第一章 4
「ここは……」
灯りで部屋全体を照らし出しながら、アイリーンは目を見張る。
土を押し固めた天井や壁、床は石と木で補強されており、壁には棚のような空間も作られていた。元々は雑貨を収納するための倉庫だったのだろうか。ただし物は何もなく、諸々引き上げたあとのようだ。
燭台を手にしたまま、アイリーンは奥へと向かっていく。するとそこに大きめのテーブルがあるのを発見した。近くには椅子代わりになりそうな木箱も置かれており、アイリーンはおそるおそる近寄る。
「……地図?」
テーブルの上には二種類の地図が広がっていた。
一つはここアルトニスを中心とし、東側にあるサビニア、西側にあるルーレイテイン、南側にあるイルゼクルドという国の配置を示したもの。もう一つは森や川、集落の配置などが記されており、真ん中から少し左側のところに『オブライエン邸』という表記があるため、おそらくこの領地全体を描いたものだろう。
以前オブライエン家が作ったものだろうかとぼんやり眺めていたアイリーンだったが、よく見ると地図上に色々と文字が書き込まれている。
(道幅狭い、要改修、柵破壊……巡礼者が多く見られる、休憩施設の整備要望あり……教会誘致を検討、建築許可、奇妙な噂あり……これ、私が書いたもの?)
それらは紛れもなく自身の筆跡であり、アイリーンは指先でなぞりながらそのメモ書きを凝視する。すると地図の下から、たくさんの日付と文字が列記されたまた別の書類が出てきた。
これは――。
(私の……日記?)
インクが滲んで読みづらいところもあるが、どうやらこちらも自分が書いたもののようだ。日付はちょうど半年前から始まっており、アイリーンは自分が書いたものでありながら、なぜか他者のせきららな内情を覗き見るような背徳感とともに読み進める。
(……『今日からヴァンフリート邸に住むことになった。予想はしていたが、やはりお父様は持参金を払って下さらなかった。レクス様はそれでもいいと言ってくださったけど、とても申し訳なく思う』……)
自分が書いたとは思えないほど淡々とした文章。その後も楽しかった、嬉しかったなどという表現はいっさい登場せず、領地を取り巻く惨状や困窮した現場。それに対して無力で、ただ粛々と過ごす自身の葛藤が描かれている。
(『やはり資金繰りが難航しているらしい。私に与えられた化粧品やドレスを売り払うよう願い出るべきか。そのために手つかずで残してあるのだから』……全然減っていなかったのはそのためだったのね……)
これを書いた自分のことはいまだに全然思い出せない。だが今の自分と同じようなことを考えていたのだと分かり、アイリーンは少しだけ安堵する。
(良かった……。私、そこまでひどい人間ではなかったのね……)
何も感じずに散財していたわけではなかった――とアイリーンはほっと胸を撫でおろす。しかし冷静になって考えたところで、一つ気になる記載を思い出した。
(お父様が……持参金を払わなかった?)
持参金というのは結婚に際し、新婦側の父親が新郎側に支払うお金のことだ。娘が婚家で不自由な思いをしないためにという親からの最後の贈り物でもあるのだが、それを払ってくれなかったとはいったいどういう意味だろうか?
なんだか嫌な予感を覚えつつ、アイリーンは次の書類へと目を移す。それは日記ではなく、ヴァンフリート領の領地経営に関わる資料と計算書だった。
(収穫高、借地料、手数料……こちらは陛下への上納金、隣接している領地への施設負担金、教会への寄付、使用人への給金、柵の修繕費、倉庫の――)
必死にかき集めたのであろう資料には改善を目的としたいくつもの提案、そして断念して消した跡が見られた。その乱れたインク跡を見たアイリーンの目に自然と涙が浮かぶ。
(記憶を失う前の私も、なんとかしないといけないと頑張っていたのね……)
エマや周囲のメイドたちに対する悪女のような振る舞いを聞かされてから、自分が本当はとても冷酷な人物なのではないかと不安だった。でもこうして領地の――人々のことを憂慮している自分が確かに存在している。大丈夫。記憶はなくとも、私は私のままだ。
「……っ、よし!」
アイリーンは零れ落ちそうになった涙を指の背でぬぐうと、持っていた燭台をテーブルの上に置いた。散らばっていた資料を丁寧にまとめると、胸元にしっかりと抱きかかえる。そのまま自身の片頬をぺちっと叩いた。
(しっかりするのよ、アイリーン。たとえ記憶がなくなっても、私は私のやるべきことをしなくてはならない。だってそれが『領主の妻』に求められる器量なのだから――)
領主の妻になる。
それは高価な化粧品やドレスを与えられて遊び暮らすという意味ではない。この土地で暮らす人々の生活を守り、末永くこの家が栄えるように身を粉にして働く――その覚悟を持って生きるということなのだ。
アイリーンは心を落ち着かせるように大きく息を吐き出したあと、あらためて資料の束に目を落とした。
(で……より具体的な数字が見えたのはありがたいけど、結局先立つお金がないというのが問題なのよね……。まずはそこをどうするか……)
あれこれと考えながら、アイリーンはテーブルに置いていた燭台を取ろうとする。すると集めた資料の中から、一枚の小さな紙片がひらりと床に滑り落ちた。慌てて拾い上げたものの、そこに書かれていた言葉を見て小さく息を呑む。
(これ……どういうこと?)
そこには『周りの人間を信用するな』とだけ書かれていた。
日記と同じ、間違いなく自分の書いた文字だが――。
(周りの人って……誰のことを言っているの?)
そもそも昔の自分はどうしてこんな地下倉庫で、しかも入るための鍵を隠してまで行動していたのか。それに半年もあればレクスに相談出来ただろうに、何かを伝えたような形跡もない。それにエヴァソールにいる両親を頼った様子もないし――。
「私、いったい……?」
長い髪を一つに縛り、傷だらけの丸眼鏡をかけた過去の自分が暗い倉庫の陰からじっとこちらを睨んでいる錯覚に陥る。
ようやく繋がった同じ自分のはずなのに――アイリーンは無性に怖くなり、資料を抱えたまま逃げるように地下倉庫をあとにするのだった。




