CASE.9
御札を貼り替え、祭壇に火が入った。とうとうその時が来るのだと心が躍る。
大麻と呼ばれる白い紙がふさふさと付いた御祓の棒を左右に振り始めた。シャラシャラと紙の擦れる音が鳴り、霊媒師Yさんは祈祷を始める。助手のJさんは両手を合わせて霊媒師Yさんの祈祷に被せるようにブツブツと何かを唱えている。俺たちも誰に言われるでもなく両手を合わせて成り行きを見守った。唯一カメラマンだけは儀式を撮っている。
特に何でもなく時間だけが過ぎていくような気がする。霊験あらたかな御札の効力で封じ込めたはずの悪霊たちは完全に鳴りを潜め、下で見ていた半透明の人影は目の端にも映らない。
これが普通なのだろうか。もっと何かしらあると思っていたのだが、所詮はこんなものなんだろうか。
周りを見渡すように視線だけを動かすと、何かが弾けるような音が聞こえてくる。
──パチッ……パチッ……
一瞬火の中で薪が爆ぜた音かとも思ったが、すぐに違うことに気づいた。その音は明らかに俺の背後から聞こえている。
音に気づいたからか、急に俺たちの周りから人の気配が感じられた。よく怪談話とかに出てくる人の気配って何だよってずっと思ってたけど、理屈じゃないんだってこの時肌で感じた。
ふっとさっきまで見ることの出来なかった半透明のあいつらが周りを囲んでいることに気づく。今までどこに居たのかと思ったがきっと見えなかっただけだ。奴らはずっと側に居たんだ。
──パチッ……パチッ……パチッパチッパチッ
音の正体は悪霊たちによる裏拍手。俺たちを嘲笑うかのようにニヤニヤと笑っている。存在そのものが異様なのに、何を思っての裏拍手か。除霊を受け入れているのか、それとも失敗を確信しているのか、化け物の考えなんて俺には分からない。
祈祷の棒を振っていた霊媒師Yさんも棒を投げ捨てて両手を合わせている。声も歌うような祈祷から唸るような祈祷に移行し、最初の厳かな雰囲気とはまるで違う必死な空気に最終局面に入ったのだと察する。
じっとりと汗を掻き、疲れを感じる。全身に掛かる重圧が俺の体力を奪っていく。間延びしたような感覚の中、息が荒くなりながら下唇を噛み締め、ギロリと虚空を見つめる。これ以上はやめろという意思表示を見せつけるためにだ。
そして俺は後悔する。
そこには夜の闇をさらに濃くする黒い霧のような何かが漂い、仄暗い霧の底に人間の目が所狭しと並んでいるのが見えた。周りにはパチパチと弾ける裏拍手。
俺はここで最悪のアイデアが浮かぶ。周りの幽霊と目の前のこいつは違う存在だと。アレは地縛霊とか悪霊とかの類ではなく、もっと別の何かなのではないかと。
それに気づいた俺は特に我慢していたわけでもないのにその場で盛大に漏らした。体の力みが無くなるというか、全身が完全に弛緩したような感覚。本当の恐怖の意味をここで理解することになるとは思いもよらない。
全身が凍り付くような緊張と心臓を握られたような息苦しさ。これがいつまで続くのかと不安を感じてき始めたその時、急にふっと軽くなった。暗い夜の空に祭壇の火が目に痛い。
空気が軽くなったことに助手のJさんもカメラマンもADも気づいたようでキョロキョロと辺りを見渡す。霊媒師Yさんだけは集中し過ぎているのか、手に巻いた数珠をジャラジャラ慣らしながら両手を擦り合わせて延々と祈祷をしている。
「師匠っ! 悪霊は去りましたっ!」
助手Jさんの掛け声で霊媒師Yさんもようやく気づいたのか辺りを見渡し、おもむろに立ち上がると右手の人差し指と中指を合わせて祭壇に向かって指を差し、九字切りのように腕を振り回す。
「ええいっ! ええいっ!!」
最後の一声を入れて合掌し、儀式を終了させた。
みんなで祭壇を片付け、まったく気配がしなくなった建物をゆっくりと降っていく。4人全員が疲労し切っており、会話がなかった。声を出すのも億劫な状態で、多分俺以外も終わったことを噛み締めるので精一杯だったと後から思った。
「お疲れ〜っ。凄かったなぁおいっ」
編集長は嬉しそうに迎え入れてくれた。あの状況を肌で感じていないというのに何がそんなに嬉しいのか聞くと、下からでも除霊の状況が何故だか分かったそうだ。最初は編集長の霊感を疑ったが、映像に撮ってあるとのことで見せてもらった。
映像には祭壇の火の光の他にぼんやりと赤黒い半透明の何かが蠢いている映像が記録されていた。しばらくそのままの映像が続いたかと思うと、蠢く何かの動きがだんだんと広く大きくなっていく。最後にパァッという音が似合いそうなほどの勢いで赤い光の筋が四方八方に発射された。花火のようにも見える様相に下から見ていたテレビクルーたちと編集長の感嘆の声が聞こえてくる。その後は特に何かあったわけでもなく静まり返り、建物から俺たちが出てくる様子が映っていた。
「本当に凄いなこれはっ! こんな映像が撮れるんなら今後とも是非一緒に仕事がしたいっ!」
成功報酬も期待できる取り高多めの映像に同行していたプロデューサーも大変喜んでいた。
死ぬかと思った儀式を何とか乗り越え、俺たちは近くの大衆酒場に集う。落ち目のグラドルはとっとと帰ってしまったが、今は性欲など取っ払って勝利の美酒に酔うためビールを片手に乾杯の音頭をとった。




