表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界地図の余白 ~前世ではどこにも行けなかった俺は、異世界のすべてを見て回る~  作者: みき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/13

第10話 古い記録

 ハンスから「古道の先に昔は村があった」と聞いてから、俺はそのことが気になって仕方がなかった。


 名前は分からない。


 場所も正確には分からない。


 ただ、墓地の先にある古道を抜けたところに、小さな村があったらしい。


 普通なら、それだけの話だ。


 何十年も前なら、村がなくなっていてもおかしくはない。人が減って別の土地へ移ったのかもしれないし、火事や病気で住めなくなった可能性もある。


 それでも、引っかかる。


 古道は、昔の地図にはあった。


 今の地図にはない。


 そして、その道の先にあったはずの村の名前を、ハンスは思い出せなかった。


 ただの偶然なのか。


 確かめる方法がないまま考えていても仕方がない。


 だから俺は、父に聞いてみることにした。


「父さん。役場に、昔の村の名前が分かる本ってある?」


 夕食のあと、俺がそう聞くと、父はパンをちぎる手を止めた。


「昔の村?」


「古道の先にあった村」


「またその話か」


「ハンスさんが、昔そこに泊まったって」


「そう言ってたのか?」


「うん。でも名前を忘れてた」


 父は少し考えた。


「古い名簿ならあるかもしれないな」


「名簿?」


「村や町から、王国へ税を送るための記録だ。人が住んでいれば、何かしら残ってる可能性はある」


「見たい」


「簡単に言うなあ」


「駄目?」


「駄目じゃないが、古い書類は扱いが面倒なんだよ。紙も弱ってるし、字も今と少し違う」


「読む」


「読めるかどうかの話じゃないんだが……」


 父は困った顔をした。


 向かいで聞いていた母が笑う。


「ロイ。この子、止めたって明日また聞くわよ」


「分かってるよ」


 父はため息をついた。


「明日の仕事が早く終わったら、少しだけ探してみる」


「本当?」


「ああ。ただし、勝手に棚を触るなよ」


「分かった」


「前もそう言って森で離れたけどな」


「まだ言うの?」


「まだ言う」


 母が笑い、リアも意味が分からないまま一緒に笑った。



     ◇



 次の日の夕方。


 父の仕事が終わるころを見計らって役場へ行くと、父は奥の棚の前で腕を組んでいた。


「これか?」


 床には、古い箱が三つ並んでいる。


「こんなにあるの?」


「何十年分だと思ってる」


 箱のふたを開けると、中には色の変わった紙が束になって入っていた。新しい紙とは違い、端が波打っていたり、小さな穴が開いていたりする。


「触るなら、端を持つなよ」


「どうして?」


「破れるからだ。下から持て」


 言われた通り、両手でそっと一枚持ち上げる。


 文字は読める。


 ただ、父が言っていた通り、少し形が違う字も多かった。


「これ、何年前?」


「三十二年前だな」


「ハンスさんが若いころより新しい?」


「もっと古い方がいいかもな」


 父が別の束を取り出す。


「こっちは五十年くらい前」


 紙を広げる。


 村の名前が縦に並んでいた。


 リデル。


 ベルク。


 聞いたことのない名前。


 また別の名前。


 その横には数字が書かれている。


「この数字は?」


「家の数と、税を出した量だ」


「じゃあ、ここに村があれば名前がある?」


「普通ならな」


 俺は一つずつ目で追った。


 知らない名前ばかりだ。


 父が指で場所をたどりながら、周辺の村だけを選んでくれる。


「このあたりが、今も残ってる村だ」


「これは?」


「今はベルクにまとめられた集落だな」


「じゃあ、なくなった村もあるんだ」


「そりゃあるさ。人が減れば、近くの村と一緒になることもある」


 俺は少し安心した。


 村が地図から消えること自体は、特別ではない。


 名前がなくなっても、理由はある。


「古道の先は?」


「位置まで書いてないから、これだけじゃ分からんな」


「地図は?」


「税の名簿とは別だ」


 父が別の箱を探す。


 しばらくして、細長い紙の束を取り出した。


「古い道の記録なら、こっちかもしれない」


 広げると、地図というより道順を書いたものだった。


 リデル村から北へ。


 墓地。


 古道。


 森の外側。


 その先に、小さな丸が一つある。


「あった」


 俺は思わず声を上げた。


 丸の横には、文字がある。


「……ネ、ル?」


「ネルカ、だな」


 父が読んだ。


「ネルカ村?」


「ああ。そう書いてある」


 俺は急いで、自分の紙へ名前を書いた。


 ――ネルカ村。


 これで、名前の分からない村ではなくなった。


「ハンスさんが言ってた村かな」


「場所は合いそうだな」


「今はないの?」


「聞いたことない」


「いつなくなった?」


「そこまでは分からんな」


 父は別の記録を探した。


 三十年前。


 ネルカ村の名前がある。


 二十五年前。


 ある。


 二十年前。


 そこにもある。


「じゃあ、けっこう最近まであったんだ」


「そうなるな」


「次は?」


 父が十八年前の記録を開く。


 俺たちは二人で紙を見る。


「……ない」


 ネルカ村がない。


「十七年前は?」


「ない」


「十九年前」


「ある」


 俺は数字を見比べた。


「十九年前にはあって、十八年前にはない」


「そうだな」


「一年でなくなった?」


「村がなくなるなら、それくらいのこともあるかもしれない」


「でも、何があったの?」


「だから分からん」


 父は少し困ったように言った。


「火事とか?」


「記録があればな」


「病気?」


「それも可能性はある」


「人が引っ越した?」


「十分ありえる」


 どれもありそうだった。


 なのに、父の声には自信がなかった。



     ◇



「他に記録ない?」


 俺が聞くと、父は棚の上を見た。


「村がなくなるようなことがあれば、役場の報告に残ってるかもしれない」


 今度は分厚い紙の束を出す。


 一年ごとの出来事。


 橋の修理。


 畑の境。


 川の氾らん。


 家畜の病気。


 村同士のもめごと。


 地味なことが延々と書かれていた。


 俺は十八年前のあたりを探す。


「ネルカ……ネルカ……」


 名前がない。


 十九年前も見る。


 あった。


 税の荷を受け取った記録。


 その前にもある。


 でも十八年前になると、急に何もなくなる。


「変だね」


「何が?」


「なくなったなら、なくなったって書くんじゃないの?」


「普通はな」


「じゃあ、なんで何もないの?」


 父は答えなかった。


 紙を何枚かめくる。


 それでも、ネルカ村についての記録は出てこなかった。


「もしかして、別の役場に移ったとか?」


「それなら、その記録があるはずだ」


「じゃあ……」


 俺は言葉を止めた。


 何か変だ。


 村がなくなったのに、その理由がない。


 税の記録からも消えている。


 道も今の地図から消えている。


 それなのに、昔はたしかにあった。


「父さん」


「ん?」


「ハンスさん以外に、ネルカ村を知ってる人いるかな」


「年寄りなら、いるかもしれないな」


「聞いてみたい」


「今日はもう遅い。明日にしろ」


「うん」


 俺は紙に書いたネルカ村の文字を見た。


 名前が分かっただけで、少し安心すると思っていた。


 でも逆だった。


 名前が分かったことで、その村が本当に存在していたことが、もっとはっきりしてしまった。



     ◇



 次の日。


 俺はハンスのところへ行った。


「ネルカ村」


 そう言うと、老人は眉を寄せた。


「何だ?」


「古道の先の村。名前、ネルカ村じゃない?」


 ハンスはしばらく黙った。


「ネルカ……」


 何度か口の中でつぶやく。


「そうだったか?」


「昔の記録に書いてあった」


「そうか」


「思い出した?」


 ハンスは首をかしげた。


「いや」


「泊まったことあるんでしょ?」


「ああ。それは覚えてる」


「宿の主人の顔も?」


「覚えてる」


「なのに村の名前だけ?」


「変だな」


 ハンス自身も不思議そうだった。


「ネルカ……ネルカか」


 何度言っても、思い出した様子はない。


「じゃあ、どんな村だった?」


「小さかった。家は二十軒くらいだったかな」


「川は?」


「近くに細い川があった」


「教会は?」


「なかったと思う」


「宿は?」


「あった。商人がたまに通る道だったからな」


「村の人は?」


「普通の連中だった」


「誰か名前覚えてる?」


 ハンスは目を閉じた。


「宿の主人……」


 少し間が空く。


「……なんだったかな」


 俺は黙った。


「前は顔を覚えてるって言ってたよね」


「ああ」


「名前は?」


「出てこん」


「ほかの人は?」


「……分からんな」


 ハンスは頭をかいた。


「歳を取るってのは嫌だな」


 笑っていた。


 でも俺は笑えなかった。


「ハンスさん」


「なんだ?」


「ネルカ村がなくなったこと、覚えてる?」


 老人の笑顔が止まった。


「なくなった?」


「今はないんでしょ?」


「そうなのか?」


「え?」


 今度は俺が聞き返した。


「何十年も行ってないから知らん」


「でも、もしなくなったなら、その話を聞かなかった?」


「さあな」


「近い村だったんでしょ?」


「そうだな」


「じゃあ……」


 言いかけて、やめた。


 ハンスは、本当に分からない顔をしていた。


 村へ行ったことは覚えている。


 泊まったことも覚えている。


 でも、名前は忘れている。


 そこにいた人の名前も出てこない。


 そして、その村がなくなったことさえ知らない。


 そんなことがあるのだろうか。



     ◇



 そのあと、村の年寄りを何人か訪ねた。


 ネルカ村。


 名前を聞いて、すぐに分かった人はいなかった。


「聞いたことあるような」


「昔、そんな場所があったかねえ」


「古道の先?」


 みんな、そんな反応だった。


 一人だけ、昔は東へ行く商人がいたと覚えている人がいた。


 でもネルカ村という名前は知らなかった。


 俺はだんだん不安になってきた。


 記録にはある。


 地図にもある。


 それなのに、人の記憶からだけ薄くなっている。


 まるで、雨にぬれた文字みたいに。



     ◇



 夕方、役場へ戻ると、父は昨日の古い地図をもう一度広げていた。


「何か分かった?」


「いや」


「俺も聞いてきた」


「どうだった?」


「誰もちゃんと覚えてなかった」


 父は少し難しい顔をした。


「まあ、二十年近く前に消えた村なら、そんなものかもしれない」


「父さんは本当にそう思う?」


 父が俺を見る。


「どういう意味だ?」


「古道も地図から消えてた。ネルカ村も今の地図にはない。なくなった理由も記録にない。それで、近くに住んでる人もほとんど覚えてない」


「……偶然が重なっただけかもしれん」


「うん」


 俺もそう思いたかった。


 というより、他の答えを知らない。


 父は昔の地図を丸めた。


「ユアン。こういうのを調べるのは悪くない。でも、何でも変な話に結びつけるなよ」


「変な話?」


「魔法で村が消えたとか、そういうことだ」


「まだ言ってないよ」


「顔に出てる」


「出てない」


「出てる」


 父は笑った。


 俺も少しだけ笑った。


 たしかに、考えすぎているのかもしれない。


「地図師なら分かるかな」


 何気なく言った。


「何が?」


「こういう古い地図とか、道がなくなることとか」


「俺よりは詳しいだろうな」


「この村に来ない?」


「地図師が?」


「うん」


「めったに来ないな」


 父はそう答えた。


「王国の測量で近くを通ることはあるかもしれないが、わざわざリデルまで来る理由もないだろ」


「そっか」


 少し残念だった。


 地図師なら、何か知っている気がした。


 地図から道が消えること。


 村が記録から急に消えること。


 昔そこに行った人が、名前を思い出せなくなること。


 俺には分からない。


 父にも分からない。


 なら、もっと地図を知っている人に聞いてみたい。


 そう思った。



     ◇



 それから三日後。


 昼過ぎに、村の南から一台の馬車がやってきた。


 行商人のものではない。


 荷物もほとんど積んでいない。


 馬車から降りてきたのは、一人の老人だった。


 白くなった髪。


 日に焼けた顔。


 使いこんだ長い外とう。


 そして右手には杖。


 左脚ではなく、右脚の動きが少しだけ不自然だった。


 老人は村の入口で辺りを見回したあと、役場の場所を聞いた。


 俺はたまたま広場にいた。


 そして老人の背中にあるものを見つけた。


 細長い筒。


 一つではない。


 三本。


 バルドが持っていたものより丈夫そうで、金具までついている。


 地図を入れる筒だ。


 俺は思わず老人のあとを追った。


 役場へ入ると、父が出迎える。


「何か御用ですか?」


 老人は杖を床につき、静かな声で答えた。


「古い道を探している」


 俺の足が止まった。


「この村の北に、昔使われていた道があるはずだ」


 父の顔つきが変わる。


「……古道のことですか?」


「そう呼ばれているのか」


 老人は少し笑った。


 そして背中から一本の筒を下ろす。


「五十年前の地図では、その道は東へ続いている」


 俺は思わず口を開いた。


「ネルカ村まで?」


 老人がこちらを見た。


 灰色の目だった。


「坊主」


「なに?」


「その名前を、どこで知った?」


「昔の記録」


 老人は少しだけ目を細めた。


「ほう」


 それから俺の手に持っている紙へ視線を落とす。


 昨日から書き足していた、自分用の地図だった。


「それは、お前が描いたのか?」


「うん」


「見せてみろ」


 俺は少し迷ってから、紙を渡した。


 老人は長い時間、何も言わずに地図を見た。


 道。


 水場。


 森。


 古道。


 そして途中で止まった線。


 ――道が見えなくなる。


 老人の指が、その文字の上で止まった。


「なるほど」


「何か分かる?」


 俺が聞くと、老人はすぐには答えなかった。


 代わりに、俺の地図を返しながら言った。


「名前は?」


「ユアン。ユアン・フェルナー」


「そうか、ユアン」


 老人は杖をつき直す。


「私はオルド・ハイン」


 父が息をのんだ。


「オルド・ハイン……まさか、王立測地師の?」


「昔の話だ」


 老人は面倒そうに答えた。


 俺には、その肩書きの重さがまだ分からなかった。


 ただ一つだけ分かったことがある。


 目の前にいる老人は、俺がずっと会ってみたいと思っていた人間だ。


 本物の地図師。


 しかも、古道を探しに来た。


「オルドさん」


「なんだ?」


「地図から道が消えることってある?」


 父が「ユアン」と止めようとした。


 でも老人は怒らなかった。


 俺を見たまま、少しだけ笑った。


「ある」


 その答えに、俺は何も言えなくなった。


「どうして?」


 やっと聞く。


 オルドは役場の壁にかかった地図へ目を向けた。


「それを知りたいなら、まず地図を信用しすぎないことだ」


「地図を?」


「ああ」


 老人は杖をつき、ゆっくり歩き出した。


「地図師が一番最初に疑うべきものは、自分の持っている地図だ」


 俺はその背中を見つめた。


 地図を作る人が、地図を疑えと言う。


 意味が分からなかった。


 でも、なぜかその言葉だけは、忘れてはいけない気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ