竜華
「ありがとおじさん。いただきます」
「いや、おじさんじゃなくて、慶史郎……まぁ、いいか」
次の日、お兄さんと少女の交流が始まった。
俺の姿を見かけるや否や橋の下から竜華が駆け寄ってくる。
軽く挨拶を交わし、俺達は昨日と同じように土手に腰をかけるが、どうやら今日は俺達二人だけのようだ。河川敷で遊ぶ子供達の姿はない。
持ってきたおにぎりを渡すと、竜華は口いっぱいに頬張り、ガツガツといった感じでそれを食す。
その姿はまるで野良猫がやっと餌に在りつけたような光景とでも言ったところだろうか。竜華の横顔を眺めていると、ついそんなことが思い浮かんでしまった。
「んまい」
「喋る時はごっくんしてからな」
いかんイカン。それじゃあ竜華が宿無し飯無しの家出少女、もしくはホームレスになってしまうではないか。人様のお子さんに何て失礼な連想しているんだ俺は。
「慶爺、ごちそうさま」
傾奇者かな?
呼ばれるあだ名は結構あるが、初めて言われた。おま、これ一歩間違えれば大惨事だからな。
慶爺……慶自慰なんて只のいじめだからな。呼んでもいいが、ちゃんとイントネーションは整えろよ? あ、整いました。
傾奇者と掛けまして、俺の自慰と解く。その心は――
前だけ弄ろうとします。お後がよろしいようで。
いや、何もよろしくない。ただ賢者タイムに入っただけじゃねーか。やっぱ却下だ、却下。
「自……爺じゃなくてお兄さんな? ほら呼んでみ?」
「えー……」
俺がそう言うと、竜華は見るからに嫌そうな顔をしていた。
えぇ……そんなに嫌なの……? それとも俺ってそんなに老けて見えてんの? これでもまだ二十歳なんだけど。
「でもお世話になってるし……仕方ないなぁ――史郎お兄さん、ありがと」
んんっ、と喉を鳴らした後、竜華は照れたように笑ってそう言う。
いや、何で俺がわがまま言ってるようになってんの? そう思ったがそれは一瞬のことだった。
竜華の向けてきた笑顔に魅入ってしまったからだ。
それはあまりにも儚げで、それでいて触れてしまえば壊れそうなくらい繊細さを感じるものだったが、それでも確かな美しさがそこには存在していた。
ルフが浮かべる、向日葵のような元気いっぱいの可愛い笑顔も良いが、竜華という少女が見せる、初々しい乙女の笑みもまた良い。
結論、やっぱアルビノすんごい。そして、皆違って、皆良い。こうして俺はロリコンという沼にもう片方の足を踏み入れるのであった。
――って、違う違うチガウ。俺はまだロリコンじゃない。
「? どうしたの、史郎お兄さん」
俺が心の闇と闘っていると、竜華がきょとんしてそう聞いてくる。
「いや、何でもない……ちょっともう一回言ってみて」
いや、他意はないよ? たださっきもあった通り、イントネーションがちゃんと合ってるか確認するだけだからね? 一人で気持ち良くなってる訳じゃないからね?
「んー、史郎お兄さん?」
「もっかい」
「ん〜? 史郎お兄さん」
「ワンモアセイ」
「キモ、ちろうお兄さん」
ごめんなさい……。
しつこく言わせたせいで、竜華の機嫌が悪くなってしまった。
冷たい目つきでそうあしらわれ、竜華はフンッとそっぽを向いてしまう。
「ご、ごめんって」
「許して欲しい?」
流石にやり過ぎてしまったと感じ、俺はすぐさま謝った。
すると竜華は何か企んだようにニヤリとして、こう言った。
「じゃあ、明日も来てくれるなら許してあげる」
「え?」
何だそんなことか。何かもっと理不尽な要求されるかと思った。
そのことにホッと胸を撫でおろしていたのも束の間、フフンと鼻を鳴らしていた竜華が急におろおろとし始め、今にも泣きそうな表情へと変わっていった。
「……え? 嫌なの……?」
「ちょ、どうした⁉」
「だって、だって……慶爺が嫌だってッ!」
そこから竜華の目に涙が溜まり、それを零すのにそう時間は掛からなかった。
竜華は感情を爆発させたようにわんわん泣き始める。
すると、どういう訳か風が急に吹き荒ぶ。
それはまるで竜華の想いに呼応したような強い風で、それはまるで竜華を守るように渦を巻こうと――いや、そんな冷静に言ってる場合じゃねえーっ!
え? えっ? 何で⁉ またオレ何かやっちゃいました⁉
現状を把握出来ず、俺まで狼狽えてしまう。
と、と、とにかく、竜華に俺が思ったことを伝えなければ。
「お、落ち着け! 別に嫌じゃないって! 単にそんなことでいいのかって思っただけだからっ」
「グス……ほんと? 嘘じゃない?」
俺が必死にそう問いかけると、竜華は泣くのを止めてこちらを見る。
涙と鼻水で濡らしたその顔は、激しい豪雨に打たれた花のように弱々しく、少し腫れてしまったその目は、不安そうに俺を見つめている。
そんな竜華を安心させるため、俺は竜華の頭に手をポンと置いてこう言った。
「嘘じゃないから安心しろ。何なら毎日来てやってもいいぞ?」
「グス……嘘ついたら怒るからね? ……贄として食べるからね?」
何か最後の方にすんごい恐ろしい事が聞こえてきたんだが?
え、ってことは何、竜華は俺が持ってきたおにぎりをお供え物感覚で食べてたってこと?
ごめん、俺そんな信仰心持って接してなかったんだけど? ただ軽い気持ちで野良猫に餌をやる感覚で接してたんだけど?
けれどもそんなこと言い出せる雰囲気じゃなかった。
俺を見る竜華の目がまだ潤んでいたからだ。
「わ、わかった。ちゃんと毎日来るから。な? だからもう泣くな。約束出来るか?」
「な、泣いてないもん!」
竜華は強がったようにそう言うと、鼻を啜って、乱暴にグシグシと袖で目元を拭う。
そのせいでせっかくの綺麗な肌が赤みを帯びてゆく。
その姿があまりにも痛々しく映ってしまい、俺は居ても立ってもいられなくなって、ポケットからハンカチを取り出した。
「そんなにゴシゴシ拭いちゃダメだって、ほら」
「え、それ汚れ……ンププ――」
「心配すんな、ハンカチは持ち歩いてるが使った試しがない。もう、こんなにぐしゃぐしゃにして」
「プハッ。じゃあ、尚更それ汚れちゃうじゃん」
「ん? いいんだよ、ハンカチってそういうもんだろ?」
出来る限り優しく拭いてあげたつもりだが、どうだっただろうか。
竜華を見るに痛がってはいなさそうだけど。
「多分違うと思うけど……その、ありがと……」
竜華の顔が少し赤い。やっぱりアルビノのお肌はデリケートな美しさなのだろうか。
「大丈夫か? ヒリヒリしないか?」
「だ、大丈夫。大丈夫だから、ちょっと近い……あと、やっぱりちょっと臭う」
覗き込むようにそう問いかけた俺を、竜華はグイッと押し退ける。
そのお手手はすごく柔らかく、めっちゃすべすべのモチッモチで――じゃなくて。
昨日もそうだが、俺ってそ、そんな臭うのか……。あんまり言われたこと無いんだが……いや、だからこそ言われないのか。
それともルフといい、竜華といい子供にしか感じとれないフェロモン的な何かが出てんのか。
試しに脇に鼻を近づけて嗅いでみるが――うーん、自分じゃ分からんな。
「お、俺ってそんな臭うのか?」
「そうじゃなくて慶爺からはお――女の匂いがするの」
竜華は手を引っ込め、その橙の瞳でジッと俺を見据える。
揺らぐこと無く、ただ真っ直ぐに見つめるその目が、確信めいた何かを握っているように俺に語りかけてくる。
それが何なのかは分からない。でも、これだけは言わせて。
怖っ、これじゃあまるで俺が浮気か何かバレてしまった彼氏みたいになってるじゃねーか。
さっきの発言といい、少女がする言動じゃねーぞ。そもそもそんな関係じゃねーだろ。
最近の子供はこんなにもおマセなの⁉ 昨日のガキ共の方が希少な部類なの⁉
そういえば昨日、ルフにもおんなじ事言われたっけ。え、ルフもおマセなの?
「ねえ、どうなの?」
あ、はい、すみません……。
蛇に睨まれた蛙とはこういうことを言うのだろうか。
竜華は依然として、貫くような強烈な視線を俺に向けている。
クッ、こうなったら素直に話すしかないのか……。
いや、待て、よく考えろ。思えば俺にそんな相手はいないではないか。
何だよ、脅かしやがって。俺は無実じゃねーか、ハハハハッ! ハァ……
心の中で落ち込みながらも、俺は竜華にこう返した。
「そんな相手いねーよ。いるとすれば妹だな。竜華よりちょっと幼い、大事な妹だ」
やっぱり俺はルフさえいてくれれば、それでいい。他に女の人なんて……
――いやいや、何を迷っている。そこは男らしくきっぱりと言い切れよ。
いやだって、ね? ルフを性欲の対象としては見れないからね? ルフだけじゃなく、子供をそんな目で見たつもりはないからね? 時々、心の闇が自制心という枷を外して暴れ回ろうとしてるだけだから。
竜華は勝手に人を爺さん呼ばわりしてるけど、俺だってまだまだ若いんだからね。
「ふ〜ん……分かった、そういうことにしておいてあげる」
そうやって心の闇を押さえつけていると、竜華は渋々と言った感じで納得していた。
納得したのならこの話はお終いだ。これ以上は持たん。主に心が。
「さて、今日はもう帰るか。竜華も早く帰れよ、雨が降ってくる前にな」
俺は立ち上がり、けつをパンパンと払う。
視界に入る空は依然として重い雲が覆っている。
いつ雨が降ってきてもおかしくない。
おそらく子供達もそれを見越して外で遊ぶことを断念したのだろう。
そういえば、いつの間にかに風は止んでいた。竜華の感情が落ち着いたからだろうか。
――いやいや、そんなはずはない。
最近は竜巻とかあったし、昨日も風くらい吹いてたし、たまたまだろう。
ルフのような子が何人も居るなんて有り得ない――ある訳ないよね?
そのことが若干の引っかかりを残したが、今は深く考えないようにし、背負ったリュックと共に車へ戻ることにした。したのだが――
「竜華?」
「……もう行っちゃうの?」
踵を返す俺を止めるように、竜華は俺の腕を掴む。
振り向けば、そこには先程までの強烈な視線はない。あるのは不安そうにうるうると揺れる橙の瞳だった。
やめろよぉ……そんな目で見られたら放っておくこと出来なくなるじゃんかよぉ……。
まるで段ボールの中の猫のような竜華の姿をどう扱っていいか分からず困っていると、竜華は俺の意思を読んだのか掴んでいた手を離す。
「ごめん――えっと、その、あの……や、約束! 約束ちゃんと守ってね!」
「当たり前だ。竜華も泣かないって約束、守れよ?」
「な、泣いてないもん!」
「フフッ、分かった、そういうことにしてやるよ。じゃあ、また明日な」
「ゔぅ〜、いじわる。明日絶対来てよね!」
冗談めかしく俺はそう言ってから、右手をかざした。
すると竜華は、少しいじけたように唸っていたが、その柔らかいお手手で渋々といった風に反応してくれるのであった。
――けれどもその約束が果たされることはなかった。
昨日から続く曇り空が、俺達の交流を割くように雨を降らせている。
風がこれ以上近づくなと息を巻く。
今朝方から降り続くそれに感情を掻き乱されながらも仕事を終わらせ、今さっきこの場所へ来てみれば、そこに竜華の姿など見当たらなかった。
俺は竜華がいつも一人で座っている橋の下へと歩を進める。
そこは雨は凌げたが、風は無理だった。立ち去れと言わんばかりに吹き抜けてゆく冷えた息吹が、それを教えてくれる。
おそらく竜華もこの冷たい風と雨に耐え切れずに、立ち去ってしまったのだろう。
そう結論付け、ホッと胸を撫で下ろす。
こんな中、少女を待たせていると思ったら気が気じゃなかった。
俺のせいで風邪なんか引かれた日には溜まったもんじゃない。
何度も吹き抜ける風に、差していた傘を閉じる。
ふと、下に意識を向ければ、それまで濡れることを免れてきた地面が、俺の足跡と傘から滴り落ちた雫のせいで濡れていた。
まるで俺がちゃんと約束を守ったことを示す痕跡のように。
それとは別に、この場所に立ち寄ったことを示した、何者かの痕跡も発見した。
風が吹き抜けてゆくこの場所で光るそれに見覚えがあった。
待人が見つけやすいように派手な銀色で彩られた一枚の羽根を忘れもしなかった。
俺は探し求めていた奴の確証を手に取り、まじまじと眺める。
見た目は、そこら辺の道端に落ちたカラスの羽根と何ら変わりはない。
しかしながら、手に持てば何と言うか、ただならぬ何かを感じた。
神秘的な美しさを放ち、それでいて天をも支配するような圧倒的な力強さ。
こんな一欠片でもそう感じるなんて……あん時、よく平気な顔して股間の事を考えてたな俺。罰当たっても何も言えねーぞ。
いやそんなことより、これは思わぬ収穫だ。
あの竜の待人が誰かは知らないが、この雨と風だ。訪れることはないだろう。
俺は拾った竜の羽根をリュックにしまう。
これを見せつければ、課長や谷野さんに竜の存在を――いや、あの二人がこれだけで信じてくれるだろうか。
アルビノすんごいで終わったら何も言えなくなるぞ。
――その瞬間。
今までにないくらいの猛烈な風が吹いた。
俺のことなんて気にも止めることはない。
強烈な音を響かせ、ぶち当たる。
「痛ってぇぇーッ!?」
想像以上の衝撃に俺は顔を押さえ込み、叫んだ。
何とか踏ん張り、吹き飛ばされることなく耐えてみせたが、その代償があまりにも大き過ぎる……。
な、なんて風だ、今ここに竜華が居なくてほんと良かったぁ……。
俺でさえこんな状況だ、竜華のような少女が喰らったら、吹き飛ばされ、泣いてしまうに決まってる。
――いや、もしかしたら案外、平気な顔してたかもしれない。
最初に出会った時、あいつそこの斜面を転げ落ちていったくせに痛がるどころか腹減ったとか言ってケロッとしていたっけな。
え? そうなるともしかして、叫んだ俺はあの泣き虫少女以下ってことになるのか……? そう思ったら情けなくて泣けてきた……。
不甲斐なくそう嘆く間も、容赦ない強風が俺を襲う。
あと何撃か喰らえば、確実に俺のメンタルは薄っぺらい紙切れの如く吹き飛ばされるに違いない。
そんな姿を竜華に見られてみろ。きっと幻滅するに決まっている。せっかくやっぱり良い人だって言ってくれたのに!
――ん? そういえば何でやっぱりなんて言っていたのだろう。竜華に出会ったのはあの日が初めてだったのに。
知らない間に何処かで出会っていたのだろうか――いやいや、あんな珍しい格好の少女だぞ、忘れる筈がない。
頭に疑問を浮かばせながらも俺は車に戻る。
差した傘が煽られ飛ばされそうになるが何とか手放さずに繋ぎ止める。
その帰り道の途中で一人の少年に声を掛けられた。
「あ。あの時のお兄さん」
少年は俺のことを知っている素振りだったが、まるで覚えがない。
何とか思い出そうとしていると少年は続けてこう言った。
「あいつまたあそこに居たの?」
「あいつ?」
そう聞き返すと、少年はこう答える。
「ほら一昨日、河川敷で遊んでいた時にお兄さんと一緒に居た女子だよ」
どうやらこの少年はあの時河川敷で遊んでいたガキ共の一人だったようだ、覚えてないのも納得だ。
そんな少年が野次馬根性の如く訊ねてきた。
「ねえねえ、どうなの?」
「何だ、竜華が気になるのか?」
「そそそ、そんなんじゃねーし⁉ ただ、竜巻があった次の日からずっとあそこに居るから何してんだって思っただけだし!」
「ずっと?」
「そうだよ。それから何か白い羽根いっぱい落ちてたから何か災い起こるんじゃないかってばーちゃん達が言ってたから心配になった訳じゃねーし! そ、それに……」
「それに?」
「べべ、別にかわいいなんて思ってねーし! 好きなんて有り得ねーしッ‼」
「お、おう……」
何かすんごいぺらぺら喋り出しやがった。こっちは少しからかってやろうと思っただけなのに。
少年は顔を真っ赤にしてしどろもどろといった感じでそう否定していた。全く否定出来ていなかったけど。
しかしながら竜華の情報を知り得たのは大きい。そのおかげで俺の中で一つの仮説が思い浮かんだ。
この世界では絶対に有り得ない。けど、ルフや竜華の世界なら有り得るかもしれない一つの仮説が。
「安心しろ。流石に今日は居ねーよ。こんな天気じゃ外で遊ぼうなんて思わないだろ?」
「うん」
「それと君も早く帰れよ、じゃないとお母さんに叱られるぞ。それに――」
俺は少年が知りたがっていることを教え、急いで帰るよう促した。
「それに?」
「――竜が出るかもしれないからな」
そう言った俺を、少年は呆気にとられたような顔をして見つめる。
何を言ってるんだこいつは……そう言いたそうにしているが、口より先に顔が物語っていた。
俺はそんな少年にもう一度、「早く帰れよ」と伝えると歩き出すのであった。
慶爺→KG
慶自慰→ケイジイ
的な?




