第16話 お花見の帰り道
体がゆらゆらと揺れています。
それになんだか温かいです。
ぐらりと後ろに傾きかけて、慌ててしがみつくと、ふわりとアルの香りがしました。
どうやら背中に負われているようです。
頭がぼんやりしていて、目が開けられません。また力が抜けそうになり、腕をぐっと掴まれました。
「起きましたか?」
「いや、まだ寝ている」
チェルシーとアルの声でしょうか。
「別に団長自らお送りにならなくても結構でしたのに。エルネストさんかルカに頼むつもりでしたから」
「……そうか」
チェルシーの声はなんだか冷たく、アルの声は固いです。
喧嘩してるんでしょうか?
「失礼な質問ですけれど、許していただけます?」
「内容による」
「左手の薬指の意味、ご存知ですか?」
「……一般的な認識なら持ち合わせている」
「へぇ……あ、申し訳ありません、てっきりご存知ないのかと」
ふふ、とチェルシーが笑いました。
可愛い声ですねぇ。
「団長って好きな女性がいらっしゃるんですってね」
「…………」
「それなのにこの子に指輪なんて渡すんですから、なかなかの──いえ、何でもありません」
わかりましたよ。なかなかのクズ野郎って言いたかったんですよね。
あ、意識が飛びそうです。
「……何が言いたい」
ひとつの足音がぴたりと止み、一拍遅れて振動が止まりました。
チェルシーの呆れたようなため息が聞こえます。
「健気にあなたのこと擁護してましたよ、この子。貸与品だから、とか落としたら困るから、とか。ご自身のクズっぷりをこんな年下の女の子に庇われて、恥ずかしいと思いません?」
「……すまないが、意味がわからない」
「そうですか。まぁ、そう言うしかないですよね。ともかく、遊びたいなら人を選んでください。あなたが声を掛ければ喜ぶ女は多いと思いますよ? それとも初心な子を騙すのが好きなんですか? 結構なご趣味ですね」
くるりと踵を返す足音が聞こえ、先へ進みます。
「……確かに、褒められた行動ではないし、卑怯だとは思うが、騙すなどと……」
独り言のような言葉に、チェルシーの鋭い声が返ります。
「騙してるじゃないですか! この子があなたのことを好きなことくらい、分かるでしょう? あなたはそれを知った上でこんな残酷なことをするんですから、最低最悪のクズ野郎です!」
「…………」
沈黙の後、アルがぽつりと呟きました。
「好かれてなど……いない」
「失礼しました。忘れてください」
……喧嘩、終わったんでしょうか?
川の流れる音だけが聞こえます。
「……ひとつ聞きたいんだが」
「内容によります」
「君は、俺の好きな女性を誰だと思っている?」
「…………は?」
ものすごく見下げ果てたような「……は?」です。また喧嘩でしょうか。困りましたねぇ。
「なんですか? 保身ですか? 知られてたら困るんですか? その人にチクるとでも?」
畳み掛けるような詰問の後、アルが呟きました。
「……ああ、そういうことか」
「何がです?」
「その情報を君たちに吹き込んだのは誰だ?」
「……言うわけないでしょう」
「おそらく、前提を間違えている。俺がこの世で一番大切に思っているのは──」
アルが横を向いたのでしょう。頬が触れたように感じました。
「…………」
「すまないが、これ以上は話せない。君がどう解釈しようと自由だ」
また、一定の揺れが伝わってきました。
遅れて、チェルシーの小さな足音も。
ふふ、とまた可愛い声がします。
「……その目はずるいです」
何がずるいんでしょう?
仲直りしたんでしょうか?
変な二人ですねぇ。
「でも、おかしいですね。接点なんてなさそうですけど……。なんだか隠し事がありそうですね。まぁ、深くは聞きません」
「……ああ。助かるよ」
とんとんと階段を上る音。
カチャリと鍵の回る音。
自分の部屋の匂いがします。
体を横たえられ、ようやくうっすらと目が開きました。
「やっと起きたのか」
苦笑するアルが見えました。
チェルシーもひょっこりと顔をのぞかせます。
「じゃあ、団長。もうお帰りください。ありがとうございました」
「だが、」
「だが、じゃありません。だいたいフィオナさんを連れて帰るところを私が目撃してなかったら、どうするつもりだったんですか? こんな時間に女の子の部屋に入るつもりだったんですか? 二人きりで? あり得ません」
「…………」
「はい、反省したらお帰りください。着替えさせますので」
「……分かった。後は頼む」
アルがすっと立ち上がりました。
お礼を言いたいのに、口が開きません。
ぼんやりと背中を見ていると、アルが振り向きました。
「……フィオナ」
一瞬だけ、何かを言いかけるように唇が動きました。
それから少しためらった後、かすかに首を振りました。
「いや、なんでもない。……おやすみ」
私はなんだか嬉しくなって、目を細めました。
「おやすみなさい」
小さな小さな声でしたが、アルも微笑んでくれました。
パタンと扉が閉まると、チェルシーが大きなため息をつきながら、ベッドに顔を埋めました。
「あー! 緊張した! 吐くかと思った! 団長、怖っ!!」
ふふ。どうしたんでしょうね?
私はチェルシーの柔らかな髪の毛に触れました。
「ありがとうございます、チェルシーさん」
チェルシーは苦笑すると、私の額を指でぴんと弾きました。
「いたっ」
「予言するわ。フィオナさんは明日にはすっかり忘れてて、団長にも渋い顔されるって」
「……? チェルシー大好き」
「もう! 怒るに怒れませんね。でもこれだけは覚えててくださいね。……フィオナさんはとっても愛されてるってこと。羨ましいくらい」
チェルシーが優しく頭をなでてくれます。
細くて、少しひんやりとした指が、ほてった額に触れて、とても気持ちがいいです。
目を閉じると、すぐに眠りに落ちていってしまいました。




