第18話 医務室にて
医務室は、静かでした。
足首に医療聖術をかけてもらい、椅子に腰掛けたまま、私はひたすら床を見つめていました。
アルは壁に背をもたせかけ、腕を組んで、黙っています。
……静かすぎます。
処置をしてくれた医務官が誰かに呼ばれ、「しばらく安静に」と言い残して出て行くと、余計に静かになりました。
考えないようにしているのに、さっきの記憶がちらちらとよみがえります。
──いつも、ありがとう。
大好き。
…………。
言ったんでしょうか。
言えなかったんでしょうか。
でも言おうとしたのは、確かで。
ち、違います。
あれは酔っていたからです。
酔った勢いで銅像を口説いたこともありますからね。
……アルには好きな人がいるのに、そんなこと言っても困らせるだけです。
「……あの」
意を決して口を開きました。
「なんだ」
「昨夜なんですけど」
「ああ」
「私……その、誰かを口説いたりしていませんでしたか?」
沈黙。
アルは少しの間、私を見ていました。
それから、ふっと目を細めました。
「……口説いていたな」
「だ、誰を……」
「俺を」
「…………………………」
頭が真っ白になりました。
「あ、あの、それは」
「ああ」
「その、酔っていたので」
「そうだな」
「……すみません、ご迷惑をおかけしました」
結局、頭を下げることしかできませんでした。
好きだと言ってしまったのだとしても、それはただの酔っ払いの戯言です。
アルだってそう思うはずです。
でも……ものすごく恥ずかしくて、気まずいです。
また、しん、と静まり返りました。
何か話題はないでしょうか……。
ぐるぐると考えていると、アルが、ふ、と小さく笑いました。
「……嘘だ」
「え?」
「口説かれてない。泣きそうな顔をしていたから、面白くてつい」
………………はぁぁぁあ?!
乙女の純情を弄んだ罪は大きいですよ?!
でも、何か言ってやろうと思うのに言葉が出てきません。口を開けたり閉じたり、ぱくぱくさせていると、黒い瞳が、愉快そうに細められました。
あ、これは笑っています。
笑っていますよ、この人!
いつもはあんなに仏頂面なのに!
「……笑うところじゃないです!!」
「笑っていない」
「笑ってます! 目が笑ってます!」
「そうか」
全然反省していません。
私は膝の上でぎゅっと手を握りました。
「……じゃあ、私、何もしてないんですね?」
「いや? 口説かれてはいないが、膝枕はさせられたし、あとは……」
アルは少し考えるように視線を横にやり、それから小さく首をふりました。
「あとは秘密だ」
「秘密って何ですか?! 教えてください! 気になるじゃないですか!」
思わず前のめりになると、アルは視線を逸らしました。
その顔がなぜか真剣で、私は思わず口をつぐみました。
もしかして、聖女バレに繋がるような何かを言ってしまったのでは……!
ヤバいです。
ただでさえ疑われている気がするのに、これはある意味、好きだと告白するよりヤバいです。
今すぐリカバリーしなければ!
「ああああの、私、聖女様のファンなんですよね!」
苦し紛れにそう言うと、アルは眉根を寄せてこちらを見ました。
「で、ですから神殿のこととか、すっごく詳しいんです。食堂のメニューまで知ってますからね。け、結界運用についても無駄に知識だけはありますよ。推し聖女様は……あ、あの、あの方です、その、ゼライア様!」
だから私が神殿の内部事情に詳しくてもおかしくないんですよ! ちなみにゼライア様は過去世の師匠です。
どうです? この見事な論法!
思わずにやりと笑うと、アルは呆れたように肩をすくめました。
「ああ、そういうことか。なるほどな」
ふ。引っかかりましたね。
私ってば策士かもしれません。
「それで高高度結界は不必要だと言っていたのか」
私、そんなこと言ったんですか?!
「いや……その、聖女様の負担になりますしね。なくなったみたいで、よかったです」
「そうだな。大聖女様の死後、ヴラニミルが神殿改革に乗り出して、ずいぶん変わったようだ」
あぁ、やっぱりヴラニミルのおかげだったんですね。当時から彼も怒っていましたからね、聖女を使い潰すような、旧態依然とした神殿の在り方に。
性格は悪いですが、やり手ですね。
「だが俺は、何もできなかった。神殿には居たくなくて、騎士団に逃げた」
……逃げた?
適材適所だと思うのですが……。
アルはそんなふうに思っているのですか?
「それから、東の結界のことも言っていた。あの広大な領域の緊急結界が、大聖女様のお命を削ることになったと。仕方がなかったとはいえ、無策の結果が招いたことだと」
…………え?
私、そんなこと思ってませんよ?
体に負担がかかったのは事実ですけれど、私はあなたに心配をかけたことだけが心残りで……。
私はアルの沈痛な面持ちを見て、気付きました。
──彼は、私が死んだのは、止められなかった自分のせいだと思っている。
結界の緊急構築の判断は正しかったとしても、そこまで追い込んでしまったのは、自分たちの無策のせいだと。
どうしましょう。
違うのだと声をかけたいのに、フィオナの言葉じゃ意味がありません。だけど、大聖女としては何も言ってあげられません。
それでも何かを言おうと口を開きかけた時、アルが言葉を継ぎました。
「それから、夕飯をおごってくれと言われたな」
さっきまでとはうってかわって、軽い口調でした。
もう、さっきのことについては話したくないという、意思表示でしょうか。
それにしても夕飯をおごって欲しいだなんて……私ってば、そんな厚かましいこと本当にお願いしたのでしょうか。
でも言ったとしてもおかしくありません。
食べ物に関して、私は私の理性をまったく信用していませんからね。
「何がいい?」とアルが聞きます。
「あの、酔っ払いの戯言なので、お気になさらずに……」
「ふむ。いつがいい?」
「いえ、あの……」
アルとの夕飯はすごく魅力的です。でもお酒が入ったら、また何か言ってしまうかもしれませんし、これ以上好きになるのは困ります。
答えないでいると、アルは唇だけで弱く笑いました。
「……嘘だよ、これも。困らせたな、すまない」
咄嗟に言葉が出ませんでした。
……話題を変えるためだけの嘘だったんでしょうか。それとも、少しは本気だったんでしょうか。
「さて、足の痛みは引いたか? 仕事に戻ろうか」
アルは壁から背を離し、私の前まで来ました。
「まだ痛むなら、背負っていこうか?」
「……いえ、大丈夫です」
「そうか。じゃあ、先に戻っている」
そう言って踵を返し、扉へ向かいます。
あれ? 一緒に帰ってくれないんですか?
どうして?
なんだか……ものすごくさみしくなりました。
こんな時、チェルシーならどうするでしょう。
愛され女子なら……。
ああぁ、このままでは行ってしまいます!
私は考えもまとまらないうちに、アルの背中に声をかけていました。
「団長!」
振り返ったアルと目が合います。
どうしましょう。何て言えばいいんでしょう。
とりあえずお礼でしょうか。
でも……。
何秒そうしていたのか、私は思いついた言葉を口にしていました。
「あの! 嘘ついたお詫びに、夕飯ごちそうしてください!」
言った瞬間、気付きます。
笑顔もなし。
上目遣いもなし。
可愛い声もなし。
……どこが愛され女子ですか!!
これではチェルシーに怒られてしまいます。
もっとこう、思わずきゅんとなるように言わないといけないのに、こんなの、ゆすりたかりの類いです。
アルは目を丸くしてこちらを見ています。
「あ、あの、ちょっと言ってみただけで……」
「何がいい?」
さっきと同じ質問です。
あれ? これはオッケーということですか?
え? ほんとに?
全然可愛くありませんでしたよ?
「えっと……サラミの美味しいところならどこでも……」
あ! 多分これも間違えましたよね?!
正解は「あなたと一緒ならどこでも……」でしょうか? でも好みはしっかり伝えないと相手も困りますよね? それに、そんな恥ずかしいこと言えるはずありません!
「わかった。じゃあ、いつがいい?」
……いつ?
いつでもいいですけど、強いて言うなら……。
「お給料日前は金欠ですし、助かります」
って、ぜんっぜん可愛くありません!!!
ダメです! やり直しです!
けれど、アルが優しく目を細めたので、何も言えなくなりました。
……金欠の新人を哀れに思ったのかもしれません。
「また、連絡する」
とどめに、苦笑されてしまいました。
アルが出て行った後、私はベッドに撃沈しました。
愛され女子への道は遠く険しいです……。




