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第10話 7.それはまるで。



「……落ちて、くる?」


華は目を見開いたまま、ゆっくりと空を見上げた。


澄み切った青空。

雲一つない。


とても数十分後に宇宙から巨大な衛星が落下してくるとは思えないほど、穏やかな空だった。


『ハルちゃん!聞いてるカ?!』


キャロライナの焦った声が通信回線越しに響く。


『時間がないヨ!衛星は既に制御不能状態!再突入コースも確定しつつあるネ!なるべく遠くに!学校にいる人たちの避難を優先するヨ!』


後方では冷と麦も動き始めていた。


「グラウンドの人たちを避難させる!」

「校舎内にもまだ人が残ってるわ!」


煙幕が、海風に流されていく。

校舎側のグラウンドの端では、困惑と焦りを浮かべた生徒たちや来場者たちが、身を寄せ合うように集まっていた。


煙の晴れたステージを見つめながら、

あちこちで驚きの声が上がる。


そんな中――。

華だけは、黙ったまま空を見上げていた。


その虚ろな瞳の奥では、まるで遠い記憶を辿るように、

何かが静かに揺れていた。


『予測では落下まで二十七分!』


キャロライナの声が続く。


『質量約六トン!低軌道からの再突入だから速度も洒落にならないネ!地表到達時にはマッハ数以上を維持している可能性があるヨ!』

「……」

『誤差を含めても学校は危険圏内ネ!』


華は小さく拳を握った。


風が吹く。


校舎の屋上に掲げられた文化祭の横断幕が、大きくはためいた。

その光景を見つめながら、華は静かに呟く。


「……だめだよ」


声は小さい。


けれど、その奥には確かな怒りが滲んでいた。


「……みんな、頑張ったのに」


文化祭のために。

壊されても諦めず、夜遅くまで準備を続けてきた。

そんな人たちの姿が、華の脳裏をよぎる。


彼女の瞳から、迷いは消えていた。


「キャロちゃん。あとどれくらいで落ちてくる?」

『残り二十五分ヨ!』



「……わかった」



静かに答えると、華は顔の前で両腕を交差させた。


次の瞬間――。

両腕を勢いよく振り払う。


ゴォッ!!

目に見えない衝撃が周囲へ放たれた。

華を中心に砂埃が吹き上がり、波紋のようにグラウンド全体へ広がっていく。


「……華?」


異変に気づいた冷が振り返る。

下から吹き上がる風圧が、華の桃色の髪を激しく揺らした。

その頬を、一筋の光が走る。

黄金色の瞳は輝きを増し、その奥には赤い螺旋の紋様が浮かび上がっていた。


まるで、眠っていた何かが目覚めるように。


華はゆっくりと拳を握る。


「――加速マキシマム!」


呟く華の姿を見て、麦は目を見開いた。


「華ちゃん……何をする気なの?」

「……私が、衛星をぶっ壊す」

「え?」


一瞬、言葉の意味が理解できなかった。


「な、何を言ってるの!? 無理よ!」


麦は思わず声を荒げる。


そのやり取りを、巴は固唾を呑んで見守っていた。


「相手は人工衛星よ!? 私たちより何百倍も大きい物体が、とんでもない速度で落ちてきてるの!」


麦は空を指差す。


「地面に激突すれば建物なんて簡単に吹き飛ぶ。そんなものに真正面からぶつかったら――」

「だからって」


麦の言葉を、華は静かに遮った。


「何もしないなんて、私にはできないよ」


ゆっくりと振り向く。

黄金色の瞳。

大きく開いた瞳孔の奥では、赤い螺旋の刻印が静かに回転していた。

その眼差しに宿っているのは、無謀さではない。


誰かを守ると決めた者の、揺るぎない覚悟だった。


「何? どうしたの?」


異変を察した冷がステージから飛び降りる。


砂煙を上げながら着地すると、そのまま二人のもとへ駆け寄った。


「冷ちゃん! 華ちゃんが、落ちてくる衛星を壊すって言ってるのよ!」

「なっ……!」


冷は目を見開く。


次の瞬間にはライフルを放り出し、華の両肩を掴んでいた。


「何考えてるの!?」


思わず声が大きくなる。


「無理だよ無理! 相手は衛星なんだよ!? 当たったら死んじゃうんだよ!」


冷は必死に首を振った。


「それより逃げよう!」


震える声で続ける。


「わたしたちの力なら、大勢の人を避難させられる。みんなを守れる――」

「思い出はどうするの?」


静かな声だった。


けれど、その一言が冷の言葉を止める。


「え……?」

「思い出はどうするの」


華は繰り返した。

その表情は不思議なほど穏やかだった。


「今までみんな頑張ってきたんだよ」


グラウンドへ視線を向ける。

文化祭のために作られたステージに飾り付けに屋。

校舎を彩る装飾。


そして――ここにいる人たち。


「私は、私の手が届くなら助けるよ」


華はゆっくりと言った。


「命も」


一拍置く。


「思い出も」


そして。

圧倒されたまま立ち尽くしている巴へ視線を向けた。


「だって…楽しい思い出が作れないのって、かわいそうだから」


華は優しく笑う。


「壊させないよ」

「……」


巴は、言葉が出なかった。

周りで聞いていたA組の生徒達も、ステージの照明を担当する大人たちも、残った生徒達を避難させようと駆け付けていた教員達も。


全員が、華を。

アイアンガール、華を見ていた。


「………」


眉を顰め唇をかむ冷は、だまっていた。

しばらくして、強く瞼を閉じながら。


「…どうするの?」


震える声で尋ねる。


「冷ちゃん!」


麦が止めようと咄嗟に声を出す。

だが、顔を上げる冷の表情を見て次に出そうとした言葉を飲み込む。


そこにあったのは諦めではない。


覚悟だった。


「何か策はあるんだよね?」

「もちろん」


華は力強く頷いた。





****************************





「……じゃあ、作戦通りに」


冷と麦へ最終確認を終えた華は、グラウンド中央へ視線を向けた。


先ほどまで観客席として並べられていたパイプ椅子は、A組の生徒たちや教員、照明スタッフたちの手で既に撤去されている。


広く空いたグラウンド。

その隅では、一般来場者や生徒たち、教員たちが不安そうな表情で見守っていた。


これから何が起きるのか。

その本当の意味を知る者は、まだ少ない。


「二人には……相当負担をかけるけど」


華がそう言いかけた時だった。


「何言ってるんだよ」


冷が遮るように言った。

まるで、それ以上言わせないように。


「やるって決めたんでしょ?」


真っ直ぐ華を見る。


「だったら、やろう」

「冷……」


華は少し目を伏せる。


「付き合わせて、ごめん」


その言葉に冷は困ったように笑った。


「華の背中を見てるとさ」


歩くような速さで、風が吹く。

金色の髪が揺れた。


「普通なら無理だって思うことでも」


冷は小さく笑う。


「なんか、できる気がしちゃうんだよね」

「……」

「できるはずないのに」


一歩前へ出る。


「できちゃうんじゃないかって」


その横から。


「ほんっと、それよね」


麦が肩をすくめながら会話へ加わった。

呆れたような口調だけれど、その表情はどこか柔らかい。


「常識で考えたらあり得ないわ」


青い髪を揺らしながら華を見る。


「でも、不思議と信じちゃうのよね」

「麦……」

「だって」


麦はふっと笑った。


「アタシに勇気をくれた人の背中だもの」


その言葉に、華は何も返せなかった。

胸の奥が少しだけ熱くなる。


だから代わりに――ぎゅっと拳を握る。


「……ありがとう」


小さな声だった。


けれど。

二人には、ちゃんと届いていた。


『衛星の大気圏再突入まで十六分ヨ!』


開きっぱなしの通信回線から、キャロライナの声が響く。


三人は互いに顔を見合わせた。

そして、力強く頷く。


もう迷いはない。


グラウンド中央へ向かって歩き出した。


「――ドレスウィング!!」


華が首元へ手を添える。

その瞬間、白い光の粒子が首の周囲へ集まり始めた。

無数の粒子は帯のように伸び、幾重にも重なりながら形を成していく。


現れたのは、純白の長いマフラーだった。

風を受け、尾を引くように靡き、ふわりと浮き上がる。

粒子の光がその表面を流れ、生きているかのように脈動していた。

地面へ届くほど長いそれは、まるで翼を畳んだ白竜のようにも見える。


キャロライナが追加した新機能。

空を翔けるための飛行ユニット――衛星へ届くための翼だった。


「……」


歩いていく三人の背中を見つめながら、巴は思わず息を呑んだ。


その姿は、昨日まで一緒に作業していた少女とは思えない。


今、彼女の目に映る華は――


まるで物語の中から飛び出してきた英雄だった。


「バリアブルシールド!」


麦が右手を掲げる。

幾何学模様が幾重にも重なり合い、巨大な半球状の障壁がグラウンド中央に形成。

出現と同時に砂が弾け飛ぶ。


華は迷うことなく駆け出した。

障壁の曲面を駆け上がり、一気に頂上へ到達する。


「いくよ!」


叫ぶと同時に左足を踏み出した。


深く腰を落とす。

白いドレスの裾がふわりと舞う。

桃色の髪が跳ね上がり、純白のマフラーが風を受けて大きく広がった。


そして――踏み込む。


ズドォォォンッ!!

凄まじい衝撃がシールド全体を揺らした。


半透明の障壁に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。

裂け目から光と粉塵が噴き出した。


次の瞬間、衝撃波が爆発的に広がる。


巻き上げられた砂が渦となり、グラウンド全体を駆け抜けた。

遅れて轟音が追いかけてくる。

人々が思わず顔を覆った。


「……っ」


冷が空を見上げる。


その時には、もう遅かった。


華の影は既に遥か上空にいる。


純白の光跡を引きながら、幾重もの衝撃波の輪を突き抜けていく。

空気が悲鳴を上げる。


一つ、二つ、三つ。

音の壁を貫くたびに白い環状の雲が空へ刻まれた。

まるで天へ続く階段のように。


華の体はさらに加速する。


弾丸のように。

いや、それ以上に。


既にその速度は音速を遥かに超えていた。


眼下に広がるのは、街。

そして海。


上昇するにつれ、その景色は大陸規模へと変わっていく。

青い地球と漆黒の宇宙。


世界は次第に二つの色へ分かれていった。


吹き荒れる風も、もう聞こえない。

あるのは、自身の鼓動だけ。


「…っ!」


華は拳を握る。


黄金の瞳が、前方の標的を捉えた。

大気圏へ突入しながら落下する巨大な衛星。

表面を灼熱の炎で包みながら、人々の暮らす街へ向かって落ちてきている。


「――怪力・超加速回転拳メテオマキシマムナックル!!!」


華の体が高速回転を始める。

純白のマフラーが螺旋を描き、全身を包む光が一つの流星へと変わった。


そして――激突。


轟音すら届かない高空で、光と炎が正面からぶつかり合う。


白い閃光が弾けた。

拳が衛星の外殻へめり込む。


次の瞬間。

内部へ走った白い稲妻が、蜘蛛の巣のように全体へ広がっていく。

金属が悲鳴を上げ、装甲は砕ける。

骨組みが歪む。

巨大な質量を誇っていた衛星は、その形を維持できなくなっていった。


その中心を突き抜けるように、一筋の光が飛び出す。


華だった。


振り抜かれた拳の軌跡を残しながら、

彼女は衛星を貫通していた。


一拍の静寂。


直後――

太陽にも似た閃光が宇宙と大気の境界で炸裂した。

衛星は無数の破片となって四散する。


燃え尽きる流星群となって。




****************************






『壊した! あとはお願い!!』


通信回線越しに届いた華の声。

地上では、その言葉を受けた冷と麦が互いに視線を交わしていた。


空を見上げれば。

高高度で砕け散った衛星の破片が、無数の火球となって降り始めている。


大きさも軌道もばらばら、このままでは街へ降り注ぐ。


「やるよ」


冷が静かに言った。


「ええ」


麦も力強く頷く。

二人は同時に前へ出る。


「「ドレスウィング!!」」


システムコールと同時に、

全身を包む光の粒子が一斉に舞い上がった。


冷の背中では、黒い粒子が翼の形を描いていく。

幾重にも重なる羽根、夜空を思わせる漆黒の翼が展開された。


まるで妖精の羽のように繊細でありながら、美しく力強い。


一方。


麦の腰の周囲には青白い粒子が集束する。


流れるような光の帯は左右へ広がり、やがてドレスの裾と一体化した飛行ユニットを形成した。

幾何学的な紋様が淡く輝き、スカート状の推進装置が静かに起動する。


二人の足元から風が巻き起こった。

空では既に、燃えながら落下する衛星の破片群が迫っている。

その異変に気づいた生徒たちや一般来場客が、ざわめきながら空を見上げ始めた。


「あれ……何?」

「流れ星……?」

「違う、近くない?」


不安げな声があちこちから上がる。


グラウンドのステージ付近では、

巴やA組の生徒たちも固唾を呑んで空を見つめていた。


砕けたはずの衛星。

だが、その破片は今もなお街へ向かって落ち続けている。


「行くよ」


「全部止めるわよ」


次の瞬間。


黒と青、二つの光が空へ向かって飛び立った。


一気に高度を上げる。

眼下には青崎市の街並みが広がり、二人は街の大半を見渡せる上空へ到達していた。


冷は手にしていたライフルを放り投げる。

ライフルは空中で分解され、無数の光の粒子となって霧散した。


代わりに、背中にあるリング状の円形ユニットが低い駆動音を響かせる。


ガコン。

展開したユニットが浮上し、冷の頭上へ移動した。


続けて周囲へ光の輪が広がる。

輪の中から出現したのは、十二枚の円形パネルだった。

パネルは冷を中心に高速で展開し、衛星のように周回を始める。淡い光を放つその表面には、無数の照準データが流れていた。


一方。

少し離れた空域では、

麦が背中へ装着していた二つの大型手甲を取り外す。


手甲は自動的に展開し、ガシャリ、と両腕へ装着された。


火花が散る。

内部機構が起動し、

幾重ものフレームが腕へ沿うようにスライドする。


青白い光が走った。

細い腕を覆うように形成された装甲は、まるで騎士の籠手のようだった。


麦は拳を握る。

ゴゥ、と推進ユニットが唸りを上げる。

迫り来る流星群を見据え、二人は迎撃態勢へ移行した。


『距離接近! 来るヨ!』


通信回線越しに響くキャロライナの声。

その合図と同時に、冷と麦の表情が引き締まる。


冷は両腕を前へ伸ばし、胸の前で交差させた。頭上では十二枚の円形パネルが高速回転を始めている。


「出力充填確認――」


パネルの中心部へ光が集束する。


「一斉貫通! ライシングスタービックバンッッ!ー!!」


交差した両手の先から放たれた一発の光弾。

それは頭上のリングへ吸い込まれると同時に、高速屈折を開始した。


次の瞬間、眩い閃光が空を埋め尽くす。

十二枚のパネルから無数の光線が一斉に射出された。


光の網。

まるで巨大な蜘蛛の巣を空へ張り巡らせたかのように、幾筋もの光が青崎市上空を縦横無尽に駆け抜ける。


昼間にもかかわらず、

太陽の輝きをかき消すほどの閃光が地上へ降り注いだ。


青空を埋め尽くす光線群が

落下してくる衛星の破片を次々と貫いていく。


爆散する金属片に砕け散る残骸。

燃え尽きる火球。

その光景は、

空そのものが迎撃システムへ変貌したかのようだった。


だが、すべてを止められたわけではない。


砕かれた破片の一部。

軌道を変えた瓦礫が光の網をすり抜ける火球がなおも落下を続けている。


「まだいける……!」


冷が歯を食いしばる。


そして。


少し離れた空域で、麦が両腕を前へ構えた。

巨大な手甲が唸りを上げる。


「出力充填確認――」


青白い光が両腕の手甲へ集束していく。

内部機構が唸りを上げ、幾何学模様の光が装甲表面を駆け抜けた。


麦は両腕を前へ突き出す。


「鉄壁防御! バリアリングフォートレス!!」


その瞬間。

空に巨大な光の輪郭が描かれた。

まるで城壁のような幾何学的構造が空中へ広がり、青白い光が青崎市上空を覆っていく。


次々と連結する光の線。

重なり合う紋様。

やがてそれは、市全体を包み込む巨大な障壁へと変わる。

青空に浮かぶ無数の光紋。


まるで空そのものが結界へ変わったかのようだった。


直後――

落下してきた衛星の破片が障壁へ激突する。


ゴォッ!!

激しい火花が空に散った。


「――っ!」


麦の顔が苦痛に歪む。

障壁を維持する両腕へ、凄まじい衝撃が流れ込んでくる。


今にも悲鳴を上げそうになる。

だが。


「うおおおおおおおっ!!」


その声を力へ変えるように、麦は叫んだ。


両腕の装甲が青白く輝きを増す。

障壁へ激突した衛星の破片は、表面から溶解を始めた。

赤熱した金属を滴らせながら崩れ、光の粒となって消えていく。


一つ。

また一つ。


空のあちこちで火球が砕け、

災厄は静かにその数を減らしていった。


地上では、学校にいる生徒や来場者だけでなく、何も知らない街の人々も足を止めて空を見上げている。


誰も知らない。

今まさに、自分たちの頭上で何が起きているのかを。


青崎市へ降り注ぐはずだった災厄は、優しい光の壁によって阻まれていた。


――そして、皮肉なことに。


街を滅ぼしかねなかった衛星の破片群は、

光の障壁に砕かれながら夜空を流れ、まるで無数の流星が降り注ぐかのような光景を生み出していた。


この世のものとは思えないほどに。

どこまでも、美しく。





****************************



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