だと明かせば。
少しはその重荷を取り除いてあげられるのでしょうか。




