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退治

 課長が電話越しに何か言っていた気がするが、今はそれどころではない。


 み、見間違いじゃないよな、アレ……。

 俺は目を擦っては、橋の前に現れたそれを何度も確認した。


 蛇のような体に短い手足。

 それを被うのは白? いや銀? 色に輝く鱗。鳥のような翼は空を駆ける双脚だろう。そして、髭、角――


 見れば見るほど空想上の――いや、既にそれは空想上のものではなくなっていたのかもしれない。じゃないとこんなクソ田舎に居るはずがない。


 それでも……はぇー、初めて見た……。

 だけど何か……思ってたのと違う。


 俺の想像ではもっとこう、バカデカいものを頭に描いていた。

 言うなれば、神話とかにも出てくる大蛇(オロチ)のようなものとか。


 だが現実はアナコンダであった。じゃあ、俺の想像をアナコンダだと仮定すると――あれはアオダイショウくらいか。

 ならアオダイショウならば? 何だろ、カナヘビとか? 最早、蛇ですらない。ならばならば――


 ええいっ、止めだ、止め! ややこしい! 何でマトリョーシカみたいにどんどん小っこくなってゆくんだ!

 ただそれだけ目の前に映ったトラウマは、俺の想像と程遠い。


 だとすると――まさか⁉

 俺はふと、ルフが言った言葉を思い出した。


 フ、フハハハハッ! 親父〜? アンタが倒してぶら下げているそれは随分と可愛らしいんだな〜?

 何なら俺のより――違う、俺のはただの亀さんだった……。


 だ、だがしかし、俺はある一つの仮説を思いつく。

 それは、例え亀さんであっても、見る者によっては大蛇に成り得るのではないかと。


 これは俺がまだ小っちゃい頃、親父に連れられて行った銭湯での話だ。

 そこには様々な姿型の大蛇が蠢いていた。その光景を幼ながらに八岐大蛇と勘違いだってしていた。


 しかし今思い返せばどれもこれも亀さんに変わりなかった。

 記憶に辿る限り大蛇なんてどこにもいなかった。

 何故俺は見間違えていたのだろうか。


 子供だったってこともある。しかし! 一番はやはり、堂々としていることが大切なのではないか。

 例え亀さんであっても、堂々とぶら下げていればそれはもう八岐大蛇――


 いや、俺は何を言ってんだ。

 どんだけ堂々とぶら下げていても八岐大蛇なんて存在しない。存在するのはお股のモロちんだ。

 そんなことで現実逃避しているくらいなら、どうやってこの状況を打破出来るか考えろ。


 俺は目を瞑って頭をブンブンと振り、想像した大蛇を斬り伏せる。どうだ参ったか! これが清剣、臭カリの――違う、草薙剣だった。こんな何も切ったことのない剣を献上するわけにいかない。


 大蛇を退治した俺は目を開き、改めて現実の竜と対峙する。現実の竜ってのがすごい現実逃避感あるけど、そこに居るんだから仕方ない。


 それにしても、すぐそこに竜がいるというのによく落ち着いていられるな。そんなメンタル強かったっけ俺。

 いや、そんなことはない。じゃないと、課長の前であんなダラダラと汁を掻かない。もし俺のメンタルが強かったならば、それは必然的に竜より課長の方が怖いということになる――いや、意外と有り得るのが怖いな……


 そ、それはさておき、おそらくだが俺がここまで落ち着いていられるのはきっとルフのおかげだろう。こっちは既に鬼と一緒に暮らしているんだ、今更竜が出てきたところで驚きはしない。いや、驚きはしたが狼狽する程ではなかった。


 俺はそう結論付け、竜の動向に目を凝らす。

 しかし、竜は微動だにしない。

 まるでその先を護るようにただずっとそこに佇んでいた。


 護る? 何、俺が知らぬ間にこの先にダンジョンでも出来たの? レベルの低い者が入れないようにでもなったの?

 俺が知る限り、この先にあるのは会社とかくらいしかないぞ。ダンジョンと言うにはあまりにもアットホーム過ぎない?


 とは言え、俺はこの道を通らなければならない。例えダンジョンが出来ていようがいまいが。

 ならばやることは一つ。俺はスマホを操作して、ある事を調べる。


 ダンジョン 竜 倒し方――


 ダメだ、ゲームの攻略と検索ワードに関する小説しか出てこねぇ……。あ、これ面白そう、後で読もう。

 いや、そんな悠長なこと言ってる場合じゃない。


 ――瞬間。


「うおっ、何だ⁉」


 竜が吼える。その咆哮と共に突風が俺の車に直撃した。


 ヤバイヤバイ。風ってレベルじゃねーぞこれ。

 ガタガタと俺の車が息吹によって揺らされる。


 俺はスマホを助手席へ投げ捨て、両手でハンドルを強く握り締めると、体を屈めて衝撃に備える。

 車ごと吹き飛ばされては意味ないが、その時はエアバッグが開いてくれることを願う。


 しかし、俺の心配は杞憂に終わった。

 強風が止み、俺は顔を上げる。

 車は吹き飛ばされることなく、元居た位置で止まっている。天地もひっくり返っていない。ただ――


「あ、あれ?」


 俺は目を擦っては何度も確認した。さっきまで居たはずの竜の存在を。





 出社時間の一時間遅れで会社に着く。

 その足ですぐさま課長のもとへ向かうと、俺は深く頭を下げて謝罪した。


 その猛禽類の目が俺を見据えている。

 怒られることを覚悟しながら課長のお言葉を待っていたが、結論から言うと怒られることはなかった。寧ろ、心配された。特に頭を。


 ま、まあ、竜が現れたから遅刻するだなんて言われた課長の身になればそれも当然だろう。俺でも正気を疑う。

 それでも怒らないってのは課長の懐が深いからであろう。ほんとにこの人には頭が上がらない。

 ただ……頭を上げた時に見た課長の目を、俺は多分生涯忘れることはないと思う。あの眼光はヤバかった……あれは正に大蛇をも狩る鷹……


 その後は、全身全霊をかける思いで仕事に打ち込んだ。そして今は丁度、午前の業務終了の鐘が鳴ったところだった。

 流石に午前中から飛ばし過ぎた、クッソ疲れたぁ……。

 けども、そうは言ってられない。脳裏に焼き付いたあの目が俺を監視していると思うと――中からも外からも見張られていると思うと、体が感覚を忘れて勝手に動く。この時点で竜より課長の方が怖いという俺の仮説は既に当たっている。


 それでも、昼休みくらいは休ませて。午後を乗り切るためにも今だけはグッタリさせて。

 もうリュックをデスクに上げるのもめんどくさい。

 俺は足元に置いてあるリュックの中に手を突っ込み、その中を弄る。

 手がお目当ての弁当を掴んだ時、谷野さんが俺を呼んだ。


「なあ慶、何か食いに行かないか?」

「え? 俺弁当っすよ。っていうか谷野さんもいつも弁当じゃないっすか?」

「奥さん、休み。愛衣、給食。これが導き出す解は?」

「――あぁ。なるほど」

「もちろん慶の分出すからさ、な?」


 谷野さんはそう言って、手を合わせてお願いのポーズをしてくる。

 クソッ、イケメンは何やっても様になるのが腹が立つ。このまま断ってやりたい。

 いやしかし、今日の俺は遅刻者、それも頭を心配される程の遅刻者だ。上司のお願いを無碍にするのは気が引ける。クソッ……。


「分かりました。奢って下さいよ?」

「そりゃもちろん。サンキュー慶。さ、行こうぜ」


 俺はお願いを聞き入れると、そのまま谷野さんに肩を組まれ連れられた。


 行き先は会社のすぐ近くにある定食屋だった。

 たまたま運が良かったのか、それともいつもこんな感じなのか、店に入ると直ぐに席へと案内される。

 この時間帯に外食をすることがないのでよく分からないが、前者であって欲しい。そう思っていると、谷野さんがテーブルに置かれたメニュー表を渡してきた。


「決まった?」

「あ、はい」


 しばらく眺めていると、谷野がそう聞いてくる。

 多分、谷野さんは何回か来たことがあるのだろう。それを見ないまま呼び出しボタンを押した。

 店員はすぐに来てオーダーを取ってくれる。

 俺が選んだのは偶然にも谷野さんと一緒の生姜焼き定食だった。


 料理が来るのを待っていると、谷野さんが口を開いた。


「それにしても慶、今度はもっとマシな理由で遅刻しような? 他の人には寝坊で通したが、俺も流石に困惑したぞ。花ちゃんが電話持って竜がどうとか言い出したからさ」

「……そうっすね……」

「それに慶が全然来ないから、花ちゃん心配してたぞ。終いには俺に竜って本当に居るんですか? って聞きにきたくらいだ。こっちが聞きたいくらいだっつーの」


 谷野さんがそう言って、ハハハッと笑う。

 いやー、俺は嘘を付いたつもりもないし、竜は本当に居ましたよ。


 なんて言えたならどれだけ楽なものか。

 いやいや、せっかく課長や谷野さんが気を使ってくれたんだ。このまま寝坊ってことにして、寝ぼけてましたでいいじゃないか。

 それに本当は実在なんてしていなかったかもしれないし。


 あの後、風が止み終わると竜はその場所から姿を消した。

 まるで最初からそこに存在なんてしていなかったくらい、何の痕跡も残さずに。


 そう思いたいんだけど――あれは絶対に見間違いじゃないと思うだよなぁ。


「谷野さん――もし本当に竜が存在していたと言ったらどうします?」


 そんなことを考えていたからか、俺は谷野さんにそう聞いていた。

 それまで笑っていた谷野さんの顔が徐々に険しくなる。そして、何か考えるように目を閉じてしまった。


「なあ、慶」


 考えが纏まったのか谷野さんはふぅっと一つ息を吐き出す。

 眉間に寄った皺は和らぎ、ゆっくりとその目を開く。

 俺を見据えた目は何処か優しく、まるで親が子供を見守るような目をしていた。


「実はな、愛衣もたまにそういうこと言うんだ。多分慶も愛衣と同じように純粋な心を持ってるから、そういったこの世のものではないものを見てしまうのだろう。子供ってのはそういうもんらしい。今度、一緒にお祓い行ってやろうか?」


 あ、違う。

 これはいつも俺が谷野さんに向けている可哀想なものを見る目だ。

 谷野さんは多分、俺が何かに取り憑かれていると勘違いしている。


 そんなことはない。俺は取り憑かれてなど――いや、今考えれば取り憑かれるどころか、この世のものではないものと既に一緒に住んでたわ、うん。でも俺の妹だしノーカンってことにしておこ。


「いや、それだと俺が小学生ってことになっちまうじゃねーすか」

「そうとも言う」

「酷っ!」


 そう言うと、谷野さんはまた笑う。

 ったく、こっちは真剣に問い掛けたというのに、何ちゅー返しだチクショー。


「お、やっといつもの慶に戻ったな」


 一頻り笑い終わった後、谷野さんがそう言った。そしてこう続ける。


「別に遅刻したからってあんな必死にやんなくていんだよ。慶がいつも真面目にやってるのは皆知ってる。だからいつも通りでやってくれ。そうじゃないと俺がつまらん」

「――そうやってサボる気っすか」

「ハハハッ、そう言ってくれるな。お、きたきた」


 注文した料理が運ばれてきた。

 周りを見渡せば、いつの間にかほぼ満席になっている。

 やっぱり昼時に飯屋が混まないわけないよな。いやー良かった。


「じゃあ、すみません谷野さん。いただきます」


 俺は人の入りに内心でホッとしながらそう言って、食べ始めた。

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