第9話 2.意外な弱点
九月も半ば。
暦の上では秋だというのに、連日の残暑は三十度を超えている。
紅葉の気配など、まだ遠い。
そんな蒸し暑さの残る午後。
華、冷、麦、キャロライナ、そしてクリスチャントの五人は、とある高校を訪れていた。
「……これ付けるの、二回目だよね」
冷は来客用の玄関で受け取った入校許可証を首へ掛けながら、隣の華へ視線を向ける。
「ね! あの時は変装して入ったよね!」
華は懐かしそうに笑った。
「変装……?」
隣で話を聞いていた麦が、小さく首を傾げる。
その間に、キャロライナとクリスチャントも首へ入校許可証を掛け終えた。
五人は来客用スリッパへ履き替え、事務員に案内されながら校内へ入っていく。
途中、生徒達も利用する中央ホールを通りかかった時だった。
「おぉ……」
ガラス張りの展示棚を見て、麦が思わず声を漏らす。中には大量のトロフィーや賞状がずらりと並べられていた。
金色の優勝杯。
全国大会出場の盾。
海外大会の記念プレート。
学校の歴史そのものが飾られているようだった。
「こちらの高校は、ボート競技が強いのでしたかな?」
クリスチャントが興味深そうに尋ねる。
案内していた事務員は、どこか誇らしげに頷いた。
「えぇ。毎年アジア大会へ選手を送り出しています。ウェイトリフティングやヨット部も全国常連ですね」
「へぇ~、だからこんなに」
麦は感心した様子で、再び展示棚を見上げた。
中央ホールを抜けしばらく歩くこと数分。
保健室の前を通り過ぎたところで、先を歩いていた事務員が足を止める。
そこには、『校長室』と書かれたプレートが掛けられていた。
コンコン、と事務員がドアをノックする。
「失礼します」
静かに扉が開いた。
事務員に続き、華、冷、麦、キャロライナ、そしてクリスチャントの五人も校長室へ足を踏み入れる。
ふかり、と。
弾力のある赤い絨毯の感触が、靴越しに足裏へ伝わった。
室内は落ち着いたウッド調で統一されている。
白い天井。
壁際へ整然と並ぶ本棚。
奥には重厚な大テーブルが置かれていた。
そして、そのさらに奥。
背もたれの高い椅子へ腰掛けていた人物が、ゆっくりと立ち上がる。
「ようこそ、おいでくださいました」
穏やかな声だった。
その人物は五人へ視線を向け――ふと、クリスチャントを見る。
「……久しぶりだな」
わずかに目を細める。
「今は、“クリスチャント”という名前か」
「そちらも、お元気そうで。今は校長をしているとは」
クリスチャントは静かに微笑んだ。
事務員が一礼し、校長室を後にする。
扉が閉まったのを確認した瞬間、校長とクリスチャント、二人の口元がわずかに緩む。
「最後に会ったのは……南米戦の時だったか」
校長が懐かしむように目を細める。
「あれから、もう三十年以上になるな」
そして、ふっと笑った。
「戦場を駆ける“狩人”も、今では名を変えて執事とは」
「そちらこそ」
クリスチャントは穏やかに返す。
「軍の指揮を執っていた貴方が、日本の学校の長になっているとは。どのような経緯でここへ辿り着いたのか、気になるところです―軍曹殿」
「ははっ、懐かしい呼び方をする」
校長は肩を揺らして笑った。
その横で。
冷は目を瞬かせながら、クリスチャントを見る。
「…昔軍人だったの?」
「遠い昔の話でございます」
クリスチャントは軽く目を伏せる。
「今はただの老いぼれ。もう銃を握る力もありません」
そう言って笑う姿は、いつもの穏やかな執事だった。
だが。
背筋だけは、今なお軍人のように真っ直ぐだ。
「……彼女達が、“例の”?」
校長は視線を移す。
クリスチャントの隣に並ぶ、華、冷、麦、キャロライナの四人へ。
「アイアンガールです」
クリスチャントが静かに紹介する。
その言葉に、冷が真っ先に頭を下げた。続いて華、麦、キャロライナも会釈する。
校長は四人を見渡しながら、感心したように息を漏らした。
「驚いたな。テレビで見た姿とは別人だ」
「あちらは世間へ正体を悟られないための姿です」
クリスチャントが穏やかに補足する。
「身元が割れれば、彼女達の私生活にも影響が出ますので」
「それもそうだな」
校長は納得したように頷いた。
「今はSNSだのネットだので、何を書かれるかわからん時代だ。下手をすれば一晩で人生が変わる」
その言葉には、
年長者らしい重みがあった。
「あの!」
突然、華が一歩前へ出た。
「お願いがあるんですが!」
真剣な表情だった。
その勢いに、校長も自然と姿勢を正す。
室内の空気が、わずかに張り詰めた。
隣で見ていた冷、麦、キャロライナも思わず息を呑む。
何か重要な話が始まるのか――。
そんな空気の中。
華は勢いよく右手を挙げた。
「お腹空いたんだけど! 何かないですか!」
「…………」
一瞬、沈黙。
そして。
張り詰めていた空気が、音を立てて崩壊した。
「ズコーッ!」
思わず冷と麦が前のめりになる。
キャロライナは額を押さえ、クリスチャントは静かに目を閉じた。
「さっきコンビニで食べたでしょ!」
「おにぎり八個じゃ足りなーーい!」
「華ちゃん、多分いま大事な話するところなのよ……」
空腹でお腹を押さえながら項垂れる華へ、左右から冷と麦のツッコミが飛ぶ。
その様子を見ていた校長は、腹を抱えるように笑っていた。
「はっはっは! 肝が据わっとるな!」
校長は机の下をゴソゴソと漁り、やがて小さな網かごを取り出す。
中には大量の饅頭が詰まっていた。
「腹が減っては戦はできん。これでも食べなさい」
「わぁ! おまんじゅう! しかもいっぱい!」
華の目が一瞬で輝く。
「ワシのおやつじゃ。バレないように食べるんだぞ?」
「……?」
“バレないように”。
その言葉に華が首を傾げた、その瞬間だった。
バンッ!!
勢いよく校長室の扉が開く。
「全部見えてるよ!!」
先ほどの事務員が、鬼の形相で立っていた。
「血糖値高いんだから甘いもんばっか食べるんじゃないよ!」
「ひぃっ!? ゆ、許してくれかーちゃん!」
校長は情けない悲鳴を上げる。
事務員は慣れた手つきで饅頭入りの網かごを没収すると、そのまま呆れ顔で部屋を出て行った。
バタン、と扉が閉まる。
「…………」
校長室に沈黙が落ちる。
(えっ、夫婦だったの……?)
その場にいた全員が、ほぼ同じことを思ったのは、言うまでもない。
****************************
「……昔のよしみもあって、クリスチャントに相談したんだ」
校長はソファーへ深く腰掛けながら言った。
「すると、“適任がいる”と君達を紹介されてな。今回、こうして来てもらったわけだ」
ガラステーブルを挟み、華、冷、麦、キャロライナ、クリスチャントの五人も向かいのソファーへ座っている。
「最近、この高校で妙な噂が広がっていてな」
校長の声色が、少し低くなった。
「……妖怪が出るらしい」
「妖怪?」
麦が小さく首を傾げる。
その隣では、華が校長からこっそり貰ったせんべいをバリボリ齧っていた。
「むぐむぐ……妖怪?」
「あぁ」
校長は頷く。
「ワシも最初は、生徒達の噂話か悪戯だと思っていた。霊だの怪異だの、そういう類は信じん性分でな」
そう言いながら、隣に置いていたノートパソコンを開く。
キーボードを操作し、ある映像を表示させた。
「これは、一週間前の監視カメラ映像だ」
ノートPCを、五人へ見えるようガラステーブルへ向ける。
「音楽室奥の通路を見てくれ」
「え?」
麦達が自然と身を乗り出す。
せんべいを咥えたままの華も、じっと画面へ視線を向けていた。
監視カメラ特有の荒い白黒映像。
人気のない通路が映っている。
しばらく何も起きない。
……その時だった。
通路の奥。
闇の中で、何かが一瞬だけ煌めいた。
「っ……」
麦の目が細くなる。
次の瞬間。
“それ”が、暗闇の中からゆっくり姿を現した。
両肩、両脇腹に湾曲した刃物のようなものが生えている。
「ジャパニーズ、モンスター…」
キャロライナが珍しそうに見ながら、メガネの端を触る。
首は三つ。
足は無く、黒い肌はまるで影そのものだった。
そして胸の中央には、脈打つように光る石が埋め込まれている。
「……影喰」
華が、口に咥えていたせんべいを静かに手へ取る。
先ほどまでの緩い空気は、消えていた。
「華様。“いつもの感覚”はありますか?」
クリスチャントが確認する。
「うーん……今は感じないかな」
華は少し考えるように首を傾げた。
「出た時、“ピキーン!”って来るからね!」
「反応しないってことは…本物の幽霊?」
麦は身体を引き、顎へ手を添えながら眉をひそめる。
「……影喰とは、何だ?」
校長が低く尋ねた。
「現在、彼女達が戦っている怪物の名称でございます」
クリスチャントが静かに答える。
「そして――彼女達の力でしか倒せない存在です」
「……テレビに映っていた、あの黒い怪物か」
校長の表情が険しくなる。
「今のところ被害は出ておらん。しかし、放置もできん」
校長は真っ直ぐ五人を見た。
「君達アイアンガールに、この件の調査と対処を依頼したい」
「もちろん! 任せといて!」
華が勢いよく拳を握る。
「まさか幽霊退治までやることになるなんてね」
麦もどこか楽しそうに笑った。
……だが。
ふと、二人は違和感に気づく。
「あれ、冷は?」
華がキョロキョロと周囲を見回す。
すると。
校長室の隅。
冷が壁へ背を向けたまま、一人ぶるぶると震えていた。
「冷ー? どしたのー?」
華が口元へ手を添えながら声を掛ける。
「…………り」
「え? なになにー?」
「…………ムリ」
「なにがー?」
華は首を傾げる。
その時だった。
冷が、ゆっくりと振り向く。
両手で耳を塞ぎ表情は、今にも泣き出しそうなほど青ざめていた。
「ゆ、ゆうれいムリいいいいいいいーーーーーー!!」
校長室へ絶叫が響き渡った。
****************************




