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悪女って誰のことですか? ~記憶喪失になったので真面目にお仕事していたら、何故か旦那様から溺愛されました~  作者: シロヒ


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第一章 7



 悲しみで赤く濡れた瞳を隠し、アイリーンはレベッカのあとを付いていく。

 奥まったところにある古い部屋に到着し、レベッカは持っていた灯りで室内の蝋燭に火を灯した。ぼんやりと照らし出された室内には小さなベッドだけが置かれており、普段使っていない部屋を無理やり客室に仕立て上げた感じが見て取れる。

 本当ならすぐにでも追い返したいが、夜の道中事故にでも遭われれば面倒くさいことになる――という両親の苦肉の策なのだろう。


「こちらに着替えとタオルをご用意しております。何かありましたらお申しつけください」

「ありがとう、レベッカ」

「……わたくしのことを覚えておいでなのですね」

「小さい頃の記憶は、意外と残っているの」


 長い黒髪を編み込みで綺麗にまとめているレベッカは自他ともに厳しい女性で、他のメイドたちから常に恐れられていた。記憶にある十年前とその雰囲気はまったく変わっておらず、アイリーンは思わず顔をほころばせる。


「昔木に登って、あなたから泣くほど怒られたわね」

「危険でしたから注意しただけです」

「……ねえレベッカ、お父様たちがおっしゃっていたのは本当のこと、なのよね?」


 一縷の望みをかけて、アイリーンはレベッカに尋ねる。彼女はわずかに睫毛を伏せると、表情をいっさい変えずに淡々と口にした。


「現場を見ていたわけではありませんが、そういった報告があったと聞いております」

「……そうなのね」


 やはり自分は正真正銘の悪女だったのか。

 でもどうしてあんなにも可愛がっていた妹を、周りがいさめるほど嫌うようになってしまったのだろう。


「ねえ。エレナは今どこにいるの?」

「二週間ほど前から、婚約者さまと婚前旅行に出かけておられます。明後日には戻られるかと」

「明後日ね……」


 ここに来るまではずっと、少しでいいから会いたいと思っていた。しかし先ほどの話を聞いてしまったせいで、今はもう顔を合わさずに済むことに安堵している自分がいる。

 再び目のふちに涙が込み上げてきて、アイリーンはごまかすようにそれをぬぐった。


「遅い時間までごめんなさい。あなたももう休んで?」

「……はい」


 レベッカがメイドのお手本のようなお辞儀をし、部屋をあとにする。

 その後アイリーンは眼鏡を外し、着替えもしないままベッドへと倒れ込んだ。張り詰めていた緊張の糸が切れ、どっとした疲れが全身を襲う。


(昔の私……どうしてそんなことしたのよ……)


 黴臭い毛布をかぶり、すん、すんと誰にも聞こえないよう小さく洟をすする。その感覚になぜか懐かしさを覚えながら、アイリーンは静かに眠りにつくのだった。



 翌朝。

 アイリーンは真っ赤に泣き腫らした瞼とともに目覚めた。床に落ちていた傷だらけの眼鏡を拾い上げると、ぼんやりとこれからの行動を考える。


(とりあえず帰らないと……。今日はレクス様も戻られるでしょうし……)


 そのまま眠ったことでぐちゃぐちゃになってしまったドレスの皺を、アイリーンは必死になって取ろうとする。すると扉の外からコンコンと折り目正しいノックの音がし、颯爽とレベッカが入ってきた。


「おはようございます。支度のお手伝いに参りました」

「……お願いするわ」


 さすがに長い間この家で勤めているだけあって、その手際の良さはサリアたちとは比べ物にもならない。あっという間に皺のない完璧なドレス姿が完成し、アイリーンはまだ赤みの残る目でレベッカに笑いかけた。


「ありがとうレベッカ、相変わらずすごいわね」

「恐れ入ります」

「この邸にはもう十年? いえ、それ以上になるのかしら」

「じき二十年になります」

「……ごめんなさい、もうそんなになるのね」


 心の中にかすかに残る、幸せだった頃の自分の思い出。

 笑顔の両親。可愛い妹。それを暖かい目で見守るレベッカたち使用人たち。しかし今ではすべてアイリーンの記憶の中にしか存在しない幻になってしまった。


(さようなら、私のおうち……)


 アイリーンは小さく息を吐き出すと、レベッカに礼を言って部屋を出ようとする。だが扉を開けようとしたその時、レベッカがいきなり口を開いた。


「――お嬢様」

「……? なあに、レベッカ」

「……いえ、まだお付きの方の準備に時間がかかりそうなので、もう少しだけこちらにおられてはと思いまして」

「ここにって……。でもあまり長居するわけには――」


 するとその瞬間、アイリーンの脳裏にどこかの光景がよみがえった。

 採光用の小さな窓。壁の棚にぎっしり詰め込まれた数々の本。使い込まれた木のテーブルには挿絵が描かれた小説のページが広がっており、小さな自分が何やら楽しそうにレベッカと話している。ここはいったい――。


「レベッカ。あの部屋ってまだあるのかしら」

「あの部屋、ですか?」

「ほらあの静かで暗くて本がたくさんあって、私が内緒で入っていたらレベッカに見つかって、でも最後は一緒に本を読んでいた――」


 言葉にするたび、どんどん景色が鮮明になる。そうだ、あれはたしか――。


「先代の蔵書室、のことでしょうか?」

「それよ! おじい様の秘密基地!」


 おじい様の秘密基地というのはアイリーンがこっそり付けていた名前だ。

 一階の隅にこっそりと作られた小部屋で、中には読書が趣味だったという祖父の本がこれでもかとばかりに詰め込まれている。埃っぽいからと家族は誰も近寄りたがらなかったが、アイリーンだけはよく訪れてそこで本を読んでいた。


「あなたに見つかった時は絶対に怒られると思ったんだけど、逆に本に出てきた難しい単語や文章の読み方を教えてもらったりして……すごく楽しかった」

「……そのようなこともありましたね」

「もう一度だけ入ってみたいけど、お父様たちと鉢合わせたら大変だし……難しいわよね」


 一泊させてもらえただけでも感謝しなければならないのに、とアイリーンは苦笑する。するとそれを見たレベッカが形のよい眉毛をきりっと上げた。


「旦那様たちは朝が遅いので、まだお目覚めではないと思われます」

「レ、レベッカ?」

「どうぞ、わたくしのあとについて来てください」


 そう言うとレベッカは踵を返し、足早に部屋の外へと出て行った。アイリーンが慌てて追いかけると、彼女は最短かつ他の使用人たちに気づかれない安全なルートを的確に選び取り、蔵書室に向かって難なく進んでいく。

 あっという間に思い出の扉にたどり着き、レベッカが「どうぞ」とドアノブを回した。アイリーンがおそるおそる中に入ると、古い床板がぎいっと軋む。


(懐かしい……この景色だわ……)


 窓からの光でキラキラと輝く埃。棚で眠る本たちから醸し出されるインクの独特な匂い。おぼろげだった幼少期の記憶が一気に鮮明なものになり、アイリーンの胸がふわりと浮き立つ。


「ねえ、少しだけ見てもいいかしら」

「もちろんでございます」


 さまざまな装丁の背を眺めながら、アイリーンはかつての思い出に浸る。

 無類の本好きだった祖父の蔵書は実に多種多様で、難しい帝王学の本から経済、神学、数学、天文学、さらには美しい挿絵の入った植物図鑑や宝石辞典、空想で描かれたファンタジー小説など多岐に渡った。

 小さかった頃は基本的に絵ばかりを見て楽しんでいたのだが、歳をとるにつれ少しずつ文字も読めるようになってきて……とアイリーンはひとり感慨にふける。そこでふと、一冊の本に目が留まった。


(これって……)


 他と比べて明らかに薄いそれを手に取って表紙を開く。それは小さい頃のアイリーンが夢中になって読んだ『聖女ミリアム』の絵本だった。



 

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