告白
「えっと……課長……?」
見上げた先、猛禽類の眼が俺とルフ達を見つめている。
く、喰われる……。
そんな筈は無い。だが、考えるより先にそう思ってしまうのは生物としての本能なのだろうか。
「ひっ……」
多分そうらしい。竜華が小さく息を漏らした。
無理も無い。普段会っている俺でさえ防衛本能が働いたくらいだ。初対面の竜華がそれをもろに剥き出してしまうのは必然と言える。
しかしながら幼いとはいえ竜すらも怯えさせるとは……課長の圧が計り知れない。
ただ驚くことに、少し後ずさった竜華とは対照的にルフが課長の目をじーっと見つめていた。
恐怖のあまり動けなくなってしまったのだろうか。
目を見つめ続けて下手に刺激しないようにしているのかは分からない。
ただ言えることは、課長もまた黙々とその眼差し見返していた。
「びええぇーん、由希ちゃん怖かったよおぉぉー!」
泣きじゃくった声が二人のにらめっこを終わらせる。
ラウと呼ばれた少女が二人の間を割って課長に抱きついた。
栗色の髪を激しく振りながら、課長へ突っ込んだ姿は犬そのもの。
真正面からそれを受け止めた課長のお腹辺りから鼻水やら涙やらを啜る音がわんわん響く。
課長はラウをただ黙って受け入れながら、背中をポンポンと叩いてあやしていた。
「えっと、その……すみません、うちの子が」
なんかそんな二人の光景を見ていたらこっちが罪悪感でいたたまれない。
っていうか、何でこうなったんだ。
ルフ……はちょっと分からなそうだから竜華に説明を求めた。
「えっと、竜華……?」
「私達はただ一緒に遊ぼうとして、そしたら走って逃げちゃったから、追っかけて」
俺も課長も竜華の話を聞いている。
話をしている間、ちょっとずつ竜華の声が強張ったように引き攣っていく。
潤んだその声に課長はラウを連れたまま竜華に歩み寄り、声を掛けた。
「ひゃ……」
「そうか。ありがとね、一緒に遊んでくれようとして」
課長の手が竜華を撫でる。
今まで見たことの無い笑顔を見せながら。
ただ、竜華は手が自身に伸びた瞬間、小さく悲鳴を漏らしていた。喰われるとでも思ったのだろう。俺だってあの視線から手が伸びてきたらそう思う。
「ひょあぁー……」
「ほら、ラウも何時までも泣いているんじゃない。一緒に遊んでこい」
竜華は安堵からか変な声を出していた。俺だって漏らす。
丁寧な手付きで撫でられて自然と緊張が解けたのかもしれない。
課長は竜華を撫で終わるとひっついていたラウを引き剥がした。
くっついていた課長のお腹周りはもうびちゃびちゃだった。
白のシャツということもあり、跡がくっきりと目立つ。
「課長これ使って下さい。えっと、ラウちゃんもお顔拭こうか」
「すまないな慶志郎。借りるぞ」
俺は持っていたタオルを課長に渡す。
「えっと、ラウちゃん?」
課長が拭いてる間、もう一つのタオルをラウに渡そうとしたが、ラウは受け取ってくれなかった。
鼻水やら涙やらでぐしょぐしょになった顔で俺を見上げ、くりくりとした目をぱちくりしている。
そこに怯えた様子はない。怖がられても無さそうだ。
ならばと思い、俺はそのままタオルをラウの顔にあてがった。
「ごめんね、ちょっと我慢しててね」
「わっ――」
びっくりを表したように頭上の耳がピンと張った。
けど暴れたり抵抗しないところをみると嫌がってはなさそう。
現に今はもう耳がぴょこぴょこ嬉しそうに揺れている。
彼女も彼女で緊張が解れたのかもしれない。
それは嬉しいことなのだけど……これはどう見ても……。
ラウのその姿を見ていると、疑問が確信へと変わる。
だからこそ俺は竜華に視線を送る。
竜華も俺の視線を汲み取ってくれたのか、欲しい答えを頷き一つでまとめてくれる。
だよな……。じゃあ何で課長と一緒に居るのだろうか……? っていうか何時から? 何の目的で……?
「ねぇねぇ、お兄ちゃん。あのおばちゃんだーれ?」
「お、ばちゃん……?」
次々と押し寄せる疑問をルフが一気に押し返す。
俺の袖をくいくいと引っ張るルフがきょとんとした顔で見上げてくる。可愛い――じゃなくて!
ルフちゃん! なんてこと口走ってんの!?
「わわっーと!? ルフ!? おばちゃんじゃなくて、おねえさん! はい、一緒に! お姉さん!」
「お姉ちゃん!!」
「…………」
チラッと課長を見ると怪訝な表情をしていた。
ま、不味い……。
嫌な汗がツーッと背中を伝う。ちょっとタオル貸して欲しい。
既に俺の手はタオルを手放している。ラウがキュッと握っていた。
「ねえねぇ、お姉ちゃんはお兄ちゃんと、どーゆーかんけいなの?」
ルフが俺の元から課長の方へと向かっていくと、課長を見上げて質問していた。
そんなルフに課長が膝を折って答えた。
「お姉さんとお兄ちゃんはね、おんなじ会社で一緒に働いているんだよ」
「かいしゃ?」
「うん。慶志郎お兄ちゃんはね、いっぱい頑張ってるの」
「すごーい!!」
「ねえ、すごいね!」
……誰この人? 俺こんな課長知らない……
ルフとのやり取りを見ていると、本当にこの人課長なのかと頭が何度も問いかけてくる。
ルフとお喋りしている課長の姿はそれだけ会社とのギャップが凄い。
保育士さんと言われても遜色ない。聖母を謳いたい。
ルフとのやり取り、さっきの竜華の扱いを見るに課長は子供の面倒を見るのが得意なのだろうか。
だとすれば、ラウが懐いているのも納得がいく。由希ちゃんなんて呼んでたし。俺だって呼んだことないのに……ハッ!? 俺は何を……
「じゃあルフちゃん、うちのラウと遊んでくれる?」
「うん! リュウお姉ちゃんもいっしょに!」
「ありがと。偉いねルフちゃん。ラウ、遊んでおいで」
「う、うん」
「リュウお姉ちゃんも!」
「わ、わかったから引っ張らないで!」
課長に撫でられいたルフが上機嫌で竜華の腕を引っ張って走って行った。
その後をラウが追っていく。がその前にラウが持っていたタオルを俺に返してきた。
「これ、ありがとうございます」
「うん。ごめんね、うちの子達、大変だろうけど、一緒に遊んであげてね」
「うん!」
ぴょこぴょこ動く耳を見るに嬉しそうで安心した。
ルフと竜華と一緒に遊ぶのは疲れるかもしれないが、多分あの中で一番のお姉ちゃんだから任せるとしよう。
竜華より頭一個分だけ身長が高いラウは早くも二人に追いついていた。やはりイヌ耳を見る限り、走りには自信がありそうだ。
「――さて、慶志郎」
「ひょえ……」
三人の背中を見送っていると、課長が声を掛けてくる。
振り向けば、さっきの姿はどこにもない。いつもの見知った上司だ。
「まあ、座れ」
「ひゃい」
思わず変な声が出した俺を訝しげに見ては隣に座るよう課長が促してくる。
即座に俺の体は動き、課長の隣へと座った。
この人に呼ばれると体が勝手に動く。これはもうパブロフのなんちゃら。
お手でもおかわりでもチンチンでも何でもしてしまう自信がある。くぅーん……いや言うてる場合じゃない。
「驚いた。お前に妹がいたとは。しかも二人も」
「まあ、はい。ちょっと話がややこいですけど、今はルフと竜華、二人で暮らしています」
「ルフちゃんに、竜華ちゃん、か。随分と可愛らしいじゃないか」
「ですね。でも毎日騒がしくて」
「ふふっ、そうだろうな」
穏やかに笑う課長を見ながら、答えられる部分は正直に話そうと決める。
どうやら子供のことになると、課長はどうも表情が緩むっぽい。
そうやって普段から笑っていれば、皆から怖がられること無いのに。
反面、この笑顔を誰彼構わず振りまいて欲しくない自分もいる。
課長の意外な一面を独り占めしたい。美人の笑顔を前にすれば誰だってそう思うのが普通だ。
「しかしそういう事情がだったのか。良かった……」
課長が何だかつっかえが取れたように安堵の息を漏らす。
はて、何が良かったのか。
「良かったっていうのは」
「あー、いや、こっちの話でな」
「何だか歯切れ悪いっすね。何かあったんですか?」
露骨に避けた視線を俺は見逃さない。
普段の課長では有り得ないからだ。
それを察知出来ない程、この人も鈍くない。だからこそ、観念したかのように口を開いた。
「いや、最近お前ずっと定時で帰り早かっただろ? だから何かあるんだろうなとは思っていたんだ。それをな、悪い方に考えてしまって……その、もしかしたら辞めてしまうんじゃないかと思って……それは嫌だなって思ってな」
「へ……?」
「あぁー、もうっ! そんな顔するな! だから嫌だったんだ」
課長の話に思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
課長の言ってることを理解するのに少し時間が掛かったからだ。
つまり課長は俺が辞めてしまうのではないかと考え、日夜悶々としていた……?
課長を見ると恥ずかしさと照れくささで頬を赤らめてもじもじしていた。
由希ちゃん……凄くギャップ萌えが……それもまた乙……。
これを他の人に見せたくないと思うのは必然であり、当然。貴女へ捧げたい俺のどうて――あっぶねー、テンションがぶっ壊れてた。
課長が心情を吐露し、俺の返事を待っていた。
「辞めませんよ。俺好きですから」
「えっ」
えっ? あ――ああーっ!
いや違くて。そういう意味じゃなくて! 会社がっ! 今の環境が! ああっもう! 俺の言葉足らず!
俺の思いも寄らない告白に沈黙が流れる。
「えっと、ところで由希ちゃんは――あっ」
「ゆ、由希ちゃん……?」
何か言葉を探っていたら自然と口からポロリした。
思わず手で口を塞ぐ。やっべぇーって……! 何も考え無しに出てきちゃったんすけど!?
既に誤魔化しが効かない。考えろ、打開策を! ……何も思い付かん。俺がもっと女慣れしていれば自然と呼んでも違和感無かったのだろうか……ぐっ……
こうなったら気合いで全力で乗り切るしかない……!
「ゆ、ゆ、ゆ由希ちゃんはいつからラウちゃんと一緒に!?」
「あ、あぁ……何だ、その……休みが始まってからだ」
どもりにどもりまくったが何とか乗り切った。凌いだんだ、異論は認めない。
どうやら休みが始まってかららしい。
しかしながら何処か歯切れが悪い。言えない事情があるのだろうか――いや言えない事だらけだろうな。
気持ちは痛い程分かる、俺もそっち側だから。
事情の一つや二つ、それ以上あっても不思議じゃない。
だからこそ、これだけは言える。言わなきゃならない。
「課長」
「んっ?」
俺は課長に向き直り、真剣な眼差しを向けて宣言した。
野望渦巻くこの戦いに、恐らくもう巻き込まれている。
ラウという少女が出会いがきっかけなのは言うまでもない。
でも、だからこそ、俺は課長が、少女達が巻き込まれるのは御免だ。傷付くなんてまっぴらだ。
俺がこの手で絶対に――
「何があって俺が絶対に守りますから」
「―――ッ!?」
俺の意思を告げた瞬間、課長の顔が一気に赤く染まる。
瞬間湯沸かし器の如く熱された頭が煙を出していた。もしかしたらボンッて聞こえていたかもしれない。
言葉を無くし、ただ悶絶する課長を前に俺は自身の失敗に気付いたがもう遅い。
あぁーッ! もう、ほっんと俺の言葉足らず!!




