四聖ヒノタテ
三人称視点です。
とある異界。東洋の最果て。
聳え立つ山々の頂。他とは隔絶された地に築かれた一城。
曰く、日出る仙境の地とも修行の霊山とも呼ばれている。
その地を統治するのは四聖の一人、ヒノタテである。
「こんな所におったか、ヒノタテ」
まだ雪の残る山頂付近、杖をついた一人の白髪の老婆が男の背中に声を掛ける。
男はその声に反応し、老婆に振り向いた。
引き締まった腹筋、直前まで野太刀を振るっていた腕は見るからに強靭。
先程見えた背筋も今は露出されていない下半身も、その全てが筋肉という名の鎧を纏っている。
まるで竜のような獰猛な骨格がそれを成しているのだろう。
強者の風格。その佇まいもまさに武人と言うに相応しい。
顔は少しばかり濃く、その目の紅い瞳は竜華と酷似しているが竜華と比べ、若干薄い。
顎には少し髭が蓄えられており、綺麗に手入れすることを欠かさない。だが実を言うと竜華はこの髭があまり好きではない。
そして特徴的なのは、左の胸から上腕にかけて刻まれている翼を広げた竜の紋章だろうか。
それは竜種全てを統治する者の証であり、この城を守る城主の家紋である。
それがこの男の正体、四聖ヒノタテである。
「ロン婆か。どうした?」
「相も変わらず、お主はそれに惚れ込んでおるのぉ……」
ロン婆と呼ばれた白髪の老婆はヒノタテの手に握られた野太刀を杖で指す。
「あぁ、俺にはこれしか無いからな。これを振っている時が一番落ち着く」
そう言ってヒノタテは野太刀を振りかぶって一振り。
剛腕が振るうそれは音を鳴らし、風を切った。
陽日を浴びて鈍く光る刀身が地の雪を巻き上がらせる。
竜巻のような風が雪を空へと誘う。
舞い上がり、空に昇った雪が落ちてくることは無い。竜が喰ってしまったようだ。
それを見ていたロン婆が呆れながら言う。
「全く、その熱をもっと他に使えんのかお主は。例えば嫁探しだとか嫁探しだとか……嫁探しだとか」
「それしか無いのか」
「お前さんに伴侶が出来れば、婆は今からでも安らかに天に昇れるのだが」
「ふっ、なら安心してその天寿を全うしろ」
「安心出来んわい!」
皮肉混じりの言葉にヒノタテも言葉を返した。
それにロン婆はツッコミを入れると、ヒノタテはまた言葉を返す。
「そもそも俺が城主になった時、ロン婆が言っていたではないか。お前さんに色目を使う女はお前さんの地位に目が眩んだ俗物だと。女は自分の目で見て選べと」
「ぬぅ……確かに言ったが……で、どうなのじゃ?」
「こう毎日剣を振っている俺に女を見る機会があると思うか?」
「はぁ……お前さんはほんとに……」
ああ言えばこう言う。といった態度にロン婆は呆れ果てる。
思えばヒノタテが女に興味を示した記憶が無い。
こういった色事が苦手なのか、はたまた奥手なのか。
見合いでも何でも良いからもっと早くに手を打っておくべきだった。とロン婆は嘆く。
「お前さん……まさか男色ではあるまいな……?」
「はぁ……何を言うかと思えば……」
何を言われるかと思えば、予想もしてなかった言葉にヒノタテが今度はため息をつく。
ただそれだけロン婆にとって、世継ぎの話は死活問題であった。
「ヒノタテよ、分かっていると思うが、お前さんが子を残さなければ一族の血筋が途絶えてしまうのじゃぞ」
「分かっている」
「もしそのような事が起これば婆はあの世で先祖に顔向け出来ん」
「分かってる」
「末代の恥なぞ晒してくれるなよ」
「分かってるって言っているだろ。それでこんな所に来るとは何か用が合ったのではないか?」
これ以上ロン婆の小言を聞くまいとヒノタテは強引に話を逸らす。
こんな所と言うようにこの場は険しい山々を登らなければならないような高所。
故に普段は誰も近寄る事は無い。それをしめたとばかりにヒノタテは日々の修練場として使用している。
「む、そうじゃった。ヒノタテ、お前さんにお客人じゃ。可愛らしい小鳥のな」
「む、アレイスターのところのか……。そんなのとは顔見知りがいないのだが……」
「何やら急を用するようじゃ。良いからさっさと着替えろ。今はスオウとタケが相手をしておる」
「分かった」
そう言われ、ヒノタテはいそいそと脱いだ服を着直す。
ロン婆との会話で汗などとうに冷えている。竜がそんなことで体調を崩す事もない。
その間、ロン婆は既に山を降っていた。
崖と崖の間を滑るようにして降りる身のこなしは、年寄りとは思えないほどに洗練されている。
流石は前城主であり、幼き頃のヒノタテを鍛えただけのことはある。
その後を追うようにしてヒノタテもまた鮮やかなに降っていった。
「ヒノタテ様、ロン婆様、戻られましたか」
「うむ、この阿呆がもたもたしておってな」
「む、いやまあいい。スオウよ、例のお客人は何処にいる」
「はっ、今は屋敷の中でミナカタが相手しております。こちらです」
二人の帰りを外で待っていたのは、長く綺麗な黒髪を一つに纏めた和装の美人、スオウと呼ばれた人物である。
スオウに案内され、ヒノタテとロン婆は付いていく。
「ミナカタの奴、子供の相手は脳筋のお前じゃ出来ないだろって! 酷くないですか!?」
「まあタケになら安心して任せられるが」
「ヒノタテ様まで!? 酷いです! ロン婆様! 何とか言ってやって下さい!」
「そういうお転婆なところじゃぞ、スオウよ」
その道中で、時折振り向いてはスオウが愚痴を二人にぶつけていた。しかし同情してくれることも無く、逆に痛い所を突かれる。
「うぅ〜〜、ロン婆様まで……」
スオウが翡翠の瞳を揺らす。二人から受けた言葉の刃物が余程痛いらしい。
スオウ自身、勝ち目が無いのは分かっている。ミナカタは既に父と呼ばれる存在だ。
ただの女、ましてや生娘であるスオウでは中々に太刀打ちは困難だろう。
現に来客した小鳥の子供達はミナカタへと靡いてしまっているのだから。
子供好きなスオウにはそれが堪らなく悔しく感じる。
「やっと参られましたか。ヒノタテ様」
スオウに案内された屋敷の一室。
陽日の当たるそこからは庭園が一望できる。
そこに居るのは栗色の髪に琥珀の目をした美男子、ミナカタと赤い髪の二人の女の子。
二人の可愛らしい女の子はミナカタに心を許しているのか寄りかかって寝息を立てている。
二人は双子なのか、容姿から服装までほぼ同じだった。
外見で見分けるとしたら、彼女達の特徴であるちょんとはねたアホ毛だろうか。
片方は右に、もう片方は左にそれがはねている。
「悪いな、待たせてしまったか」
「いえいえ。聞けば、どうやら長旅だったようで、疲れて眠ってしまったようです」
「そうか。確かにここは遠いからな」
ミナカタがそう言うと、ヒノタテは仕方ないと言うように納得する。
幼子が此処に辿り着くのが過酷だという事はヒノタテもよく分かっている。
それを泣き言一つ言わないでやってのける少女なんてヒノタテは一人しか知らない。
「まあ良い。今は寝かせてやれ。事情を聞くのはその後でも遅くはないだろう」
「畏まりました。スオウ、布団の準備を」
「うぅ〜、はいはい分かりましたよ! 私はそれくらいしか出来ませんからね!」
「うるさいぞスオウ。子供達が起きてしまうだろ」
「〜〜ッ!」
スオウがいじけながら準備した布団に、ミナカタは馴れた手付きで子供を抱え、寝かせる。
それをヒノタテとロン婆が見ていると、視線に気付いたのかミナカタが少しばかり照れ臭そうに言った。
「家の子供も、こうやって突拍子もなく眠るんです。そりゃあ次第に慣れてきますよ」
「そうか。それは良い事だ、奥さんも助かっているだろ」
「尻に敷かれているって言われればそれだけなんですけどね」
「ヒノタテ様! この間、ミナカタの子が私の事なんて言ったと思います!? 怪獣尻でか竜ですよ! 何とか言ってやって下さい!」
「大きな声を出すなスオウ。子供からすりゃお前の尻がデカく見えたんだよ」
「私の尻はそんなにデカくない!」
「だから大きな声を出すなって」
そう声を張って主張するスオウの口をミナカタが手で塞ぐ。
幸いにも二人は起きていない。
それを確認してからミナカタがスオウの口から手を離した。
「ご、ごめん、ちょっとカッとなった」
しゅんと落ち込むスオウ。そんなスオウを見てヒノタテは言う。
「スオウ、子供の言う事だ。気にするな」
「はい……」
「そう落ち込むな。そうだな……スオウ、子供達が起きるまでお前もここにいてくれ」
「……っ! よろしいのでしょうか……?」
「あぁ、だが大きな声を出すのはやめろよ」
「やっ!! ……やったぁ……!」
スオウは口から出そうになった溢れんばかりの思いを自ら手で自制して、小さく喜ぶ。
「では、起きたらまた呼んでくれ」
そう二人に言い残し、ヒノタテとロン婆は部屋を後にする。
「お前さん、随分と他の子には優しいのぉ〜?」
「……何が言いたい?」
やり取りを見ていたロン婆がヒノタテに嫌味ったらしくそう言った。
「あの子があんなぐーすか寝ていたら、水をぶっかけてでも叩き起こす癖に、随分と他の子には気を使うのじゃなと思っただけじゃ」
「……あいつを強くするためだ。情けはかけない。それが俺の使命だ」
「そのせいで随分と嫌われてしまったがな」
「ぐっ……」
「聞けば、今は随分と楽しく過ごしているようではないか。それもカトラの子供とじゃ。やはり子供は年相応に遊ばんといかん。誰かのように命懸けの鍛錬よりも」
「ぐっ……」
「良かったのぉー、ちゃんとあの子を受け入れてくれる人がいてくれて、お前さんずっと心配していたからのぉ」
ロン婆の言葉の雨ががヒノタテに強く突き刺さる。普段表情が顔に表れないヒノタテもこればかりは辛くしていた。
「……俺は心配なんぞしていない。あいつは一人でも生き抜けるように俺が修行をつけた。心配する理由など無い。そして俺のやり方を変えるつもりだ。例え嫌われようとな。それが俺のやり方だ……!」
そう言ってヒノタテはロン婆をおいて歩き出した。
ロン婆がその背中に語りかける
「ふっ、全く。お前さんもあの子と一緒で強情な奴じゃ」




