第9話 7.世の理を捻じ曲げる拳
「なに、今の……?」
麦もまた、信じられないものを見る目をしていた。
展開した障壁で、衝撃波と瓦礫から住民たちを守りながら、
彼女は空を見上げている。
その視線の先。
宙に浮かぶ華の姿。
白いドレスをなびかせながら、静かに降下していく。
小さな背中。
だが今は、巨大な怪物より遥かに圧倒的な存在感を放っていた。
住民たちも、声を失っていた。
泣き叫んでいた子供ですら、いつの間にか静かになっている。
誰もが、ただ空を見上げていた。
恐怖と安堵。
そして、困惑。
人智を超えた何かを見た時に生まれる、本能的な畏怖。
その感情が、この場を静かに支配していた。
「くっ……!」
華は空中で顔をしかめた。
自ら放った拳の余波。
その衝撃に身体を押され、姿勢が崩れる。
白いドレスが激しく翻り、華は落下しながら巨大な影喰を見上げた。
首から上。
そこは既に、綺麗さっぱり消し飛んでいる。
黒い粒子が空へ霧散し、周囲へ黒煙のように漂っていた。
(力をセーブしてても……まだコントロールできない……!)
華は歯を噛む。
今の一撃。
威力そのものは十分だった。
だが、狙ってやったわけじゃない。
(今のは偶々当たっただけ……)
もし角度がズレていたらm狙いが逸れていたら。
自分ですら、どうなっていたかわからない。
未完成。
それが今の力だった。
チラリ、と。
華の視線が、怪物の胸部へ向く。
そこに埋め込まれているのは、巨大な黒紫の水晶。
ドクン。
ドクン。
まるで心臓のように、不気味な鼓動を繰り返している。
(壊れてない……)
華の目が細まった。
(やっぱりあの大きさ……本気を出さないと壊せないか……!)
落下しながら、華は体勢を立て直そうとする。
その時だった。
雲が裂けた空。
そこから差し込んだ朝日が、黒紫の水晶を照らした。
瞬間。
水晶の内部が、僅かに透ける。
「――っ」
華の動きが止まった。
ほんの一瞬だけ、水晶の奥。
黒い液体のようなものに包まれながら。
“人影”のようなものが見えた。
「え……?」
華の瞳が、大きく見開かれる。
――ドシンッ!!
華は瓦礫の中へ着地した。
砕けたコンクリートが跳ね上がり、周囲へ土煙が舞う。
着地の衝撃で、足元の瓦礫が沈み込んだ。
「……今のって」
華は息を呑む。
すぐに顔を上げ、再び巨大な黒い怪物を見上げた。
首から上が消失したはずの肉塊。
その断面が、不気味に蠢いている。
むき出しになった肉片の奥。
そこから、黒い触手が次々と伸び始めた。
まるで植物の根が増殖するように。
いや。
もっと機械的で、異様だった。
伸びた触手同士が絡み合い、編み込まれていく。
直後、黒い粒子が空中へ散開。
小さな六角形のパネルへ変化すると、それらが折り重なるように接続され、骨格を形成し始める。
ギチ、ギチギチ――
耳障りな音。
骨が組み上がる。
その上へ、肉が盛り上がっていく。
細胞一つ一つが無理やり増殖しているような、水音混じりの不快な音を立てながら。
ブチ、グジュ、ミチッ――
裂け、繋がり、再生する。
見る見るうちに、怪物の頭部が再構築されていく。
「……っ」
華の喉が小さく鳴った。
その異様な再生を見ながら、脳裏には先ほど見えた“アレ”が焼き付いている。
水晶の中に見えた、人影。
まるで、誰かが閉じ込められているような――
咄嗟に華は耳へ指を当てた。
「今日、何日!?」
『急にどうしたの?』
通信回線が開き、最初に反応したのは冷だった。
「今日って何日なの!?」
『えっと……9月18日だよ』
その瞬間。
華の顔から、僅かに血の気が引いた。
(待って……)
華の脳裏へ、あの日の光景が蘇る。
夜の雨の日から一日、二日経った後。
偶然街で出会った未来は少し照れたように笑っていた。
――『見送りに行く約束してるんだ』
その時は、ただ恋する先生の話だと思っていた。
でも。
(それって……今日じゃないの……?)
華の瞳が揺れる。
視線の先には巨大な黒い怪物。
吹き飛ばしたはずの首は、既に半分以上が再生していた。
黒い粒子が渦を巻き、顔の輪郭を形成していく。
ドクン。
ドクン。
胸部の黒紫の水晶が、不気味に脈打っていた。
その奥。
ほんの一瞬だけ見える人影。
(……ダメじゃん)
華は、ぐっと拳を握る。
(こんなところで油売ってたら、ダメじゃん!!)
爪が掌へ食い込む。
『華?どうしたの?』
開きっぱなしだった通信回線から、冷の声が聞こえる。
華は顔を上げた。
螺旋を宿す黄金の瞳が、真っ直ぐ怪物を見据える。
「冷! 麦! 頼みがある!」
声には、迷いがなかった。
通信越しに、冷と麦が反応する。
「冷はそこから、私の真上に光弾を!」
華が地面を踏みしめる。
「足場にしたいから、特大の頑丈なやつ!」
『――わかった!』
返事は即答だった。
迷いはない。
冷は屋根の上でライフルを構え直し、即座に狙撃体勢へ入る。
「麦は、その光弾をバリアで後ろから支えて!」
華は続けた。
「勢いを少しでも確保したい!」
『オッケー!』
麦の返事も力強い。
次の瞬間。
――ギュォンッ!!
遠くの空から、白い一閃が飛来した。
冷の放った超高密度光弾。
砲撃にも等しいエネルギー塊が、華の遥か上空で急停止する。
眩い白。
それは“弾丸”ではなかった。
小型の隕石のような巨大な光球。
表面では、膨大なエネルギーが不安定に火花を散らしている。
空気が震え、周囲へ白い粒子が舞った。
直後。
別方向から、青い閃光が空を駆け抜ける。
「――はぁッ!!」
水色の髪をなびかせながら、
青いドレスを纏う戦士――麦が空中へ飛び上がった。
両手を広げる。
瞬間。
幾何学模様が刻まれた、半透明の巨大障壁が空中へ展開される。
――ガギィン!!
障壁が、停滞する巨大光弾と激突、
膨大なエネルギー同士の接触した。
空中へ火花のような白い粒子が飛び散る。
「いけるわよ! 華ちゃん!!」
麦が叫ぶ。
その合図と同時に。
華は深く屈み込み、両脚へ力を込めた。
地面は悲鳴を上げる。
次の瞬間。
――ゴシンッ!!
足元のアスファルトが陥没。
蜘蛛の巣状の亀裂が周囲へ走る。
白いドレスのスカートがふわりと舞い上がり、桃色の髪が宙へ躍った。
華の姿が、弾丸のように射出される。
遅れて衝撃波が発生。
爆風が波紋状に周囲へ広がり、瓦礫と粉塵を一気に巻き上げた。
一直線。
迷いなく。
華は空へ駆け上がっていく。
そして。
頭上で停滞する巨大光弾へ到達。
――ドンッ!!
華の足裏が、光弾の表面へ着地する。
膨大なエネルギーが軋み、白い火花が周囲へ散った。
その後方。
飛行機能を展開した麦が、障壁越しに巨大光弾を押し支えている。
華と麦。
空中で、互いの目が合う。
一瞬だけ。
二人は、空中で頷き合った。
「頼むよ!」
「まかせて!」
華は光弾の上へ着地すると、トッ、と軽く両足を乗せる。
次の瞬間。
その細い脚へ、凄まじい力が込められていく。
膝を深く畳む。
圧縮。
全身の筋肉が、限界まで収縮していく。
光弾の表面が軋み始めた。
ビキ、ビキビキ――
膨大なエネルギー同士がぶつかり合い、白い亀裂が広がっていく。
麦の障壁もまた、悲鳴を上げるように震えていた。
それでも、麦は叫ぶ。
「ぶっ飛ばせぇぇぇぇ!!」
華の黄金の瞳が、鋭く光る。
「――怪力・加速破砕弾ォォォォッ!!!」
瞬間。
――ゴォォォォンッ!!!!
凄まじい轟音が炸裂した。
蹴り出しと同時に、巨大光弾が耐えきれず粉砕される。
圧縮されていたエネルギーが、一気に解放。
白い閃光が爆発的に広がった。
麦の障壁も砕け散る。
青白い破片が、ガラスのように空中へ舞った。
遅れて。
衝撃圧が、地上へ叩きつけられる。
――ドォォンッ!!
爆風が砂塵を巻き上がる。倒壊しかけていた家屋が軋み、周囲の窓ガラスが一斉に震えた。
電柱が揺れ標識は吹き飛ぶ。
住民たちは、思わず腕で顔を庇った。
その中心に砕けた光の残滓を引き裂きながら、
一筋の白い閃光が射出される。
華だ。
先ほどとは比較にならない速度。
空気との摩擦で、白い軌跡が燃えるように尾を引く。
視界の先には黒い怪物。
再生は既に、口元まで到達していた。
肉が蠢く。
黒い粒子が顔面を形成されてる。
だが。
華の方が、速い。
白い閃光は、空を切り裂く。
(遠くからの拳は、まだ上手くコントロールできない……!)
華は歯を食いしばる。
先ほどの一撃、あれは威力が強すぎた。
狙った場所へ正確に当てるには、まだ未完成。
だからこそ。
(今の私が出来る、精一杯――!)
華は拳を強く握り締める。
ギリ、と。
手甲が軋んだ。
(この距離なら……絶対に外さない!!)
黄金の瞳の奥に浮かぶ螺旋の刻印が、強く発光する。
後方へ引き絞った拳へ、全身の力が集中していく。
空気が震える。
華の周囲へ、白い粒子が渦を巻いた。
「――怪力・加速拳ォォォッ!!」
放たれる、拳。
それはもはや、衝撃そのものだった。
――バァァァンッ!!
空が叩かれる。
炸裂した拳圧が、一直線に黒い怪物へ到達。
直撃するより先に圧縮された衝撃波が、胸部の黒紫の水晶へ叩き込まれる。
ドゴォンッ!!
水晶表面へ、無数の亀裂が走った。
ドクン、ドクンと脈打っていた核が、悲鳴を上げるように震える。
次の瞬間。
――砕け散った。
黒紫の結晶が、爆発するように四散する。
黒い液体と紫の粒子、そして肉片。
それらと共に中から、一つの人影が投げ出された。
「――っ!」
華の瞳が見開かれる。
やっぱりいた。
黒い泥に包まれながら、意識を失っている女性。
山上未来。
華は空中で姿勢を捻る。
落下しながら、両腕を伸ばした。
そして未来の身体を、華はしっかりと抱き止める。
腕の中に伝わる重みと温かさ。
それを両手に感じた瞬間、華の張り詰めていた表情が僅かに緩んだ。
「……よし!」
小さく漏れた声。
安堵の息が混じっていた。
その背後では核を失った巨大な黒い怪物が、ゆっくりと崩壊を始めていた。
再生途中だった口元。
伸びかけていた黒い触手。
それらが、風化するように黒い砂へ変わっていく。
ザァァ……。
朝の風にさらわれ、粒子となって空へ消えていった。
もうそこに、怪物の気配はない。
残ったのは、破壊された街並みと静寂だけ。
華は未来を抱えたまま、空中で身体を捻り、そのまま落下姿勢へ移行。
白いドレスが風を受けて翻り、桃色の髪が空に揺れた。
ゆっくりと。
二人は、崩れた住宅街へ降下していく。
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