第7話 7.思いの暴走
砂浜を少し歩いた先に、その店はあった。
潮風に揺れるビニールの暖簾。
木製の看板には、少し掠れた文字で「海の家 さざなみ」と書かれている。
波の音と、遠くで弾ける笑い声。
焼けた砂の熱が足裏からじんわりと伝わり、空気にはほんのりと塩の匂いが混ざっていた。
「いらっしゃい!」
中に入ると、鉄板の上でジュウジュウと何かが焼ける音と、香ばしい匂いが一気に押し寄せる。
「い、い……いい匂い……」
麦が思わず息を吸い込む。
「好きなとこ座りな。すぐ出してやるよ」
女性に促され、三人は窓際の席に腰を下ろした。
窓の外には、きらきらと光る海。白い波が規則的に打ち寄せている。
「……ねぇ、華」
「なに?」
「さっきまでバナナボートであんなに落ち込んでたのに、もう元気だね」
「いやー、それとこれとは別問題でしょ!」
そう言いながら、華の視線は完全にメニューに釘付けだった。
「焼きそば、かき氷、フランクフルト……うわ、全部食べたい!」
(完全にいつもの華だ)
(切り替え早すぎないかしら……)
ほどなくして、料理が運ばれてくる。
鉄板の上で香ばしく焼かれた焼きそば。
湯気を立てるラーメン。
色鮮やかなシロップがかかったかき氷。
「いただきまーーす!!」
華は勢いよく箸を取り、焼きそばを一口――いや、三口ほど一気にかき込んだ。
「んんーーーっ!!おいしい!!」
頬を膨らませながら、目を輝かせる。
「ちょ、ちょっと華ちゃん、落ち着いて……」
「もぐもぐ…ん?なに?」
「口に入れたまま喋らない!」
「はーい!」
言いながらも、箸は止まらない。
その様子を見て、店の奥から先ほどの女性が笑いながら近づいてきた。
「ははは、女の子なのにいい食いっぷりだねぇ」
「すみません、ちょっと食い意地が張ってて……」
冷が軽く頭を下げる。
「気にしなさんな。それくらい元気な方がいいさ」
そう言って、女性は後ろを振り返る。
「ほら、あんたもちゃんと挨拶しな!」
視線の先には、さっきの男の子が不機嫌そうに立っていた。
頭をさすりながら、ちらりと三人を見る。
「……ほら」
女性に背中を押され、渋々一歩前に出る。
「……リョウだよ」
「さっきはごめんなさい、だろ」
「……さっきは、ごめん」
ぼそっと呟くように言うリョウ。
「い、いいのよ!びっくりしただけだから!」
麦は慌てて手を振る。
「……ほんと?」
「うん!」
その言葉に、リョウは少しだけ表情を緩めた。
外では、強い日差しが海面に反射して、白くきらめいている。
風が吹くたびに、店の暖簾がぱたぱたと揺れ、涼しい影を落としていた。
「ったく、しっかりしな! そんなんじゃお母さん安心できないだろ!」
「うるさいなぁ……今、関係ないだろ!」
女性の言葉に、リョウの口調が一気に荒くなる。
その表情は、先ほどまでのものとは打って変わり、怒りに染まっていた。
「なにかにつけて、母さん母さんって……しつこいんだよ!親代わりのつもりか! 大きなお世話だ、迷惑なんだよ!」
「コラ! なんてこと言うんだい!」
「うるさい! もうウンザリなんだよ!」
怒鳴り散らすと同時に、
リョウは踵を返し――そのまま走り出した。
暖簾を乱暴にくぐり抜け、海の家を飛び出していく。
窓の外。
強い日差しに揺らぐ陽炎の向こうへ――その背中は、人で賑わう浜辺の中へと消えていく。
「……あらら」
華はかき氷を口に運びながら、その様子をぼんやりと眺めていた。
「おばちゃん、追いかけなくていいの?」
スプーンをくわえたまま、華が尋ねる。
「……言い過ぎちまったかねぇ」
おばちゃんは額に手を当て、眉をひそめた。
「お母さんとか親代わりとか言ってたけど、あの子、何かあったの?」
残ったかき氷をすくいながら、華はちらりとおばちゃんを見る。
「……四か月前のことさ」
おばちゃんは、少しだけ間を置いてから口を開いた。
「……あの子の両親は、遊覧船の船長と乗務員をやっていてね。
ある日、沖合で船が座礁して――乗客と乗組員、合わせて三十人が亡くなったんだよ」
「……あっ」
冷は何かを思い出したように、はっと顔を上げる。
(バナナボートの隣にあった遊覧船の立て札って、そういう――…)
「……これは、ただの噂なんだがね」
おばちゃんの声が、ほんの少しだけ低くなる。
「近頃、その沖合で――妙なものを見たって話が続いてるんだよ」
「妙なもの?」
麦が思わず聞き返す。
「……巨大な影だ。海の下を、ゆっくりと動く“何か”」
店の外から聞こえる波の音が、やけに大きく感じられた。
「最初に見たやつはな……船の下を、何かがなぞるように通っていったって言ってた」
「……」
「魚でも、クジラでもない。形が、はっきりしないんだと」
一拍。
「それでいて――“見られてる気がした”ってな」
その言葉に、空気がわずかに重く沈む。
「別のやつは、もっと近くで見たらしい」
おばちゃんは視線を海の方へ向けた。
「水面に、ぬっと浮かび上がったそれは……生き物っていうより、“何か別のもの”だったって」
「……化け物、ってこと?」
華の声は、先ほどより少しだけ低い。
「……ああ」
おばちゃんは小さく頷く。
「少なくとも、普通のもんじゃない。見たやつは皆、口を揃えてそう言う」
その時――
カウンターの奥から、電話の着信音が鳴り響いた。
「ちょっとごめんね。たぶん業者だろうさ」
そう言って、おばちゃんは席を立ち、カウンターの奥へと消えていく。残された冷と麦は、ぐっと華に身を寄せ、小声で話し始めた。
「ねぇ……今の話って、もしかして……影喰?」
「聞いてる感じ、それっぽかったのよね。華ちゃん、気配って感じるの?」
「うーん……今のところ、“ピキーン”って来てないよ」
「じゃあ、今回は違うのかな……」
冷は顎に手を当て、考え込む。
――その直後。
カウンターの奥から、ドタドタと慌ただしい足音が響いてきた。
三人が同時に視線を向ける。
次の瞬間、おばちゃんが慌てた様子で飛び出してきた。
「あ、あんた達! ごめんね! 今日はちょっと店じまいだ!」
「えっ?! まだ全然食べきれてない!」
((そっち?!))
冷と麦は、心の中で同時に突っ込んだ。
「すまないねぇ、ちょっと野暮用があって……!」
「なにかあったんですか?」
冷は目を細め、様子を探るように尋ねる。
「……あぁ。今、漁師の知り合いから連絡があってね」
おばちゃんの声が、わずかに低くなる。
「リョウが、勝手に船を出して……沖に出たっていうんだよ」
「沖って……今、行っちゃダメなところですよね?」
麦が不安そうに口を開く。
「そうだよ……。けど、あのバカ、まだ諦めてなかったみたいでね……」
「あきらめる?」
華が首をかしげる。
「……自分の両親が死んだのは、さっき話した“あれ”のせいだって、思い込んでるのさ」
一瞬、空気が静まる。
「“オレが退治する”って……誰の言うことも聞かなくてね」
おばちゃんの拳が、ぎゅっと震えていた。
その様子を見ていた華は、スプーンを静かにテーブルへ置く。
ゆっくりと立ち上がると――傍らに置いていた白い六角形の箱を、背中へ担ぎ上げた。
「華?」
冷が見上げる。
「……ピキーンってきてないけど」
華は、にっと笑った。
「こういうのはさ――アイアンガールの出番でしょ!」
腰に手を当て、堂々と言い放つ。
その姿に、冷は呆れ混じりの笑みを浮かべ、
麦は困ったように眉を下げながらも、どこか嬉しそうに微笑んだ。




