第10話 3.邪魔する者
その日の深夜。
学校の実習棟三階。
パソコン室に、一つだけ明かりが灯っていた。
生徒も教員も帰宅して、既に何時間も経っている。
静まり返った校舎に響くのは、カタカタと鳴り続けるキーボードの音だけだった。
「……っ」
歯を食いしばりながら、男はモニターを睨みつける。
伊達眼鏡の奥で血走った目が、高速で流れていく数字の羅列を追い続けていた。
「ぶちこわしてやる……」
怨念の滲んだ声。
キーボードを叩く手は止まらない。
むしろ、加速していた。
まるで脳そのものが焼き切れる寸前まで回転しているように、思考が止まらない。
モニターには、大量のデータ群。
暗号化された通信。
通常なら、高校生が触れられるはずもない領域だ。
しかし。
「見える……全部、見えるぞ……!」
男の口元が歪む。
黒紫色の結晶が、制服の奥で不気味な光を放っていた。
「脳が喜んでいる…!これが全知全能の快楽か!」
頭の中へ、知識が流れ込んでくる。
理解できなかった数式が、今では手に取るように分かった。
「何もかも…全て!全部……!」
呟いたその言葉に理性の影はほとんどなく、純粋な破壊衝動だけが残っていた。そんな狂いの一途を宿る彼の両肩、両脇腹には、
湾曲した刃物のようなものが生えていたという。
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ゆさっ、と背中のリュックが揺れる。
翌朝。
富谷邸を後にした華、冷、麦の三人は、
キャロライナに見送られながら学校へ向かっていた。
「どこが変わった……のかなー?」
華は歩きながら、
背負っている白いリュックへちらりと視線を向ける。
それは、華たちがアイアンガールへ変身するためのツール。
数日前、「アップデートしたい」と申し出てきたキャロライナへ預けていた物が、今朝ようやく戻ってきたのだ。
「キャロさんの話だと、今回はわたしたちの戦闘をサポートする“新機能”を追加したって言ってたよ」
「へー! じゃあ使ってみないと分かんないかー!」
期待に胸を膨らませた華は、
歩きながら軽くシャドーボクシングを始める。
「まあ、本来なら使わないで済むのが一番なんだけどね」
麦が苦笑混じりに呟く。
「うん。平和なら、必要ないからね」
冷も静かに頷いた。
話を聞いていた華は少しだけ考えるように朝焼けの空を見上げる。
「じゃあ……使わないまま文化祭終われたら一番だね!」
「そうね」
口元を緩めながら、冷は小さく頷いた。
三人は閑静な住宅街を歩いていく。
道中には、まだ規制線が張られた区画も残っていた。
先日の騒動で崩れた建物の撤去作業が、ようやく始まったばかりなのだ。
重機のエンジン音を横目に、三人は横断歩道を渡る。
やがて、他の生徒たちの姿に混じりながら学校の門をくぐった。
職員用玄関で内履きに履き替え、軽く校長室へ顔を出す。
そして――。
三人は、巴たちの待つ3年A組へ向かう。
「んお?」
異変に気付いたのは、先頭を歩く華だった。A組教室の廊下で不自然に集まりざわめく女子生徒達の背中に異変を感じ、顔を合わせる3人は近づいていく。
「おはよーー!どうしたのー?」
「あ、おはようございます…」
最初に反応し振り向く巴は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「え?! ど、どうしたの?!」
「そ、それが……」
巴と女子生徒たちの視線の先を追った華たちは、思わず言葉を失った。
3年A組の前。
廊下へ立てかけていた建物セットに壁飾り。
段ボールの小道具。
そして、作りかけだった衣装まで――。
その全てが、無残に壊され、廊下へ散乱していた。
昨日、日が暮れるまで皆で作っていた物だ。
それが今は、
踏みつけられ、引き裂かれ、
まるでゴミのように投げ捨てられている。
「な、なんで……?」
冷は目を見開く。
「ひどい……」
麦も眉をひそめた。
周囲の女子生徒たちも、自分たちが必死に作っていた物の変わり果てた姿を前に、言葉を失っていた。
中には、目に涙を浮かべる者もいる。
さっきまで賑やかだった廊下の空気が、一気に冷え切っていった。
――だが。
悲しみに暮れる彼女たちの間を縫うように、
華はずんずんと前へ進む。
教室へ入ると、床に散らばった建物セットの破片を一つひとつ拾い上げ、しばらくじっと見つめていた。
「……よし」
華は深呼吸をひとつし、振り返る。
目の前にいる女子生徒たちの表情はまだ沈んでいる。泣きそうな顔、驚きで固まった顔、ショックで下を向く顔。
それでも華は、力強く声を出した。
「もう一回作ろう!」
その瞬間、教室内の空気が少しだけ花開く。
巴が目をぱっと見開き、隣の生徒たちもちらりと顔を上げた。
「え……本当に?」
「うん! 壊れたら、もう一回最初から作り直せばいい!」
華は拾い上げた破片を机へ置きながら、にこっと笑う。
「昨日よりもっと、楽しくてカッコいいの作ろ! 私たちも手伝う!」
その屈託のない笑顔を見て、麦も小さく笑みを漏らした。そして前へ出ると、女子生徒達の肩を軽く叩く。
「そうよ。落ち込んでる暇なんてないわ! 今日からまたスタートよ!」
「無理はしないようにね」
冷も眉をひそめながら、静かに頷いた。
沈んでいた空気に、少しずつ色が戻っていく。
破片の上に立つ華の背中を見つめながら、女子生徒たちの表情も変わり始めていた。
――もう一度、やろう。
そんな気持ちが、教室全体へ広がっていく。
華が立ち上がったその瞬間。
文化祭の準備は、再び動き出したのだった。
「…………うん!」
最初に動いたのは、巴だった。
床へ散らばっていた段ボールを拾い上げ、ぱんぱんっと埃を払う。
「まだ使えるの、ある!」
「あ、本当だ!」
その声をきっかけに止まっていた空気が一気に動き出し、
女子生徒たちが次々に駆け出していく。
そして、これまで中心となって準備を進めていた数人も、再び動き始めた教室を見回しながら声を張り上げる。
「先生たちに事情を話して、予算なんとか回してもらえないか掛け合ってくる! たぶん出してくれるはずだから!」
「わかった、巴まかせた!」
「こっちはゴミ袋持ってくる! この量なら大きいの必要だよね!?」
「うん、お願い!」
教室中へ、慌ただしい声が飛び交っていく。
さっきまで漂っていた絶望は、もうそこには無かった。
悔しさを抱えたまま。
それでも皆、前を向いて動き始めていた。
「……何とか持ち直したわね」
木くずを箒で集めながら、麦は華を見る。
「絶望するより希望を持つ! んで、動くのが一番!」
「華らしいよ」
「でしょ!」
華は胸を張って笑った。
その横で粉々になったセットのベニヤ板を拾っていた冷は、
ふと手を止める。
「……」
切断面へ視線を落とす。
割れたというより、鋭い力で断ち切られたような跡だった。
「それにしても……誰がこんなことを」
教室の雰囲気が戻る隅で、
冷は正体不明の相手に警戒の眼差しを浮かべる。
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「うーん……」
生徒たちが新たな材料の買い出しへ向かっている頃。
華たちは、事務室長である校長の妻と共に、職員室横の警備室へ来ていた。
山上未来も後ろで見守る中、
皆の視線は監視カメラの映像へ集中している。
「……校門、昇降口、そのほか監視カメラが設置されている場所を全て確認しましたが」
モニターを操作しながら、警備服姿の男性が口を開く。
学校が契約している警備会社の担当者だ。
「昨晩、外部から侵入した形跡はありませんね。うちの警備システムにも、警報が作動した記録はきてないです」
「妙な話じゃな……」
校長の妻は眉間へ皺を寄せる。
「入った形跡もない。出ていった形跡もない……」
重たい空気が警備室へ落ちた。
その時。
「監視カメラが無い場所に潜んでいた可能性は?」
未来がモニターを見つめたまま口を開く。
「教室や更衣室、トイレに隠れていて。朝、警備が解除されたタイミングで出ていったなら、追えないですよね」
「……その可能性はあります」
警備員は苦い顔で頷いた。
「現状、こちらでは断定はできませんね。警察の方には、こちらからお話しておきます」
「すまんのう。忙しい時に」
校長の妻は小さく頭を下げる。
「いえ、こちらも仕事ですので」
警備員は軽く会釈を返した。
その後、校長の妻はモニターへもう一度視線を向ける。
映し出されているのは、昨夜の静まり返った校舎。
誰も映っていない廊下。
何事も無かったように流れていく時間。
――なのに、現実では生徒達の作った作品が破壊されていた。
「……気味が悪いのう」
ぽつりと漏らす。
そして小さく息を吐くと、校長の妻は華たちへ振り返った。
「ひとまず、学校側で対応しておく。お前さんたちは無理せず、文化祭の準備を手伝ってやってくれ」
「うん、わかった!」
華は力強く頷く。
「では、こちらは警察との連絡を進めますので」
警備員がそう言って、操作していたキーボードから手を離した。
校長の妻も「頼んだぞい」と一言残し、警備室の扉へ向かう。
ドアが開き、二人はそのまま廊下へ出ていった。
「……」
冷は二人の足音が完全に遠ざかったのを確認すると、
ちらりと華を見る。
「華、何か感じる?」
「うーーーん……」
華は腕を組み、少し考え込むように唸った。
「ピキーンって来てない!」
「……今回の件、影喰じゃないのかな」
「影喰?」
聞き慣れない単語に、未来は首をかしげる。
「アタシたちが戦ってる敵の名前よ」
麦が腰へ手を当てながら説明した。
「色んな姿や方法で、人を襲うの」
その横で。
冷は左手に持っていたセットの残骸を持ち上げる。
「この綺麗な切断面。ノコギリや刃物の跡じゃないんだよね」
皆へ見せるように、ゆっくり角度を変えた。
「使ってたのは薄いベニヤなのに……割ったっていうより、力づくで断ち切った感じ」
冷は目を細める。
「明らかに、人の力じゃない気がする」
警備室の空気が、再び静かに張り詰めていった。
「じゃあ、この学校に何か潜んでる……?」
不確かな可能性に、
未来の表情へ緊張が走る。
「可能性としては、あるかもしれません」
冷は小さく頷いた。
「今回のやり方を見る限り、たぶん狙いは3年A組です」
「…あのクラスの子たちが狙われてるってこと?」
「一つのクラスだけをここまで徹底的に壊してるもの」
麦も腕を組みながら続ける。
「私怨があるように見えるわね」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
モニターに映る無人の廊下だけが、静かに時間を刻み続けている。
――その時だった。
「私たちで守ればいいよ!」
重たい空気を砕いたのは、底抜けに明るい声だった。
振り向くと、華が腕を組み仁王立ちで力強く笑っている。
「狙われてるなら、守ればいい!」
「……華らしいね」
張り詰めていた冷の口元が、ふっと緩んだ。
「でも………うん」
冷は小さく頷く。
「守ろう」
「えぇ」
麦も力強く頷いた。
そんな3人を見守っていた未来も、何処か安心したような笑みを浮かべている。
警備室の空気が、少しだけ軽くなる。
不安は消えていない。
けれど三人がいる限り、簡単には終わらせない。
そんな確かな空気が、そこにはあった。
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