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世界地図の余白 ~前世ではどこにも行けなかった俺は、異世界のすべてを見て回る~  作者: みき


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2/12

第2話 道を測る

 世界地図を見た次の日から、俺は父の仕事が気になって仕方がなくなった。


 それまでも、父が村の役場で何をしているのかは何となく知っていた。畑の広さを調べたり、橋がこわれていないか見たり、村長に言われて書類を書いたりする仕事だ。


 けれど、昨日まではそれだけだった。


 今は、父の机に広げられていた地図の線一本一本を、誰かが実際に歩いて調べたのだと思うだけで、まるで違うものに見えた。


「父さん」


 朝食を食べながら声をかけると、父はパンを口に入れたまま俺を見る。


「ん?」


「今日も道を測りに行く?」


「ああ。昨日の続きだな」


「俺も行きたい」


 父の動きが止まった。


「遊びじゃないぞ?」


「分かってる」


「けっこう歩くぞ」


「歩ける」


 向かいに座っていた母のエマが、小さく笑った。


「連れていってあげたら? この子、昨日から地図の話ばかりしているもの」


 父はしばらく考えてから、仕方なさそうにうなずいた。


「分かった。今日は助手が一人増えたと思うことにするか」


「助手?」


「荷物持ちとも言う」


「それはずるくない?」


「仕事っていうのは、そんなものだ」


 こうして俺は、初めて父の仕事についていくことになった。



 ◇



 村の西側には畑が広がっている。


 麦畑の間を細い道が走り、その先には低い森がある。数日前に強い雨が降ったため、道の横にはまだ水たまりが残っていた。


 父が持ってきた道具は、長い縄、木のくい、小さな板、炭の筆、それから手のひらほどの丸い道具だった。


「それ、何?」


 俺が丸い道具を指さすと、父はふたを開けて見せてくれた。


 中には細い針が一本入っている。


「方角を見る道具だよ。ほら、こっちが北だ」


 父が道具を水平にすると、針がゆっくり動いて一つの向きで止まった。


 前の世界でいう方位磁針に近いものらしい。


「まず、昨日ここに印をつけた」


 父は道のわきに立っている木のくいを指さした。


「ここから向こうのくいまで、縄を張る」


 縄には同じ間かくで小さな結び目が作ってある。


 父が片方を木のくいに結び、俺が反対側を持って道を歩いた。


「もっと右だ、ユアン」


「こっち?」


「そう。そこで止まれ」


 俺が立ち止まると、父は縄の結び目を数えた。


「二十七と半分」


 そして小さな板に数字を書く。


「これだけ?」


「これだけだ」


「道の長さを測ってるの?」


「そうだ」


「でも、まっすぐじゃないよ」


「よく見てるな」


 父は少しうれしそうに笑った。


 道はゆるく曲がっている。


「曲がってるなら、分ける。ここまで測って、次は向きを変えてまた測る。それを何度もくり返すんだ」


 言われてみれば簡単だった。


 けれど、実際にやってみると面白い。


 道をいくつもの短い線に分ける。


 どちらへ曲がったかを記録する。


 どれくらい進んだかを測る。


 そうして最後に紙の上でつなぐと、一本の道になる。


 昨日までなら、目の前の畑も森も、ただの景色だった。


 でも今日は違う。


 ここからあそこまで、どれくらいあるのだろう。


 あの道はどのくらい曲がっているのだろう。


 森は村からどちらの方向にあるのだろう。


 そんなことばかり考えてしまう。



 ◇



 昼前になるころには、少し足が疲れてきた。


 父が言っていた通り、道を測る仕事は思ったより歩く。


 止まる。縄を張る。数字を読む。向きを見る。板に書く。また歩く。


 同じことを何度もくり返す。


 はっきり言って地味な仕事だ。


 魔物と戦うわけでもなければ、大きな魔法を使うわけでもない。


 それでも、俺は退屈しなかった。


「変な子だな、お前は」


 休けいのために木の下へ座ると、父が言った。


「何が?」


「普通の七歳なら、とっくに帰りたいって言ってるころだ」


「面白いよ」


「縄を持って歩くのが?」


「うん」


 父は笑いながら水を飲んだ。


 俺も水筒を受け取る。


「父さんは、村のこと全部分かる?」


「全部は無理だ」


「でも地図があるんでしょ?」


 父は少し考えてから答えた。


「地図があっても、全部が分かるわけじゃないさ」


「どうして?」


 父は目の前の畑を指さした。


「あそこの畑は、地図なら四角い線だけだ。でも実際には春に花が咲くし、夏には虫が増える。去年は雨が少なくて、作物があまり育たなかった。そういうことまでは普通の地図には書かない」


 俺は畑を見る。


 確かに紙の上では、畑はただの形だった。


「地図って、全部を書くものじゃないの?」


「全部なんて書いたら、何が大事なのか分からなくなるだろ?」


 その言葉に少し驚いた。


 昨日、世界地図の大きな白い場所を見たばかりだったからだ。


「じゃあ、何を書くの?」


「その地図を使う人に必要なものだな。畑を調べるなら畑。道を直すなら道。旅をするなら、町や川や山を書く」


「世界地図なら?」


 父は一瞬だけ考えた。


「さあな。俺には大きすぎる話だ」


 そう言って立ち上がる。


 けれど俺は、しばらくその言葉を考えていた。


 世界地図には何を書けばいいのだろう。


 国。山。川。町。海。


 それだけで、本当に世界を描いたことになるのだろうか。


 七歳の俺には、まだ答えは分からなかった。



 ◇



 休けいのあと、俺たちは森に近い道まで進んだ。


 そこで俺は、何となく違和感を覚えた。


「父さん」


「どうした?」


「この道、さっき板に書いた向きと少し違わない?」


 父が足を止めた。


「どこが?」


「三つ前のくいから、ずっと少しずつ左に曲がってる」


 俺は歩いてきた道を指さした。


 父は道と板を見比べてから、もう一度方角を見る道具を取り出した。


「……本当だな」


「間違えた?」


「俺がな」


 父は頭をかいた。


「二つ前のところで向きを書き間違えてる。よく気づいたな」


「見てたから」


 自分でもうまく説明できなかった。


 前の人生でも、一度見た地図の形を覚えるのは得意だった。駅から店までの道も、一度見ればだいたい覚えられた。


 ただ、それを特別なことだと思ったことはない。


 父は板の数字を書き直す。


「助かったよ、助手」


「荷物持ちじゃなかったの?」


「今日から少しだけ出世だ」


 父が笑う。


 俺も笑った。



 ◇



 夕方。


 家へ帰る前に役場へ寄ると、父は今日書いた数字を一枚の紙に写し始めた。


 点を打つ。


 線を引く。


 長さを合わせる。


 向きを直す。


 昼間、俺たちが歩いた道が少しずつ紙の上へ現れていく。


「あ」


 思わず声が出た。


 ここは、俺がくいを持っていた場所だ。


 ここは休けいした木の近く。


 ここを曲がった先に森がある。


 ただの線なのに、その場所の景色まで思い出せた。


「すごい」


「何が?」


「今日歩いたところが、そのまま紙の中にある」


 父は手を止めた。


「まあ、それが地図だからな」


 当たり前のことなのだろう。


 でも俺にとっては違った。


 昨日見た世界地図。


 そこに引かれた無数の線。


 あの一本一本にも、今日のような時間があったのだ。


 誰かが歩いた。


 誰かが測った。


 誰かが見た。


 そして紙へ残した。


 そう考えると、あの巨大な世界地図が昨日よりずっと大きなものに思えた。


「父さん」


「ん?」


「俺も地図を書いてみたい」


「何の地図だ?」


 世界地図を作りたい。


 昨日なら、そう答えたかもしれない。


 でも今日は、その前にやってみたいことができていた。


「この村」


「リデル村を?」


「うん。自分で歩いて、自分で書いてみたい」


 父はしばらく俺を見たあと、机の引き出しから小さな紙の束と炭の筆を取り出した。


「なら、まずは家のまわりからだな」


 差し出された紙を、俺は両手で受け取った。


 何も書かれていない、真っ白な紙だった。


 昨日見た世界地図の余白とは違う。


 この白い場所には、俺が知っているものがたくさんある。


 家がある。


 道がある。


 川がある。


 父と母がいる。


 村のみんながいる。


 それを、今度は俺が紙の上に残す。


 俺が初めて地図を作ることになったのは、その日のことだった。

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