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第9話 5.邪魔する存在

それから数日後。


「はぁああ……」


未来は、全身鏡の前で盛大なため息をこぼした。


映る自分の姿を、もう一度じっと見つめる。

長い黒髪は、慣れない手つきでウェーブ巻きに整えていた。服装も、普段の教師らしいスーツ姿とは違う。


少しシワの入った、ゆるめのベージュカーディガン。淡い色のロングスカートに控えめなアクセサリー。


どれも、“頑張りすぎてない感じ”を意識した結果だった。


だが。


(……落ち着かない)


未来は居心地悪そうに、袖を軽く引っ張る。

慣れない格好のせいか、鏡の中の自分が他人みたいだった。

ベッドの上には、着替え候補として脱ぎ散らかされた服が何着も転がっている。


どれだけ悩んだのか、その惨状が物語っていた。


(結局あの日から、新井田先生とはタイミング合わなくて会えなかったし……)




未来は鏡越しに、壁時計へ視線を向ける。


時刻は午前八時。

青崎から関西空港までは、高速バスで三時間少し。

見送りに行くと伝え、現地で合流する約束は取り付けてある。


(これがラストチャンス…)


未来は、小さく息を吸った。

胸の奥が、うるさいくらい騒がしい。


怖い。


もし困らせたら、もし笑われたら。

もし関係が変わってしまったら。


色んな不安が、次々頭をよぎる。


けれど。


――“伝えないまま終わる未来”の方が、きっと苦しい。


雨の海岸で聞いた、華の言葉が脳裏をよぎった。


「…よし!」


未来は、ぐいっと顔を上げる。


「……自分の気持ち、ちゃんと伝える!」


自分に言い聞かせるように呟く。


トートバッグを肩へかけ、ガスの元栓と窓の鍵を確認すると、未来は玄関のドアを開けた。

まだ少し涼しい朝の風が、頬を優しく撫でていく。


「とりあえず道の駅に向かおう…」


いつもより早足で、しかし確実に。

未来は歩き出す。


その時だった。


「不安とは…絶望の断片ともいわれている」


不意に背後から聞こえた声に立ち止まり、未来は振り向く。

そこに居たのは、常識を逸した巨躯。


身の丈、三メートル。漆黒のマントが、風もないのに揺れている。


そして――その頭上。

赤い炎が、音もなく燃え上がっていた。


「はじめまして。ワタシはアレクザール……君のような人間を探していた」


赤い炎を揺らしながら、

アレクザールがゆっくりと口を開く。


未来は、動けなかった。


恐怖と理解を超越した存在から放たれる圧。

生物としての本能が、目の前の存在へ警鐘を鳴らしている。


アレクザールは、静かにマントの中から腕を出した。


その手は、人間のものではない。

黒い機械のような指先。

無機質な光沢を放つそれを、銃のように未来へ向ける。


「いい色だ……」


赤い炎が、ゆらりと揺れた。


「さぞや、上質な影喰になるだろう」

「……え」


次の瞬間。


――ビシィッ!!


空気を裂く炸裂音。

紫色の閃光が、一直線に未来の胸を貫いた。


「――っ!?」


衝撃。


熱。


遅れて襲ってくる激痛。

未来の身体が大きくよろめく。


何が起きたのか、理解できない。


ただ。


胸が、熱かった。

未来は震える手で、ゆっくり自分の胸元へ触れる。


そこには、ぽっかりと開いた穴。


そして――。

黒紫色の粒子が、空中から集まり始めていた。

まるで、傷口へ吸い寄せられるように。粒子は脈打ちながら凝縮し、

やがて。


胸部へ、黒紫の水晶を形成する。


まるで心臓のように。

黒紫の水晶は、不気味な鼓動音を鳴らしていた。


――ドクン。

――ドクン。


次の瞬間だった。


「――ぁ……っ!?」


未来の胸部を基点に、黒い触手が一斉に噴き出す。


服の内側、皮膚の下。

まるで体内を這い回るように、無数の何かが暴れ始めた。


「っ、ぁ……ああぁ……!!」


未来は胸を押さえ、その場へ膝から崩れ落ちる。

触手は止まらない。


血管のように。

神経のように。


全身を侵食する黒い脈動が、服越しでも分かるほど浮かび上がっていた。


「アァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」


悲鳴が、住宅街へ響き渡る。

水晶から、黒い泥状の液体が溢れ出した。

粘つく闇は、未来の身体へ絡みつく。一瞬で四肢を、全身を覆い尽くしながら、異常な速度で膨張を始めた。


――バキッ!!


骨が軋み、肉は裂ける。

身体の内側から、何か別の存在へ作り替えられていく。


アスファルトが、重みに耐えきれず陥没する。

周囲の壁が砕け電柱が、触れただけで真っ二つに裂け飛んだ。


黒泥の中で、未来の姿が消えていく。


代わりに。

巨大な“何か”が産まれようとしていた。





****************************





「――ん?!」


その頃。


富谷邸では、華がケーキを頬張っていた。


だが。

突然、ぴたりと動きが止まる。


「華?」


隣に座っていた冷が、不思議そうに振り向く。対面の麦も、フォークを持ったまま視線を向けた。

華はゆっくりと顔を上げ、窓の外を見つめていた。

口元には、まだショートケーキのクリームが付いている。


その目だけは、鋭かった。

まるで、遠くの“何か”を捉えているように。


「……来た」


華が呟く。

次の瞬間。


「ピキーンってきた! 影喰だ!!」


ガタンッ!!

勢いよく椅子から立ち上がる。


「えっ!?」

「マジ!?」


冷と麦の表情が一変した。


二人は慌てて、食べかけだったケーキを口へ押し込む。

華はすでに玄関へ向かって走り出している。


「ちょ、華待って!」

「飲み物!飲み物まだ――っ!」


冷と麦も慌てて立ち上がり、そのまま後を追って家を飛び出した。

まだ夏の余韻が残る熱い風が三人の身体を叩く。


「……近い!」


住宅街の道路を、華は迷いなく駆ける。

その声に、緊張が混じっていた。


「結構近い! もうすぐ!」

「こんな近くで出たことなんて、今までなかったのに……!」


冷も顔を強張らせる。


「この辺り、住宅街よ!?」


麦が周囲を見回した。

並ぶ家々。朝日に照らされた道路。

ゴミ出しへ向かう人影。洗濯物を干している住民。


そこは、誰かの“いつもの朝”が流れる場所だった。


もしここで戦闘になれば、被害は避けられない。

そんな緊張が、三人の間に走る。


その時だった。


「……ん?」


先頭を走っていた華が、ぴたりと足を止めた。

視線は、少し上へ向いている。


「あれは……」


華の見つめる先。

民家の屋根の向こう側。

周囲の建物より、わずかに高い位置で。


“何か”が動いていた。


黒い物体。


いや。


頭部のようなもの。

朝日に照らされながら、ゆっくりと揺れている。


「……っ」


冷の息が止まる。

明らかに、異常な大きさだった。


「お、大きい……」


思わず、冷が呟く。


「……あれ、なのよね」


麦も視界へ捉えていた。

黒い影は、住宅街の奥でゆっくり蠢いている。


まるで巨大な怪物が、街を見下ろしているように。


「いくよ! 冷! 麦!」


華が鋭く声を上げた。


右手を前へ構える。

三人の手首には、白いブレスレット。


次の瞬間。


《――変異武装ドレスコネクト!!》


声が重なる。


三色の光が、一気に弾けた。


眩い光膜が球体状に広がり、三人の身体を包み込んでいく。

朝の住宅街が、閃光によって白く染まった。





***************************



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