心の炎
『ふふっ。赤ん坊、お前のほっぺはぷにぷにしていて可愛いな』
つんつん、と頬を小さい指に押される感触を思い出す。
誰が赤ん坊だ、と声を張り上げたかったがそれは出来なかった。
声を出せなかったからだ。いや、正確に言うならば俺を赤ん坊扱いするこの人に対して「あー」とか「うー」しか発することしかできない。
これは夢……? でも夢にしては妙にリアルでまるで俺自身が体験したことを追憶してるような感覚。
でも俺にこんな経験はない。覚えていない、という言い方が合っている気がする。
そりゃそうだ、この人の言う通りが本当ならこれは赤ん坊の時の思い出。
誰しもがこの指の感触も記憶も向けられたこの笑顔すらも覚えているなんて難しいことだろう。
それでも何となく思い出に残っている記憶の断片。
埃を被って奥底に眠りきっていた俺の一部。
例え記憶に残っていなくても、またこうやって呼び覚まされたのはおそらく、またこうやって繋がりを持てたからだと俺は信じたい。
だからこそ、この人――オウミさんの手を離さない。
追憶するままに、俺はオウミさんの指を掴む。
この小さい手ではこれが精一杯。
『あ、こらこら指を掴むな。もうっ……しょうがない甘えん坊だ。それじゃあ強くなれんぞ慶志郎』
言葉とは裏腹に顔をほころばせたオウミさんの笑みは優しさに満ちていた。
その想いに応えるように笑い返す。
『慶志郎が笑った……? 〜ッ!! 良し! 慶志郎、おばばがおぶって散歩に連れていってやろう。良いよな? 良いよなっ⁉』
俺、オウミさんのこんなキラキラした笑顔初めて見た気がする……。
普段は笑顔すら全然見せてくれないのに。
赤ちゃんにだけ見せるのか、それとも他の人には今も振る舞っているのか、もし後者なら嫌だなぁ……って俺は何言ってんだ。
っていうかオウミさん、自分からおばばって言ってるけど……いやこれは深掘りはしていけない気がする。
オウミさんは堪えきれないといった様子で誰かに確認を取っていた。
すると、遠くから女性の声で了承の返事が返ってくる。
返ってくるや否や、ソワソワとしていたその両手が俺を包む。
意外にもその手つきは優しくて手慣れている。流石はおばあちゃんとしか言いようがない。
だというのに、普段のオウミさんからは考えられない落ち着きの無い言動が、体格も合わさってか年の離れた姉とも錯覚させる。
ほんとこの人達はよく分からん。俺は理解がまだまだ浅いってことか。
『さて、お散歩に行こうか。ふふっ、焦るな慶志郎。急がなくてもお散歩は逃げないぞ』
待ち切れないのはオウミさんだろ。
手足をバタつかせて言いたい事を表現する。
言葉の発せない俺のささやかなつっこみ。
『ん、何々? おばばとお散歩するのが楽しみで楽しみで仕方ない? ――んっ、何? 慶志郎は言っているぞ、子煩悩で何が悪い』
でも、オウミさんには伝わっていなさそうだった。
そして、さっきの女性にも呆れられていた。
まあ、俺も嫌ではないし……。このままされるがままでも気にしない。
それにオウミさんの背中から伝わるこのウキウキ感を前にしたら何も言えない。
『では行こうか慶志郎』
揺れる背中に揺さぶられ。この心地よい足取りが織り成すリズムは眠気を誘う。
そんな俺に構わず、楽しそう喋りかけてくるオウミさんの言葉がうつらうつらとしか聞こえない。
緩く縛られた紐があるから落ちることはないだろうが、それでもこの小さな背中にギュッとしがみつく。
それを返事だと思って嬉々として歩くオウミさんを感じると握った指に力が入るのは仕方ない。
けれども安心して身を委ねる。元から心配なんてしていない。
この小さくても頼り甲斐のある、全てを預けられるこの人を俺は心から信頼している。
温かい温もりに包まれ、眠りにつく最中、オウミさんの声がはっきりと聞こえた。
「慶志郎、お前は私が絶対に護る。だからっ!」
熱を帯びたその言葉は、俺の心に炎を宿した。
「――うっ……あっ……」
「目覚めたか慶志郎!」
――過去が見せた夢から目を醒ます。
ぼやけた視界が鮮明に映し出すのは俺を背にして立つ小さな背中。
大蛇を前に勇敢に立ち向かう頼もしい背中が安堵の声を漏らす。
「良かった……本当に」
「オウミさん、俺――ってオウミさんッ⁉ ボロボロじゃないですか⁉ どうしてッ⁉」
ボロボロになっても凛々しく立つオウミさんに駆け寄る。
その姿だけで俺が気を失っている間、如何に激戦だったを雄弁に物語っている。
「それは貴方に力を使っていたからですよ。貴方が居なければこんなに手こずるなんて有り得ませんもんねぇ先生?」
「ネーセフッ! 貴様……!」
ネーセフの言葉が刺さる。
確かにあんな馬鹿でかい蛇から体当たりされて、無事である筈がない。
だというのに、意識を取り戻した俺は、俺の体は何事も無かったようにオウミさんに駆け寄れた。
オウミさんが俺に何らかの事をしてくれたのは間違いない。
ボロボロになっている自分よりも無力な俺を選んで――
「オウミさん、俺……」
「案ずるな慶志郎。この程度で倒れる程やわではない」
分かっている。オウミさんがそういう人だって事は過去と今を通して分かっている。
だからこそ、自分の無力さにどうしようもない程腹が立つ。
情けない姿を晒している俺に、オウミさんが呆れながら、そして俺の気持ちを汲み取ったように優しく声をかけてくれた。
「慶志郎、焦るなって言っているだろう。お前が無事なだけで私は嬉しい」
頬に添えられた手の感触が懐かしい。
あの時と同じ小さな手の平が頭を優しく撫でてくれる。
変わらぬ温かい温もりが俺に勇気をくれる。愛情を包んだこの人の両手の平が俺を強くしてくれる。
瞬間、燃える炎が叫ぶ。俺はこの人を心から護りたいって――
「くたばり損ないは伏せてればいいもの! ほんと貴方達の一族は――!」
ギリリと歯を鳴らしたネーセフ前に俺もオウミさんも構える。
そこに苛立ちが見えるのはネーセフにとって何か都合が悪いからであろう。
その間に立ちはだかるのは大蛇。オウミさんもボロボロだったが、それはこいつも同じ。至る所にオウミさんから受けて爛れた傷跡がある。
「絶対にぶっ倒す!」
「慶志郎。お前を闘わせるなんて私は一言も言ってない」
「いいえ! やりますオウミさん! あの野郎、俺の大事な人によくも!」
「――えっ」
オウミさんの心配を余所に闘志を燃やしていると、隣から素っ頓狂の声が聞こえた。
見れば、いつも気を張っている凛々しい顔が、ポカンと口を開けている。
「今度はしっかりと止めを刺してあげるわっ! この死に損ないがッ!」
ネーセフの声に反応して大蛇が口を開けて迫って来る。
あんぐりとしているオウミさんは隙のない動きですかさず反応し、盾を張って防御。
しかし俺のせいで力が足りていないのか、鉄壁と言うには些か強度が足りていなかった。
膜に亀裂が這って、それを喰らう。
パリンと割れた瞬間、俺はオウミさんの前に出る。
これ以上、この人を傷つけてなるものか。
想いを闘志の燃料に、心の炎を燃やせば、俺の拳は光に包まれる。
熱く滾るこの光は俺の護りたい人への想いの炎ッ!
「ぶっ飛ばしてやらあああぁぁぁぁッ‼」
そのまま大蛇の顔めがけて――穿つ。
渾身の力をぶっ放された大蛇は地面に倒れ、燃えてる身を土に擦りつけ藻掻いてはのたうち回っている。
「慶志郎……お前……」
後ろから聞こえる大切な人の声。
あの時から現在を遡って気付いたことがある。
「俺、おばあちゃんっ子なんです。昔っから」
そう言った俺に、オウミさんの表情が柔らかくなったのを見た。
あの時見せてくれた表情のように。




