第8話 7.重圧
次の瞬間。
華の腰元に結ばれていたリボンが、音を立てて解ける。
シュルルッ――!
白い帯は瞬く間に伸び、まるで生き物の尾のようにうねりながらトライデントタワーの外壁へ突き刺さった。
ガギンッ!衝撃と共に、華の落下が止まる。
「ふぅー!間一髪!」
宙ぶらりんになった華は、額の汗をぬぐいながら安堵の息を吐いた。
眼下には、見下ろしただけで足がすくむほどの高さが広がっているが華は、まるで気にした様子もない。
「それにしても、新しいスーツすごいなぁ…」
感心したように、自分の腰から伸びるリボンを見る。
「頭で考えたことが意のままにできる!」
白いドレスの各所には、淡い桃色のラインが発光していた。
戦闘に合わせて駆動する、新型パワードスーツ。その性能は、世間に身元がバレない様に隠すだけの以前とは比較にならない。
「まるで自分に尻尾が生えたみたい」
そんな呑気なことを言いながら、華は外壁にぶら下がったまま、何気なくビルの壁面へ視線を向ける。
「……ん?」
ふと、目が止まった。
外壁に、黒い“線”のようなものが走っている。
「……こんな線、あったっけ?」
「儀式だよ」
何処からともなく、声が響いた。
華が顔を上げる。
視線の先――対面にそびえる別棟の屋上に、一つの影が立っていた。
漆黒のマントに白い仮面。
頭上では、赤い炎が静かに揺らめいている。
「――これから、実に面白いショーが始まる」
低く、よく通る声。
「そこは特等席だ。観客として楽しむといい、アイアンガール」
「……お前、アレクザールだっけ」
華の目が鋭く細まる。
だがアレクザールは気にした様子もなく、ゆっくり両腕を広げた。
「おやおや。そんな怖い顔をしないでくれたまえ」
くつくつと、喉の奥で笑う。
「これから始まるのは――神聖な儀式なのだから」
「……儀式?」
「あぁ、そうだ」
赤い炎が、ぼうっと揺れる。
「この塔に集った三百人の命を、生贄として捧げるのさ」
静かな声だった。
だからこそ、余計に恐ろしい。
「悲鳴、絶望、恐怖……人間が死の間際に放つ感情は、とても美しい。それはワタシ達影喰が最も欲しいモノだ」
「なっ……!!」
華の表情が強張る。
アレクザールは、大阪の街を見下ろしながら続けた。
「安心したまえ。すぐには終わらせない」
仮面の奥で、笑った気配がした。
「せっかくのショーだからね」
「絶対やらせない! そんなの、ぶっ壊してやる!」
「――無駄」
ゾクリ、と。
背筋を氷の指でなぞられたような悪寒が走る。
反射的に華が顔を上げた、その瞬間だった。黒い影が、頭上から落ちてくる。
いや――違う。
速すぎる。
視界が追いつく頃には、既に真横を通過していた。
横目に焼き付いたのは、ダークブルーのドレス。
三つの鋭い突起を持つ王冠。腰まで届く黒いツインテールが、夜風の中でゆらりと揺れている。
腰の赤いリボンは、尾のようにたなびいていた。
次の瞬間。
衝撃。
「――っ!!」
華の身体が、砲弾みたいに吹き飛ぶ。
トライデントタワーの外壁を削るように弾き飛ばされ、凄まじい速度で落下していく。
(やば――)
空中で体勢を立て直すより先に、華は腰のリボンを展開。意思に反応したリボンが鋭く伸び、外壁へ突き刺さる。
ガギィンッ!! と火花が散った。
「ぐっ……!」
激しい衝撃に腕が痺れる。
だが、落下は止まった。
華は再び、超高層ビルの外壁へ宙吊りになる。
その頭上。
別棟の屋上へ、アヤカは音もなく着地していた。
「……あの時の」
宙吊りのまま見上げる華の眉間に、深い皺が刻まれる。
赤く光る瞳が、真っ直ぐ華を見下ろしていた。
「やらせない」
「邪魔するなら容赦しない! 私は――お前をぶん殴りに来た女だ!」
華は腰のリボンを引き戻し、勢いよく外壁へ着地する。
ゴッ、と靴裏が壁を踏み鳴らした。
拳を構えた、その瞬間。
視界が黒紫の光に染まる。
「――っ?」
アヤカが、両腕を空へ掲げていた。
頭上へ黒い粒子が集束していく。集まり続ける闇は巨大な球体へと変わり、その表面を漆黒の稲妻が這い回る。
バチバチ、と。
耳鳴りにも似た不快な音。
空間そのものが軋むような重圧が、周囲を満たしていく。
「ブラック――ストライク」
静かな声。
直後、アヤカが両手を突き出す。
放たれた二つの黒球が空中で激しく歪み――融合。
さらに巨大化した闇の塊が、稲妻を撒き散らしながら一直線に迫る。
「っ……!!」
速い。
避けきれない。
次の瞬間。
黒紫の閃光が、華を飲み込んだ。
――轟音。トライデントタワーの外壁が、大きく揺れた。
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「今の音、なに……?」
床から伝わってきた振動に、冷が顔を上げる。
照明の落ちた通路。
冷は先頭、最後尾には麦。
二人で三百人近いパーティー参加者たちを誘導していた。
「地震……なのか?」
参加者の一人が、不安げに呟く。
「このビル、震災対策は世界最高レベルって聞いたぞ……でも、今の揺れ……普通じゃなかった」
隣の男も顔をこわばらせながら口を開く。
「まだ携帯繋がんねぇ……圏外のままだ」
「どうなってるんだよ、くそ……!」
後方では苛立ち混じりの声も上がり始めていた。
先の見えない暗い通路。
極限状態が続く中、抑えていた不安が少しずつ表に出始めている。
冷はその様子を横目で確認すると、耳元へ指を当てた。
「麦、そっちの様子は?」
『大丈夫。少し余裕が出てきて、みんな喋り始めたところ』
「了解。引き続きお願い」
耳元を二度タップ。
通信先を切り替える。
「キャロさん、そっちはどうですか?」
『んー……メインシステムにアクセスしようとしてるんだけどネ。このビルの管理AIが、外部接続を全部遮断してるヨ』
「解除はできそうですか?」
『厳しいネ。トライデントタワーの制御システムは、完全独立型の自律AI。ハッキング対策も国家レベルだからサ』
キャロライナの声色が、少しだけ重くなる。
『本来なら安全のためのシステムなんだけド……今回は逆に閉じ込められてる状態ネ。通信機器が圏外なのも、その影響だと思うヨ』
「そんなものまで……」
冷の表情が強張る。
脳裏に浮かぶのは、あの仮面―アレクザール。
思い出しただけで、
背筋を冷たいものが走った。
『おそらくだけド……AIそのものを乗っ取られてるネ。冷チャンが遭遇したアレクザールってやつの仕業と考えるのが自然ヨ』
「……そんなことまで出来るんだ」
『引き続きやってみるヨ。そっちも気をつけテ』
「はい、ありがとうございます」
通信が切れる。
冷は小さく息を吐いた。
新型パワードスーツの機能の一つ――遠隔通信。それが今、唯一の連携手段だった。
「なぁ、アンタ」
背後から声が飛ぶ。
冷が振り向くと、中年の男性が不安そうな顔でこちらを見ていた。
「最近ニュースでやってる、“アイアンガール”ってやつ……だろ?」
「えぇ、まぁ……」
男は唇を震わせながら、冷を見つめる。
「オレ達……助かるのか?」
その表情は、ひどく怯えていた。
後ろにいるパーティー参加者たちも同じだ。不安に揺れる目と張りつめた空気。
誰もが、“助け”を求めている。
真正面からその視線を受けた瞬間、冷は息を詰まらせた。胃の奥に、重たいものが沈む。
(……答えなきゃ)
だが――脳裏に浮かぶ、アレクザール。
肌に焼きついた圧倒的な恐怖。
喉が、わずかに震えた。
――それでも。
冷は小さく拳を握る。
震える瞼に力を込め、ゆっくりと顔を上げた。
「……はい」
一拍。
そして、はっきりと言い切る。
「必ず、助けます」
その言葉に、参加者たちから小さく安堵の息が漏れた。張りつめていた空気が、ほんのわずかに緩む。
「…っ」
気づかれないよう、冷は小さく息を吐いた。
心臓だけは、まだ激しく脈打っている。
(……これが)
両肩に、見えない重みがのしかかる。
(“守る”って……ことなんだ……)
その現実が、ずしりと身体の奥へ沈んでいく。
今まで体感したことのない確かな重圧に、足先が鉛みたいに重くなっていく。
知らなかった責任の重さに、呼吸の仕方すら少しぎこちなくなる。
(華はずっと、これに……)
冷の拳に、自然と力が籠った。
思い返せば、華はいつだって前に出ていた。
初めて出会った時も。
影喰との戦いでも危険な場面では、必ず。
参加者たちの安堵した声を背に、冷は照明の落ちた通路を進む。
先の見えない暗闇を、足先で探るように。
(その裏で……こんな恐怖と責任を、一人で抱えてたのかな……)
沈んでいた瞼が、少しだけ上がる。
無邪気に笑って。騒いで。
好き放題やっているように見えていた。
でも、本当は―
誰よりも前で、“守る側”に立ち続けていた。
冷は、ゆっくり息を吸う。
(今も華は、外で戦ってるんだ……)
その瞳に、静かな決意が宿っていた。
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