↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/16

第9話 全部話すと言ったのに

 消えたままのテレビに、京介の姿が映っていた。


 廊下の向こうでは、沙耶が入った部屋の扉が閉まっている。物音はしなかった。眠れたのかどうかも、わからない。


 見られていた。


 その事実だけが、何度も頭に戻ってきた。


 認めたら、沙耶は出ていく。離婚したいと言った声は、聞いたことがないほど固かった。


 両親にも知られるのだろうか。どう説明すればいい。沙耶の母親に、何と言えばいい。


 スマートフォンには、結婚式の写真が残っていた。


 京介の腕に手を添え、沙耶が笑っている。


 なくしたくないと思った。


 だからこそ、今夜認めなければならなかったことを、京介はまだ後回しにした。


〈明日、話せる? 大事なこと〉


 真由へ送る。


 こういうときにまで、最初に頼ろうとする相手は妹だった。


     *


 翌日の夕方、実家の台所で二人は向かい合った。


「お母さんたち、買い物に行ってる。話って何?」


 真由がお茶を置いた。京介は湯飲みに手を伸ばさなかった。


「沙耶に、見られてた」


 真由の指が止まった。


「年末。お前の部屋で、二人でいたところ」


「……あのとき、起きてたの?」


「そう言ってる」


 翌朝の沙耶の顔が、真由の頭に浮かんだ。


 食べられず、兄に触らないでと言った。自分が薬を持ってこようとすると、顔をそらした。


 全部、知っていたのだ。


「沙耶、何て?」


「離婚したいって」


 真由は口を押さえた。


「お兄ちゃん、謝った?」


「何もなかったって、言った」


 信じられず、手を下ろした。


「でも、私の部屋って言ったんでしょ?」


「どこまで見たか、わからないから」


 京介は真由を見なかった。


 何もなかったと言い張れば、沙耶は自分を疑うかもしれない。その期待が兄の言葉の中にあることを、真由は感じた。


 同時に、今まで自分も、見つからなければいいと思っていたことに気づいた。


「もう、やめよう」


「わかってる」


「前も、そう言ったじゃん。今度は本当にやめるからね」


「うん」


 真由は鞄からスマートフォンを出した。


「私も、沙耶に謝らなきゃ」


「待って。まず、俺から話す」


「また、何もないって言うの?」


「言わない。今夜、帰ったら全部話す」


 真由は兄の顔を見た。


「本当に?」


「うん。だから、お前からはまだ連絡しないで」


 画面には沙耶の名前があった。これまで何度も押した通話の印が、今は遠く感じられた。


 何と言えばいいのだろう。


 親友の夫と、しかも自分の兄と関係を続けていた。それを、どう謝ればいいのだろう。


「……わかった。ちゃんと話してよ」


 真由はスマートフォンを鞄へ戻した。


 兄を信じるという形で、自分もまた、沙耶へ向き合うのを先延ばしにした。


     *


 その夜、沙耶は食卓で京介に呼び止められた。


「沙耶」


「何」


 京介の前には、まだ湯気の立つ茶があった。彼は両手をその横に置き、何かを言おうとしていた。


「昨日の話?」


 沙耶は座り直した。


 今度は話してくれるのかもしれない。


 聞きたいとは思えなかった。聞けば、あの光景が事実だったと、夫の口から確かめることになる。


 それでも、聞かなければ進めない。


「……聞いてるよ」


 京介の視線が、沙耶の左手へ落ちた。


 指輪だった。


 沙耶は外せないままでいた。昨日と同じものを身につけているのに、昨日と同じ意味ではなくなっている。それを見るのもつらかったが、外す瞬間を迎えるのも怖かった。


 京介はゆっくり口を開いた。


「明日、仕事は?」


「休みだけど」


「そっか。ゆっくり休みなよ」


 沙耶は待った。


 その先の言葉を待った。


 京介は茶を持ち上げた。飲んで、置いた。それきりだった。


「……それを、言いたかったの?」


 返事はなかった。


 わずかに持ち直していた体の芯が、また沈んでいった。期待した自分を責めそうになり、沙耶は膝の上の手を握った。


 期待させたのは、私ではない。


「もう、寝る」


 呼び止める声を背中に聞きながら、席を立った。


     *


 翌朝、沙耶は便箋を出した。


 年末。客間に京介がいなかった。二階から声がした。真由の部屋で、二人を見た。


 一つずつ書く。


 思い出すと手が止まった。それでも、見たことと、あとから考えたことを分けて、短い言葉で残した。


 顔も声も、間違えるはずがない。


 便箋の横には、真由からの連絡が表示されていた。


〈大丈夫? 着いたら連絡してね〉


 まだ返していなかった。


 京介は話さない。このまま彼が話すのを待っていたら、何もなかったことにされてしまう。


 沙耶は新しい文章を打った。


〈京介のことで、二人で話したい。今日、うちに来られる?〉


 送信してから、便箋を押さえた。自分が書いた文字を、何度も目で追った。


 返事は、思ったより早かった。


〈午後、休みを取るね。二時ごろ行ってもいい?〉


〈うん。待ってる〉


 職場の休憩室でその返事を送った真由は、兄の言葉を思い出していた。


 今夜、帰ったら全部話す。


 だから沙耶に呼ばれたのだと思った。何から謝ればいいのか考えながら、午後の休みを申し出た。


 自宅で返事を読んだ沙耶には、その事情はわからなかった。


 真由まで、何もなかったと言ったら。


 その怖さだけが、指先を冷たくした。


 約束の時間が近づき、食卓に湯飲みを二つ並べた。菓子を出すか迷って、やめた。


 スマートフォンで録音の画面を開く。


 あとで、言っていないと言われたくなかった。自分の記憶を、自分だけで支え続けるのはもう苦しかった。


 開始の印に触れると、数字が動いた。


 録れている。大丈夫。


 画面を伏せたとき、玄関のチャイムが鳴った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

漫画版もお楽しみいただけます

漫画版『妹と不倫した夫の処刑日』表紙

妹と不倫した夫の処刑日
~実の妹と肉体関係を持った男の末路~

Kindle Unlimited対象作品
Kindle Unlimited会員の方は、追加料金なしでお読みいただけます。

漫画版をAmazonで読む


「夫たちの処刑日」シリーズ
こちらの完結済み作品もお楽しみください。

食い尽くし夫の処刑日~妻と娘の取り分まで奪った男の末路~
家族の取り分まで奪う夫に、妻が下した決断。

インスタ夫の処刑日 ~妻を悪者にして三十万人に愛された男の末路~
妻を悪者にして注目を集めた夫が、隠していた素顔。

イクメンの処刑日~妻と子どもを捨てた男の末路~
妻子を捨てた夫と、自分たちの明日を選ぶ母子の物語。

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。