旅路
翌日、明朝。
「慶志郎、起きろ――起きろ、慶志郎」
深い眠りを妨げるように、強く揺さぶられ目を覚ます。
瞼を何度もこすりながら確認するとオウミさんが俺を見下ろすように立っていた。
「なんすか……こんな朝っぱらに……」
開き切っていない喉を振り絞り声を出す。
以前までは修行として、起きてはいたが、それも休み中だけ。
だからこんなくそ朝っぱらに起こされる道理はないのだが……
「お前、今日から行くのだろ。早く準備しろ」
「へ……? い、今からっすか!?」
「そうだ。お前アレイスターから何も聞いていないのか?」
何も聞いていない。っていうか、何でそんな大事な事を教えてくれないのか。
そう俺が思っていると、オウミさんが呆れたようにため息を吐く。
「やはり行かせると言うべきではなかったか……」
見るに、どうやらヒノタテさんは話し合いであんなにも堅物だったオウミさんから合意を取ってくれたようだ。
「お前、考えがダダ漏れだからな」
「すみません、つい……」
「ついじゃない。あぁもう、いいから起き上がって顔を洗って来い」
口調こそ静かだが、見るからにオウミさんの機嫌はあまりよろしくない。
それは俺のせいか、はたまたアレイスターさんのせいか、或いは両方か……
まあしかし、これ以上損ねさせる訳にもいかないし、俺はまだ眠気が残る体を起き上がらせる。
ベッドではルフが足蹴を竜華にかましていた。うん、相変わらず寝相が悪い。
「オウミさん、二人のこと……」
「ああ、任せておけ」
俺が何を言いたいか、オウミさんは分かっているようだ。
二人のお見送りがないのが寂しいけど、起こすのは可哀想だからこれで良い。だけどちょっとだけ――名残り惜しくて二人に触れる。
頬を触れるとくすぐったそうにもぞもぞと動く。それが何とも愛おしくて自然と笑みが溢れる。
そんな俺を見てか、オウミさんが声をかけてくれた。
「なあ慶志郎、私はお前の気持ちを出来るだけ尊重するつもりだ。だが今回の件は別だ。あいつらに私から充分に言い聞かせ、それが合意出来るのならと、不本意ながらも承知したが、それでも私の心はまだ許してはいない。それは分かってくれ」
分かっている。オウミさんが嫌々ながら俺のわがままに付き合ってくれていることも、本当は絶対に行かせたくないことも。そして何を言いたいかも。
「だからこそ敢えて言う。お前が今ここで一言、一言言ってくれれば私は――」
「大丈夫ですよ、オウミさん」
触れるのを辞め、オウミさんに向き直る。
「俺は二人を残して、いやオウミさんやルフや竜華、そして皆とまたこうやって一緒に居られるように戻ってきますから。だから安心して下さい」
真剣に俺の想いをオウミさんに伝える。
すると、オウミさんは何か諦めた表情で「そうか……」と一言呟いた。
「似てるな、やはり……」
「それは……親父とですか?」
「それもそうだが……いや何でもない。ほら、いつまでそうしている。時間が無いんだ。さっさと顔を洗って支度を済ませろ」
そう言ったオウミさんはいつもの表情に戻っていた。
凛々しく、それでいて少し威圧のあるいつもの表情、それがいつだって俺の背中を押してくれる。そしてそれはいつだって支えになる。
「――そういえば、俺達はどうやって行くんですか?」
顔を洗って準備を整えれば、ようやっと脳が働き始めた。
少し冷静になって考えてみれば、当然の疑問が思い浮かぶ。
俺が投げ掛けた疑問にオウミさんがまたも目に見えて呆れたとデカいため息を吐いた。
「アレイスターの奴、ほんと何も言っていないんだな。全くあいつは……まあ、良い小言は後だ。慶志郎、付いてこい」
そう言われ、オウミさんの後を付いていく。
部屋を後にし、普段オウミさんとアレイスターさんが暮らす部屋へと移動すると、既にアレイスターさんとヒノタテさんが待っていた。
まだ眠っているヒタキアカビをヒノタテさんが担いでいる。
「ようやっと来たか。光志郎の倅。あまりに遅いからオウミに唆されたと思った」
「黙れ」
「ふっ、その様子では案外図星かもしれんな」
「よせ、ヒノタテ。先生にも先生の考えがある」
オウミさんとヒノタテさんが顔を合わせるやいなや、バチバチに喧嘩腰である。
この調子で昨日は本当に大丈夫だったのだろうか……
そう心配しているとアレイスターさんが俺を見て小さく笑い、言う。
「安心しろ。皆分別ある大人だ」
アンタが言っても何も安心出来ませんが? っていうか、俺はアナタを分別ある大人としてギリギリでしか見てませんが?
「手厳しいな」
「当然だアレイスター。お前、慶志郎に何も伝えてないだろう」
「そういえばそうでしたね。ついうっかりしてました」
「そのうっかりで慶志郎にもしもの事があったらお前……なあ、慶志郎。やっぱり今からでも止めにしないか。こいつらにお前を任せるのが怖くなってきた」
「まあ、いつものアレイスターさんだと思っておきます」
うん、その方が俺もやりやすい気がする。変に意識して緊張するよりはこっちの馴染みあるやり取りの方が気が軽い。
「で、ずっと気になってたんですけど、どうやって移動するんです? っていうか、ヒノタテさん達はどうやってこっちに来たんですか?」
しかし、俺とは反対にオウミさんには余計な負担をかけさせてしまう。特にアレイスターさんやヒノタテさんのせいで。
それは俺も忍びないので話題を少し逸らした。
「俺達はある方法で来た。だが、帰る方法はオウミやアレイスターと一緒だ。お前は初めてだろう。一つ助言するとすれば、覚悟しろよ」
「そうか、思えば慶志郎は初めてだったな。覚悟しておけ」
ヒノタテさんに続き、アレイスターさんが俺に覚悟を持たせてくる。
どうせまた俺を困らせようとしているのだろう。全く、オウミさんから何か言ってやって下さい!
「まあ、その、何だ……覚悟だけは持っておけ……」
「……え?」
オウミさんを見ると、視線を逸らされた。
え……? まじ……? ほんとに……?
そう思っていると、突然ピンポーンとチャイムが鳴る。
それと同時にドアが開かれ、足音が近づき、一人の人物と一匹の猫? いや、ぬいぐるみ? が俺達の前に姿を現した。
それは俺が見知った人物で、見飽きたマスコットだった。
「流石四聖、お早いお揃いで。慶志郎も朝早くにお疲れさん」
「や、矢野さん……? な、何で……それと、何でさすトラ君まで」
「あの日以来じゃの英雄の息子。久しぶりじゃ。お前達は何かと面倒事に巻き込まれてしまうの〜」
理解が追いつかない。何で矢野さんが、何でさすトラ君が……っていうか、何でこんなぬいぐるみの格好したものが自立して羽をパタつかせて浮いて……ダメだ、分からない。
脳は思考を放棄した。ただ、何となく察している。多分二人共こっち側なんだと。
「え……? はっ……? つまり矢野さんは全て知って……」
「まあまあ慶志郎。考えるのは後。急いでいるんだろ」
未だ頭が事情の整理に戸惑っている俺を見ながら矢野さんが肩をポンと叩く。
その顔を見るにやはり全てを知っていそうだ。いつものおちゃらけた悪い顔をしている。
「花ちゃんからは俺から言っておくから。色々とな」
「俺にもちゃんと説明してくださいよ! 分かるように!」
「帰ってきてからちゃんと説明してやるから。な? 時間無いんだろ?」
「……絶対ですよ?」
俺の問い詰めに矢野さんは笑いながら返す。あれは適当に流す時によく使われる技法だ。ほんとにしてくれるんだろうな。
そうやって疑心していると矢野さんが急に真剣な顔付きで言う。
「慶志郎、一つアドバイスだ。何があっても自分を貫け。そして負けるなよ?」
「え? それって、どういう……」
「ま、覚悟しておけってことだ」
「さっきから皆に言われますけど、何なんですか一体……」
そう言うと、矢野さんは何か納得したかのような顔をした。しかしそれはすぐ崩れ、含みのある笑みの見せる。
それを見て俺は察した。これ絶対ろくな事が起きないって。
「話は終わったか? こちらは準備万全じゃぞ?」
俺と矢野さんが話してる間に、何やら準備が終わったらしい。
と言ってもチラリと視界に映った時は、ただただ四人で会話していただけだと思ったが。
「そうかトラ、なら早いとこ送っちゃいますか」
「うむ」
そう言った瞬間、さすトラ君の小さな体が光っては、みるみるうちに大きくなって――
「化け猫やんけ……」
「親譲りで失礼な奴じゃな!」
思わず本音が漏れてしまった。
やっぱりこれはテレビで見るからギリ許せるのかもしれない。あの時ルフが股間を蹴り上げたのも納得出来る。
「まあ良いわ。時に英雄の息子よ、もし親父に会ったらじゃが、怒っていたと伝えておくれ」
「え? あ、はい」
「うむ、では良い旅路での」
しかしながらこのタイミングでなんでデカくなって、何で口を大きく開けているのだろう。
そう考えた時、俺は――いや俺じゃなくても嫌な予感が過った。
予感、覚悟。その二つを理解したと同時に、バッとオウミさんへと振り向く。
気まずそうなオウミさんと目が合い、こくんと頷かれた。
「安心しろ。ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ気持ち悪いが続くだけだ。後の介抱は二人に頼んでおいた」
「えっ? ちょっ、まっ――」
「今更逃げるな、倅。覚悟を決めろ」
「では先生行って参ります」
「あぁ、今更言うつもりは無いがもし――」
「安心して下さい。この命に変えても約束は守ります」
トラの大口を前にヒノタテさんとアレイスターさんに左右を挟まれる。
そして俺の心の準備を待たず、その口は閉され、俺の視界は光を失った。
――慶志郎達を呑み込んださすトラを、オウミと矢野がただただ見つめる。
「ほんとに良かったんですか?」
「言うな。今でも私は反対している」
オウミの表情を見るに、何か色々あったんだなと矢野が心情を察した。
これ以上、この話題は不味いと思い、矢野は話題を変える。
「それにしても、まさか花ちゃんまで巻き込まれていたとは……ほんと英雄の血は争えませんな〜」
「しかしあれは単なる偶然だろう」
「その偶然を必然と引き起こすから英雄なんですよ。オウミ先生、俺も手伝えることはしますよ?」
「ほう? 例えば?」
「先生はあまり子育てとかやったことないでしょ? 慶志郎が居ない間、頼まれているんでしょ」
「そうだな。これを機に修行を付けておくとでもするか」
「……嫌われますよ?」
「案じるな。昔から童共には嫌われている」
「それを言われて俺は何を案ずれば良いんですか」
何とも言えない会話をしながら、慶志郎が居ない間は全力で手伝わなければと思う矢野だった。




