終章 悪女って誰のことかしら?
春の心地よさが薄れ始め、夏を思わせる強い日差しが差し込み始めた頃。
アイリーンは完成したガラス工房を前にキラキラと目を輝かせた。隣にはデュナン商会の次期後継者であるルーカス、そしてバルトロが立っている。
「すごい……すごいわ!」
「父から商機を逃すな早くしろと急かされましてね。それに職人たちが『早くアル・メトロと働きたい』とうるさくて」
「そうだったわ。ごめんなさいバルトロ、なんだかあなたを利用した形になってしまって」
「いえいえ。ぼくの方こそ、こんなに立派な工房を作っていただけるなんて夢にも思いませんでした。これでようやくきちんとした仕事が出来そうです」
嬉しそうにはにかむバルトロを見て、ルーカスが「ふむ」と感心した。
「しかしまさかアル・メトロがこんなに若かったとは……」
「アル・メトロは代々引き継がれている家の名前なんです。とはいえ最近のものは数年前からほとんどぼくが作っていますけどね」
ほう、とあらためて驚いているルーカスにアイリーンが確認する。
「そういえば、ルーカス様がこちらの工房の責任者になられたとお聞きしたのですが」
「ええ。父からもう少し外で勉強してこいと叱られまして。まだ教会の工事も残っていますし、これからしばらくはこちらでお世話になると思います。ですから――」
そう言うとルーカスはさりげなくアイリーンの手を取った。
「あなたに会える時間も、今まで以上に増えるということです。聞けば、まだ婚約しているだけで式は挙げていないんですよね? どうでしょう、今の婚約を破棄して私と未来のデュナン商会を作っていくというのは――」
「聞こえているぞ、ルーカス」
いつの間にか後ろに立っていたレクスが、繋いでいたルーカスの手をべりっと剥がす。狼のように分かりやすく威嚇したあと、すぐにアイリーンの方を振り返った。
「アイリーン、アクスタの試作品が届いたようだ」
「まあ! すぐに行きますわ!」
ルーカスとバルトロに別れを告げ、アイリーンはレクスとともに邸へと向かう。やがてレクスがどこか嬉しそうに口にした。
「そういえば今朝、ベルナールから手紙が来ていた。ほら、以前うちに泊まったサビニスの」
「もしかして騎士様ですか?」
「ああ。無事に聖地巡礼を終え、弟御の手術も成功したそうだ。落ち着いたらお礼参りの聖地巡礼をするから、またこちらにも顔を出したいと」
「まあ、良かった! 楽しみですわね」
「それと……クライドからも」
かつての護衛の名前を聞き、アイリーンは思わず目を見開く。
「こちらも山場は越えたそうだ。経過も順調で、退院の日取りが決まったらまた連絡すると。それまでに一度、邸を訪れて礼を言いたいとのことだ」
「良かった、本当に良かったわ……」
ずっと心の片隅に残っていた不安がなくなり、アイリーンは晴れやかな笑みを浮かべる。そこで「そういえば」とレクスの方を見上げた。
「クライドに渡した三か月分の給金、だいぶ色を付けていましたわね」
「……休んでいる間は何かと入用だろう」
(ああ~ッこういうさりげなく優しいところが大好きですわ~ッ‼)
すべての記憶が戻ってもレクスへの愛はいっこうに収まらず、アイリーンはどうどうと内なる自身を落ち着かせる。
ほどなくして本邸に到着し、アイリーンは玄関の扉を開ける。広間にはサリアにテオ、マリアン、エマ、バートラムといった使用人の面々が勢ぞろいしており、皆でアクスタを運び込んでいるところだった。
「あら、みんなも来ていたのね」
「はい。予定よりたくさん届いたので、いったん中に入れようかと」
大量に送られてきたアクスタを前に、ああでもないこうでもないと全員で騒ぎ立てる。すると廊下の方からコツコツと規則的な足音が近づいてきた。
「皆さんなんですか。こんなところに集まって」
「――レベッカ」
そこにいたのはかつてエヴァソール家のメイド長を務めていたレベッカだった。
ただし今はヴァンフリート邸の制服をまとっており、「早く自分の仕事場に戻りなさい」と集まっていた使用人たちを追い払う。あらかた人がいなくなったところで、アイリーンが申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさいね、レベッカ。結局あなたを巻き込む形になってしまって」
「お嬢様に打ち明けた時からこうなる覚悟はしておりました。なのでどうかお気になさらぬよう。それよりも、メイドたちを雇用してくださり感謝いたします。……あの家も、あれから色々と大変な様子でしたので」
「ええ……そうね」
その言葉をきっかけに、アイリーンはかつての糾弾を思い出す。
エレナとランバートの悪事を暴いたことで、ふたりの婚約は破棄された。
エヴァソール家はエレナの不貞行為への慰謝料ならびに結婚式の損害賠償を請求されてしまい、借金をして糊口を凌いでいるらしい。ただしそれでも追いつかず、近く領地を売り渡す計画があるという。そうなればエレナは二度と子爵令嬢を名乗れなくなるだろう。
またランバートは現在も麻薬を常習していたということが発覚。悪い友人たちとの繋がりも芋づる式に露見し、父親からすべての管理所領・金銭を没収されたそうだ。
現在は全寮制でとにかく厳しいと噂のサビニスの騎士学校に放りこまれているらしく、日々あざだらけになって鍛錬をさせられているらしい。
(かわいそうだけど、自分がしたことの責任はとらないとね……)
ちなみに人づてに聞いた話だが、エレナは優秀な姉・アイリーンに常に劣等感を抱いており、オブライエン家との婚約というきっかけでそれが爆発してしまった。姉を最低な人間だと思い込ませられれば婚約者を奪えるかもしれない――というのがいじめを始めた動機だったという。
一方ランバートはというと、エレナからアイリーンの悪辣ぶりをあることないこと吹き込まれており、まんまとそれを信じ込んでしまった。それに加えて「勉強しろ」と言ってくるアイリーンが煩わしく、エレナと結託して婚約破棄を強行したという流れのようだった。
ただしその後父親から「あんないい子を手放すなんて」と大目玉を喰らい、その苛立ちから逃れるため麻薬に手を出した――という顛末らしい。
はあ、と呆れたようにため息をついたあと、アイリーンは記憶喪失になったかつての事故を思い出した。
(あの日レクス様を追いかけたせいで、私が事故に遭う羽目になった……)
あらためてレクスに尋ねたところ、あの日王都に行こうとしたのは父親であるウィットロック侯爵に融資を頼み込むためだったという。
自身での領地経営がいよいよ立ちいかなくなり、やむなく頼ろうとしたものの――アイリーンの事故で急遽帰還したため、結局うやむやになってしまった。
それを聞いたアイリーンは、かつての自分が彼を追いかけようとした理由を思い出す。
(私はあの時、すでに変わろうとしていたのね……)
エレナの存在を恐れ、感情も素の性格も出すことが出来なかった惨めな自分。
でもレクスがヴァンフリート領のために動いたことを知り、アイリーンもまた何か力になりたいと勇気を出して自ら一歩を踏み出した。婚約者として。何か自分にも出来ることがあるのではないかと必死だったのだ。
(まさかそれをきっかけに、ここまで変わるとは思わなかったけど)
やや苦笑しながら、アイリーンは元々の目的であったアクスタを確認する。箱の中にはエマのデザインをベースにしたアクスタが収められており、アイリーンはそれを天井に掲げながらうっとりと見つめた。
(素晴らしいわ……‼)
二枚重ねても高い透明度を誇るガラス。エマの絵を忠実に再現した絵師のイラスト。人型に作られた輪郭の優雅なフォルム。そして――美しく微笑む女神アクロディア。
(アクスタが、この世界を変えてくれる――)
まるで本当に女神アクロディアが祝福してくれているかのようで、アイリーンは思わず瞳を潤ませる。すると隣にいたレクスが「そういえば」と口にした。




