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第9話 9.恋の音速特急便

「……ん」


山上未来が目を覚ましたのは、

黒い怪物が消滅してから、ある程度時間が経過した頃だった。


重い瞼をゆっくり開く。

上体を起こした未来の視界へ最初に映ったのは、倒壊した家屋が軒を連ねる住宅街だった。


「え……」


何が起きたのか理解できず、未来は目を丸くする。


ふと視界の隅に、白い何かが映った。


視線を向けると。

そこに立っていたのは、白いドレスを纏った桃色の髪の少女だった。


「あ、起きた!」


未来に気づいた少女は、にかっと笑う。


続いて。近くにいた黒いドレスの金髪の少女と、

青いドレスを着た水色の髪の少女も振り向き、こちらへ歩み寄ってきた。


「意識はありますか?」


金髪の少女は未来の傍へ膝をつき、優しく声をかける。

まだ意識が朦朧としている未来は、小さく頷いた。


「は、はい……」

「大丈夫? どこか痛いところない?」


次に駆け寄ってきたのは、白いドレスの少女――華だった。

未来は呆然としたまま、彼女を見上げる。


「えぇ……ちょっと、みぞおちの辺りが気持ち悪いくらいで……」


そこまで言いかけて、未来の口が止まった。


白いドレスに桃色の髪。

目の前の少女と視線を合わせた瞬間、記憶の中にいる“ある人物”の顔が重なる。


「……貴女、まさか。あの時の?」

「え!? あーー……!」


華はビクッと肩を揺らした。

咄嗟に顔を逸らし、桃色の髪をぽりぽりとかく。


「えっと……このことは内緒で!」


華は人差し指を口元へ添え、必死な表情で未来を見る。

その後ろでは、二人のやり取りを見ていた冷と麦が、揃って不思議そうに首を傾げていた。


「……はっ!」


その時だった。

未来の脳裏に、一つの言葉が蘇る。


――見送り。


「……あっ!!」


未来は勢いよく立ち上がった。


「い、いま何時!?」


慌ててスカートのポケットからスマートフォンを取り出し、

震える指で画面を点灯させる。


表示された時刻を見た瞬間。


「十一時……六分……」


未来の表情から、さっと血の気が引いた。

力の抜けた手からスマートフォンが滑り落ち、乾いた音を立てて地面を転がる。


「ま、間に合わない……」


掠れた声が漏れる。

肩は小さく震えていた。


「なにかあったのかしら?」


気になった麦が、未来の前へしゃがみ込み顔を覗き込む。

未来は唇を震わせながら、絞り出すように言った。


「今日……見送りに行く約束、してたの……」

「見送り?」


冷が反応する。


「すごく大事な人で……今日、アメリカに行っちゃうの……!」


未来は胸元をぎゅっと握った。

だが、焦るほど身体に力が入らない。


指先ばかりが、震えていた。


「やっと……ちゃんと気持ちを伝えようって決めたのに……」


ぽつり、と。

零れ落ちた声は、酷く弱々しかった。


「……間に合わなかった……」


その言葉に華の表情は変わる。

笑顔が消え、真っ直ぐ未来を見ていた。


「どこの空港ですか?」


冷が静かに尋ねた。


「大阪の……関西空港です……」

「飛行機の時間は?」


今度は麦が続ける。

未来は震える声で答えた。


「一時……三分です……」


その瞬間。

冷と麦が同時に顔を見合わせる。


「……厳しいわね」


最初に口を開いたのは麦だった。


「ここから関西空港まで、どう急いでも三時間近くかかるわ」

「うちのヘリでも微妙だよ……」


冷も眉を寄せる。


「離陸準備とかルート確保まで考えたら、多分間に合わない……」


空気が沈む。


未来は俯いた。


せっかく決意したのに。

結局また、何も伝えられないまま終わる。


そんな諦めが、再び胸の中へ広がりかけた――その時だった。


「――空港なら、まだいけるよ!」


ぱっと。

華が顔を上げる。


「……え?」


未来が目を見開いた。


華はにかっと笑う。

まるで、とんでもない遊びを思いついた子供みたいに。


「どこまで維持できるかわからないけど……」


その瞬間。


華の瞳が黄金色へ変わった。

頬には光の筋が走り奥に、螺旋の刻印がゆっくり浮かび上がる。

白いドレスの裾が、見えない風に揺れ桃色の髪が、ゆっくりと踊るように舞う。


空気が震える。

周囲へ、微かな圧力が広がっていく。


それを見た冷の表情が変わった。


「華……まさか……」


麦も息を呑む。


華は未来へ向き直る。


そして

迷いなく笑った。


「私が――送り届ける!」





****************************





それは、

とある家族の日常の一幕だった。


「はっはっは! すごいだろー?」


高速道路を走る白いスポーツカー。

ハンドルを握る父親は、どこか誇らしげだった。


鋭いフロントフェイスに後部には大型の黒いウィング。

それは数年前、海外のコースで“前輪駆動最速”の称号を手にした

四人乗りスポーツカーである。


「ローン、大変だったんじゃないの?」


助手席の妻が苦笑交じりに尋ねる。


「僕の年収を甘く見てもらっては困るよ!」


父は胸を張った。


「一括さ!」

「わー! パパすごーい!」

「かっこいいー!」


後部座席の息子と娘が、

両手を上げながらはしゃぐ。


「だからって飛ばしすぎないでよ?」


妻は呆れ半分でシートベルトを握る。


「免停だけはやめてね?」

「任せたまえ。危険運転はしない主義だ」


父は得意げにウィンカーを出し、追い越し車線へ車を滑り込ませた。


「ちょっと前が詰まってきたから、抜くよ」

「いっけー!」


息子が拳を突き上げる。

父は笑いながらシフトチェンジを行い、アクセルを踏み込んだ。


――ヴォォンッ!!


エンジンが低く唸る。

車体は加速し、流れていく景色が速くなる。


「はやーい!」

「だろー?」


父が得意げに笑った、その時だった。


「見て!」


娘が窓の外を指差す。


「人が走ってる!」

「え?」


妻が反射的に左車線を見る。

その瞬間。


――白い何かが、車の横を通り過ぎた。


ドンッ!!


空気を叩くような衝撃。

視線を向けた先には、桃色の髪に白いドレスをなびかせながら、

“少女”が高速道路を駆け抜けていた。


速い――なんてものじゃない。


時速百十キロを超えているスポーツカーを、

まるで止まっているかのように置き去りにしていく。


「……は?」


父の口から、間抜けな声が漏れた。


一瞬だった。


だが、確かに見えた。

少女はアスファルトを蹴るたび、

後方へ爆風を撒き散らしながら走っていた。


「え……えぇぇぇぇぇ!?」


車内に、家族全員の絶叫が響き渡る。

白い閃光は、既に高速道路の地平線の向こうへ消えかけていた。





**************************





人類が車より速く走ることなど、物理的には不可能。

それは、誰もが知る“常識”だった。


しかし、現実に再現できる存在がいるのだとしたら、人間という枠組みには収まらないのかもしれない。


――時速百キロを超える車を、次々に追い抜いていく。


白い閃光が高速道路を駆け抜けるたび、

周囲の車体が激しい風圧で揺れた。


「な、なんだ今の!?」

「人……!?」

「いやいやいや、嘘だろ!?」


悲鳴混じりの声が、密閉された車内から次々に上がる。


桃色の髪を後方へなびかせ、白いドレスを纏った少女――華は、

アスファルトを蹴るたび爆発的な加速を生み出していた。


――ドンッ!!


踏み込みの度に、高速道路の路面がひび割れていく。コンクリート片が跳ね、衝撃でガードレールが振動する。


それでも華は止まらない。


黄金色に染まった瞳。

その奥で回転する螺旋の刻印。

肺を焼くような熱量の中、華はただ一直線に前だけを見ていた。


(間に合わせる……!)


風が頬を裂く。


景色は線になる。

華の速度は上がっていく。


まるで、

人間の限界そのものを置き去りにするかのように。


「だ、大丈夫!?」


耳を裂くような風切り音の中、背後から未来の声が飛んでくる。

華の背中へしがみつく未来は、振り落とされまいと必死だった。


走るたびに全身へ伝わる衝撃。

常人なら立っていることすら不可能な速度域。

未来の髪は暴風に煽られ、視界の景色は既に線のように流れていた。


「私は大丈夫!」


華は叫び返す。

その声すら、風に千切れそうになる。


『華、聞こえる?』


耳元の通信機から、冷の落ち着いた声が響いた。

パワードスーツの機能の一つ――通信回線だ。


「聞こえる!」


華はガードレールすれすれを駆け抜けながら返事をする。


『スーツのGPSで位置は特定できた。今から道順をナビゲートするよ』

「マジ!? 助かる!」

『わたしも上から追ってるわ!だから遠慮なく走って!動けなくなったらアタシが代わりに連れていくわ!』

「麦まで………ありがとう!」

『もうすぐ分岐が来る。間違えないで』

「分岐?」


華が顔を上げる。


少し先。

高速道路の上に巨大な案内標識が見えてきた。


緑の看板に並ぶ白文字。

進行方向が、左右へ分かれている。


「……冷! どっち!?」

『門真・大阪方面に入って!』

「おっけー!!」


次の瞬間。


――ドンッ!!

華は走行中の大型トラックの側面を踏み台にした。


「うぉおおおっ!?」


運転手の悲鳴。

そのまま華は、高速道路の中央を飛び越える。

白い軌跡を残しながら、分岐側の車線へ強引に着地した。


――バゴンッ!!


衝撃でアスファルトが砕ける。

後続車両のクラクションが一斉に鳴り響いた。


それでも華は止まらない。


「間に合わせるからね!!」


背中の未来へ向け、華は力強く叫ぶ。

未来は揺れる視界の中、目を見開いたまま華を見つめていた。


その横顔は、無茶苦茶で。

眩しいくらい、真っ直ぐだった。


その時だった。


――ガクンッ。


突然、華の右膝が沈む。


「っ……!」


一瞬だけ身体が傾く。

だが、華はすぐに踏み込み直した。

奥歯を噛み締め、無理やり脚へ力を戻す。


(マズい……!)


額に汗が滲む。


(さっきの戦闘の反動が、もう足に……!)


高速道路を埋め尽くす車列。

華はその隙間を縫うように駆け抜ける。


車の屋根。

ガードレール。

道路標識。


常識ではありえない軌道で、白い閃光が突き進んでいた。

やがて視界の先に、巨大な料金所が見えてくる。


「冷! 次はどっち!?」


『料金所越えた次の分岐を左!近畿和歌山・大阪市内方面!たぶん“関西空港”って表示ある!』

「……あった!」


華は看板を視界へ捉える。


次の瞬間。


――ドンッ!!


ETCゲートの上を飛び越えた。


料金所ダッシュを始める車群を、文字通り置き去りにする。

白い衝撃波だけが、後方へ吹き荒れた。


『そのまま道なり! 真っ直ぐ!』

「よしっ!!」


華はさらに姿勢を低くする。


風圧で、白いドレスの裾が激しくはためいた。


だが。


――ガクッ。

――ガクンッ。


再び、両脚から力が抜ける感覚が走る。


「っ……!」


踏み込みが僅かに乱れた。

アスファルトへ着地するたび、脚へ激痛が突き刺さる。


それでも華は止まらない。


「今、何時!?」


叫ぶように、背中の未来へ尋ねた。


「……十一時三十九分……!」

「間に合う!」

「ダメっ!!」


未来が叫ぶ。

風に声を千切られながら、必死に華へしがみついていた。


「出国審査に入ったら、もう会えなくなるの!出発が一時三分だから……!多く見積もっても、十二時前には着かないと……!」

「冷!」


華は耳へ指を当てる。


「私が今いる位置から、空港まであとどれくらい!?」


数秒の沈黙。

そして。


『今、華は時速三〇三キロ。このペース維持なら――十四分後には到着できる計算だよ』

「くっ……!」


華の表情が歪む。


「結構ギリギリだ……!」


その時だった。


「……どうして」


未来の声が、背中から聞こえた。


「どうして……そんなに、他人のために必死になれるの……!」

「……」


華は走りながら、ほんの少しだけ後ろを見る。

未来の声は震えていた。


「関係ないことだよ……!他人のことだよ……!」


未来は唇を噛む。


「さっきから足、ガクガクなの気づいてる……もうボロボロじゃん……!」


その声は、泣きそうなくらい弱々しかった。

だが。


「簡単な話だよ!」


華の返事は、驚くほど真っ直ぐだった。

力強く、そして迷いなく。


「私の気持ちが届く範囲の人に――」


華は前を見る。


「手を差し伸べてたいからだよ!」


その言葉と同時に。

左右へ広がっていた景色が、一気に開けた。


高層ビル群、幾重にも重なる高速道路。

遥か下を流れる車列。


大阪の街並みが、視界いっぱいに広がる。


そして、一直線に伸びる道の先。


青い海の上に浮かぶ、巨大な人工島。

関西空港だ。


『その連絡橋を渡れば空港だよ!』

「りょーかい!!」


次の瞬間。


――ゴッ!!


華の踏み込みで、アスファルトが砕ける。

爆ぜた破片が後方へ吹き飛び、衝撃波が車体を揺らした。


さらに加速。

白い閃光が、高速道路を一直線に駆け抜ける。


追い越される車群。

流れていく標識。

轟音すら置き去りにする速度。


左右には、陽光を反射する大阪湾が広がっていた。


青空の下。


桃色の髪と白いドレスをなびかせながら。

一人の少女が、誰かの“想い”を届けるために走っている。


ただ、それだけのために。


それでも。

その疾走は、どこまでも真っ直ぐだった。


「根性おおおおおおお!!!」


華は叫ぶ。


――ドォンッ!!


踏み込みと同時に、料金所の上を飛び越えた。

衝撃でゲート脇の看板が揺れ、待機列の車から悲鳴が上がる。


そのまま一直線。

視界の先に、巨大な建造物群が見えてきた。


幾層にも連なる立体駐車場。

滑走路へ続く誘導灯にガラス張りの巨大なターミナルビル。


「見えた……!」


未来が息を呑む。


海の上に築かれた巨大空港が、目前まで迫っている。

華は減速せず、空港連絡道路を駆け抜けた。


一般車両用レーンにタクシー乗り場。

高速バスのロータリーや人々が行き交うエントランス前。

白い閃光が通り過ぎるたび、周囲の人々がざわめきながら振り返る。


「な、何あれ!?」

「人……!?」

「うそだろ!?」


華はその声すら置き去りにした。


やがて。

空港の乗降口前へと飛び込む。


――ガギィィッ!!


両足のヒールを強引に滑らせ、アスファルトを削りながら急停止。

黒いタイヤ痕のように、二本の破壊痕が地面へ刻まれた。


舞い上がる白煙に吹き荒れる風。

遅れて、未来の髪がふわりと揺れる。


「――着いた!!」


肩で息をしながら、華は顔を上げた。


その先には。

巨大なガラス扉の向こう、

国際線ターミナルのロビーが広がっていた。


「時間は!?」


肩で息をしながら、

華が叫ぶ。


未来は慌ててスマートフォンを開いた。


震える指で画面を点灯させる。


「……十一時五十分……!」

「よし、まだいける!」


華は未来を背負ったまま、国際線ターミナルへ飛び込んだ。


自動ドアが開く。


冷房の風が汗で濡れた頬を撫でる。

磨き上げられた床には窓の光が反射していた。


休日の土曜日と会って人で賑わう空港ロビー。

先ほどまで高速道路を駆けていた二人は、あまりにも場違いだった。


白いドレス姿の少女。

背負われたままの女性教師。


当然、周囲の視線が、一斉に集まる。


「え、何……?」

「コスプレ…?」

「おい、あれってアイアンガールじゃないのか?」


ざわめきが広がる。

だが、華は一切気にせず耳へ指を当て、通信を開く。


「出国手続きってどこ!?」

『関空の国際線なら二階!出発フロアだよ!』

「おっけー!」


華はそのまま駆け出した。

磨き上げられた床を蹴り、空港ロビーを一直線に突き抜けていく。


頭上には無数の案内表示。


『国内線』

『国際線』

『出発ロビー』


人の波を縫うように、華は迷いなく走る。

エスカレーターを手すりを足場に飛ぶように駆け上がっていく。


「きゃっ!?」

「な、なんだ!?」


突然横を通り過ぎた白い影に、旅行客たちが驚き振り返る。


スーツケースを引く人。

搭乗券を確認している家族や外国人観光客など。

その真上を飛び華は最短距離で突き進んだ。


やがて、二階の国際線出発フロアへ飛び出す。


一気に視界が開けた。

高い天井にガラス張りの巨大な空間、ずらりと並ぶ航空会社カウンター。

上空には、無数の便名が流れる巨大電光掲示板。


『NEW YORK』

『LOS ANGELES』

『VANCOUVER』


世界各地の地名が並んでいた。


旅行客たちの話し声とキャリーケースの車輪音が彼方此方から聞こえてくる。

館内アナウンスに混じり、空港特有の喧騒が広がっていた。


そして、その奥。

黒いゲートの並ぶエリア。


『INTERNATIONAL DEPARTURES』


白い文字が、二人の視界へ飛び込んでくる。

保安検査場へ続く入口だった。


「……あっ」


未来の口から、思わず声が漏れた。


人混みの向こう。

保安検査場へ続く列の前に、見覚えのある背中が見える。


黒いスーツに肩へ掛けられたバッグ。

筋肉質で背は高いが、少しだけ猫背気味な立ち姿。


見間違えるはずがなかった。


「――新井田先生!!」


未来は華の背中から飛び降りた。


着地が少しふらつく。

それでも構わず、人混みの中を駆け出した。


周囲の視線も。

ざわめきも。

もう耳には入っていない。


ただ、その背中だけを見つめていた。


呼ばれた新井田が、ゆっくりと振り返る。


そして。

その目が、大きく見開かれた。


「……山上、先生」


驚いたような声だった。


未来は立ち止まる。

息は乱れ、髪も服もぐしゃぐしゃだった。


それでも。


「……はいっ」


返事だけは、不思議なくらい真っ直ぐ出た。

二人の視線が重なる。


その瞬間。

ようやく、未来は“間に合った”のだと実感した。



少し離れた場所では、その様子を見ていた華が、

そっと一歩後ろへ下がる。


足音を立てず、邪魔をしないように。

白いドレスの裾を揺らしながら、静かに距離を置くのだった。





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